2015.09.04 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第5章「その2:“フットサルプロパー”の日本代表で初のアジア2位をつかむ!」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2002年の夏になると、リーグ制覇に向けて関東のチームたちが争ってきた効果を証明する大会が2つ続いた。

 最初の大会は2002年7月27日、神戸のグリーンアリーナで開催された第18回全国選抜大会である。前回までは関東は都県代表の予選を行わず、選抜メンバーで出場していたが、この大会から都県同士の予選を行い、優勝の都県の選抜が出場するようになった。この結果、都選抜が出場することになった。全国的にも、まだまだ地域選抜で出場する地域もあったが次第に予選を行い県レベルで出場する地域が増えてきたのであった。

 東京都選抜のメンバーは、ファイルフォックスから難波田、木暮、ゴールキーパー定永、カスカベウから甲斐、前田、金山、稲田、安田、ゴールキーパー遠藤、フトゥーロから上村、橋田、シャークスから関新、IPD FCから黒岩らが選ばれた。

 最近ではFリーグが出来たため、日本代表クラスが選ばれることはなくなったが、この頃はまさに地域あるいは都府県を代表するベストメンバーが真剣勝負する地域対抗の大会であった。

 決勝の相手は大阪府選抜で、これまたベストメンバーで、マグから藤井、岸本武志(のちにシュライカー大阪)、狩野新(のちにカスカベウ)、丸山哲平(のちに名古屋オーシャンズ)、旭屋から松田和也(のちにカスカベウ関西)、山蔦一弘(のちに名古屋オーシャンズ、デウソン神戸)、近鉄百貨店から大塚和博(第3回アジア選手権日本代表)らがいた。

 ところで、藤井らのチーム、マグであるが、このチームは、新たにオープンしたマグスミノエ(複合型アミューズメント施設)に併設されたフットサルコートを拠点にするチームで、のちのシュライカー大阪の前身チームである。代表は藤田昌宏で、のちにバンフスポーツの桜井とともにFリーグ参加チームの牽引役になる。このチームにボルドンから藤井、岸本、福角有紘(のちにプレデター、バルドラール浦安)、ファイルフォックスから関西に戻った原田が移籍している。

 結果は、2-2からの延長戦にもつれ、延長戦残り9秒、木暮の劇的Vゴールで東京都選抜が優勝を遂げた。(当時はフットサルも延長Vゴール方式が採用されていた。)

 以降、25回大会まで関東は東京都選抜が連続出場、優勝4回、準優勝2回、3位2回と常に3位以内を確保している。これは、関東リーグ、スーパーリーグの土台があったればこその結果である。

 2番目の大会は2002年10月、インドネシアのジャカルタで開催された第4回のアジア選手権である。監督は第3回アジア選手権のときのコーチの原田理人が就任した。原田は札幌出身でサロンフットボールの名手、1985年の世界サロンフットボール選手権の日本代表経験の持ち主である。そんな経験からか、代表選考はフットサルプロパー中心に戻るのだった。

 関東からは、ファイルフォックスの難波田、木暮、カスカベウの前田、金山、ゴールキーパー遠藤、IPD FCから横山、ブラジル・アマフーザの市原、イタリア・ラツイオの相根と、14人中8人が関東から選ばれた。ちなみに関西からは藤井(マグ)、鈴村(神戸ハーバーランド)、山蔦(旭屋)、松田(旭屋)、東海からのちに名古屋オーシャンズ川原永光(ピッチコーポレーション)、和泉秀実(同左)が選ばれている。

 結果は、準々決勝でウズベキスタンを1-0、準決勝でタイを3-0で下し、初の2位確保に成功する。さすがに決勝のイラン戦は0-6と大敗するが、第3回まで続いた連続4位から抜け出すことができたのだ。

10月23日 対インドネシア<5対1> ○ 鈴村2、藤井、和泉、市原
10月24日 対キルギス<2-1> ○ 前田、金山
10月25日 対中国<7-2> ○ 市原2、木暮、鈴村、藤井、山蔦、前田
10月26日 対クウェート<2-0> ○ 鈴村、木暮
10月28日 対ウズベキスタン<1-0> ○ 市原
10月29日 対タイ<3-0> ○ 市原、前田2
10月30日 対イラン<0-6> ●

 この大会結果が与える影響は大きかった。

 まず、2年後に行われる世界選手権に出場するためには、3位確保が必須である。1位のイランは固いため、3位確保のためにはイランとは別の山のトーナメントに入る必要がある。したがって、今から2位確保を続けなくてはならなかった。これを見事に果たしたのである、

 もう一つは、フットサルプロパーで固めたチームで2位を確保できたことである。もし、4位だったら、4大会連続4位であり、フットサル選手のモチベーションを立て直すには相当時間がかかったことであろう。また、原田は、フットサルプロパー選手に、マナー、プライドなど精神面での指導を行ったことものちに好影響を与えた。長年、選手達が望んでいた通年リーグの効果がようやく現れたと評価したい。

 お宝写真は、その通年リーグの最大の成果ともいえる第4回アジア選手権の日本代表の集合写真である。ちなみに、この大会は、近くのバリ島で大会直前の2002年10月10日、大規模な爆破テロ事件が発生した。開催が危ぶまれたが、結局、厳戒態勢の中で行われた。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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