2016.06.03 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第12章「その10:オスカー、マリオ、ジオゴ……”日系ブラジル人監督”の系譜」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2007年10月3日、Fリーグ2節終了後、衝撃的な記者会見が行われた。それは、名古屋オーシャンズ監督、オスカーの解任会見であった。後任は、本三国志にも登場した人物でサテライトから昇格した館山マリオであった。原因は、選手のフラストレーションだったという。

 続いて、その1ヶ月後の11月4日、今度はシュライカー大阪の原田に代わって監督になるアドリアーノの記者会見が行われた。原因は、原田の体調不良と成績不振であった。

 Fリーグ開幕から2ヶ月も経たないうちに2人の監督が交代したのは、試行錯誤で始まった監督起用の象徴かもしれない。移籍勃発は、開幕後、監督にも及んだと言える。

 オスカー、アドリアーノといえば、関東で活躍した2人であり、奇しくも入れ替わる格好になった。

 オスカーは、周知のとおり、日本の競技フットサルの草分け的存在で、ファイルフォックスを立ち上げ、監督として選手権2連覇を達成したことで知られる。そののち、バンフ東北でも優勝、昨年も大洋薬品バンフで優勝したばかりである。

 アドリアーノは、カスカベウが選手権で優勝した時のメンバーで、その後、府中アスレティック監督、コーチを努め、それこそ大洋薬品バンフが優勝した昨年の府中アスレティック準優勝のコーチである。

 話はいきなり2011年1月にとぶが、そのアドリーノの交代発表が行われた。理由は成績不振からで、代わりに選手のドゥダの起用となった。ドゥダといえば、アドリアーノと同じく、カスカベウが選手権で優勝した時のメンバーであり、その後、ファイルフォックスの助っ人でも登場、日本の競技フットサルの揺籃期に活躍した選手である。シュライカー大阪で再び現役に復帰していた。

 そこで、古い時代から日本に関わったという意味での日系ブラジル人監督の系譜を見てみよう。考えてみれば、日本の競技フットサルの揺籃期(ようらんき=ゆりかごに入っている時期)に、技術の底上げに果たした彼らの役割は大きく、それが10年以上経って、選手から監督へと時代へ移ったと言える。

 例えば、帰化して日本代表キャプテンとしても知られた比嘉リカルドも、名古屋オーシャンズからデウソン神戸へと渡り、2009年のシーズン途中からデウソン神戸の監督に昇格した。

 館山マリオは、当時は日本にいなかったが、難波田治、木暮賢一郎、甲斐修侍、前田喜史らがブラジル留学した際、彼らを指導し、大きく影響を及ぼした人物で、間接的ながら揺籃期に関与している。その縁で、ついに来日、名古屋オーシャンズのサテライト監督に就任していたのだった。館山は、のちに、パサジイ大分の監督になり、今はブラジルに戻っている。

 岡田サントスジオゴは、彼ら揺籃期の時代よりは遅れて、2004年に来日した。最初はBFC KOWAに所属、途中から関東リーグのロンドリーナに所属した。そのままFリーグ設立と同時に湘南ベルマーレでFリーガーになった。そして、監督の朴海剛(パク・へガン)はフットサル経験がなかったため、実質はジオゴが指揮をとっていたという。ジオゴは、その後、ステラミーゴいわて花巻で監督になった。

 このように見てみると、ドゥダはもともと来日した際の居住が関西だったため、ちょっと密度が低いが、オスカー、アドリアーノ、比嘉、ジオゴと群馬、府中の流れを汲む系譜で形成されていることがわかる。脈々と三国志の流れは続いているのだった。

 しかし、選手時代と違って、日系ブラジル人がFリーグ監督になるのは、難しい局面がある。それは、本場ブラジルから招聘したブラジル人選手を指揮する時に見受けられる。ブラジル人選手にもピンからキリがあると思うが、ピンに近い選手は、プライドがある。日系ブラジル人の指揮に異を唱えはじめることは想像に難くない。かといって、彼らを重用すれば、今度は日本人が面白くない。かくて、日系ブラジル人監督は、ブラジルと日本の狭間に立って、その融和に苦しむのである。

 オスカー、アドリアーノの辞任の理由はそればかりではないと思うが、要因の一つではあるようだ。

 もっとも、日系ブラジル人監督の系譜はその後途絶えてしまった。なぜなら、あとに続く人材はそう簡単には見当たらないからである。日本の経済情勢は大きく変化し、今から20年以上も前の日系ブラジル人が群馬、府中、豊橋などで働きながらフットサルを競い、日本人の手本になった時代は終わったのである。

 名古屋オーシャンズは、オスカー、館山マリオの試行錯誤の末、ポルトガルリーグからブラジル人アジウを監督に招聘、多国籍な外国人選手、帰化した日系ブラジル人選手、日本人選手の複合体制を築き、最強の布陣と言われるようになった。そして、その後は、スペインの流れに移行、現在へと続いている。

 さて、お宝写真は、日系ブラジル人監督の系譜で忘れてはならない館山マリオに関係ある写真にしよう。この写真は、2009年8月に行われたFリーグ、バサジイ大分対シュライカー大阪のフリーキックのシーンである。バサジイ大分のゴール前フリーキックのチャンス、蹴ろうとした瞬間、場面中央の味方が突然、バタッと倒れる。これは、大阪のディフェンダーの気を引こうとした作戦だった。残念ながら、大阪は全くトリックに引っかからず、フリーキックは失敗に終わった。

 このトリックプレーは、むろん館山マリオの指示である。ブラジルのマリーシア(ずる賢さ)に通ずるもので、お茶目な館山マリオらしさが発揮されたシーンといえる。

 ご存じの方もいると思われるが、このシーンは「マツコ&有吉の怒り新党」で紹介されたテレビからキャプチャーした写真であるが、このテレビのおかげでFリーグのPRにもなった。

 2001年、難波田、木暮、甲斐、前田らがブラジルに留学した際、指導を受けて以来、2013年バサジイ大分の監督を辞任するまで、日本のフットサル界に大きな足跡、功績を残した日系ブラジル人であることに間違いない。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事