2016.05.27 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第12章「その8:2007年9月23日。日本初のフットサル全国リーグ・Fリーグが開幕」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2007年9月23日(土)、ついに国立競技場代々木第1体育館にて、待望のFリーグが開幕した。先人達が夢にまでみた全国リーグ、日本リーグの誕生である。全日本選手権大会発足から数えると11年目、関東リーグ発足から数えると7年目のことになる。比較が難しいが、Jリーグ発足から遅れること14年である。

 ところで地域リーグと日本リーグでどこが大きく違うかというと、監督の位置付けが大きな違いの一つといえる。従来、フットサルというとまずは選手たちが見様見真似で日系ブラジル人達からフットサルのプレーを学ぶ時代があった。あの天竜リーグの時代である。それから、フットサルの母国ブラジルにこぞって留学する時代があった。そして、スペインがブラジルを凌駕するようになるとスペインへの留学、さらには移籍が始まった。いずれにしても、選手が自らのプレーを必死になって学ぶことが行われ、指導あるいは監督を学ぶことは後回しにされてきた。そして、監督はというと、長年、リーダー的選手が兼務で行う時代があった。最近になって、ようやく、監督の重要性が認識され、専従の監督を置く事が多くなってきたが、それでも関東リーグは選手と監督はルール上兼務できるのである。

 しかしながら、Fリーグは監督と選手の兼務は認めず、しかも監督は少なくとも当時はサッカーC級ライセンスの取得を義務付けられた。これは、地域リーグとは大きな違いであり、それだけ監督にかける期待は大きいものがあった。それは、観客というよりも、クラブ側、選手側の期待が大きかったといえる。むろん、観客も監督の手腕に期待するところはあったと思うが、まだ、サッカーほどフットサル観戦に慣れているわけではなく、コアな観客はともかく一般の観客は関心が薄かったのではないだろうか。

 まず、クラブ側は、選手を地域リーグから引っ張ってきたとはいえ、いきなり実力がアップするものではないため、選手の育成と何よりも勝利を監督に委ねた。勝利はクラブ経営に直結する。しかし、育成と目先の勝利はなかなか両立するものではない。

 選手はどうかというと、地域リーグとの違いに、年俸もさることながら、自分自身の技術力アップの環境を求め、監督の指導力に期待した。実際、例えば、ファイルフォックスの稲葉洸太郎が最後までどのチームに移籍するか迷ったのは、監督の指導力であったとあとから述解している。また、シャークスの石川昌史が関東リーグでありながらスペイン人監督にこだわったのは、監督の指導力をチーム結束の手立てにしようとしたからである。しかし、これも最後は個人の能力によるところが多く、努力なしで監督だけでは技術力はアップしないのである。逆に、選手経験と自分で勉強してきたプライドがあるから、経験が薄い監督の指揮権に反発するケースもある。

 結局、歴史、経験がないだけに、さまざまな試行錯誤が始まった。つまり、クラブという経営組織、監督、選手、それぞれに役割があり、権限と義務があるわけだが、その区別を付ける習慣がまだできていなかったのである。かくて、半年も経たないうちに、さまざまな課題が噴出するのであった。

 それはともかく、発足したFリーグ初代監督を分類してみよう。まず、海外から招聘した監督経験のある外国人監督が3人いて、浦安のシト・リベラ(スペイン)、町田のバイアーノ(ブラジル)、花巻のマルコ・ブルーノ(ブラジル)である。名古屋は、おなじみの眞境名オスカーで、この3人とはちょっと分類が異なる。次に、日本人でフットサル経験の元選手が、大阪の原田健司と大分の境大輔であった。原田は、リーグ発足を機に現役を引退、監督になった。境は選手引退のあと指導経験もある。デウソン神戸の鈴木政紀は、ジュビロ磐田でプレーした元Jリーガーでのちにフットサル指導経験を持つ。変り種は、サッカー経験者だが、フットサル選手経験も指導経験もないクラブスタッフ出身の湘南ベルマーレの朴海剛(パク・へガン)である。

 これらの起用を見てみると、それぞれのチーム事情が色濃く出ていて、分類をしたものの、傾向を論じることはできない。むしろ、クラブのスタンスがまだ定まっていなかったというのが正直なところであろう。あれから4年、監督の宿命とはいえ、現在、当時の監督は誰もFリーグに残っていない。

 話は前後するが、記念すべきFリーグ開幕イベントは華やかなものであった。会場内に色とりどりのチームフラッグが掲げられ、大きなFリーグのアドバルーンが挙げられた。詰めかけた約7000人(一番観客が多い試合)の観衆は、そのアドバルーンを見上げ、期待に胸を膨らませたものである。

 試合の方は、記念すべき開幕初戦は名古屋オーシャンズ対デウソン神戸で、1-1で引き分けた。歴史に残る初ゴールは、名古屋の上澤貴憲だった。このときは、いずれ日本代表の中心選手になるとは本人も思っていなかったであろう。2試合目は、ペスカドーラ町田対シュライカー大阪で関東対関西対決となったが、町田が7-3で勝利した。2日目は、湘南ベルマーレが4-2でステラミーゴ岩手花巻を下し、バルドラール浦安が同じく4-2でパサジイ大分を下し、いずれも関東勢が勝利した。

 2日目の観客数も一番多い試合で6000人となり、2日間合計で13000人の動員を記録、リーグ関係者はひとまず安心したのではないだろうか。

 ちなみに、毎年、開幕は代々木体育館でセントラル開催となっているが、最大の観客動員の試合は、2年目は4700人、3年目約5000人、4年目約6000人である。一見、セントラル開催の観客動員数は落ちていないように見える。しかし、2009年シーズンは、最大と最小は約2000人差で最大の65%、2010年シーズンの差は3500人で最大の42%と年々人気のある試合とない試合の差が顕著になりつつある。つまり、人気、実力の差の開きが年々顕著になり、この傾向が次第にFリーグに影を落とすのであった。

 さて、お宝写真は、開幕節のオープニングセレモニーの模様にしよう。覚えておられる方も多いと思うが、真ん中の赤いアドバルーン、会場は真っ暗で赤に見えるが、次第に明るくなると、ピンク色になり、ボールの真ん中にはFのロゴは見えるようになる。バックには、参加8チームのエンブレムが控えている。そんな幻想的なスタートを見せたFリーグ開幕セレモニーであるが、その裏には年齢的に届かなかった選手、実力で敗れた選手、チームそのものが参入できなかった選手、さらに高みを目指して海外に行った選手など、ピッチに立てなかった多くの選手がいるのかと思うと感慨深いものがある。そして、今や10年目を迎えるFリーグ、言えることは、とにかく進歩の足を止めてはならないことだ。いみじくも、当時は第一線のフットサルライターだった山戸一純は、フットサルナビで開幕節の感想をこう書いている。

「なんの後ろ盾もないフットサルという競技が、今後光を放ち続けるためには、選手達が用意された舞台の上で、魅力的で力強いフットサルを見せ続けるしかない。プロ野球選手でもない、Jリーガーでもない、Fリーグプレーヤーというスタイルを見せ続けるしかないのだ。Fリーグの発足はあくまで通過点に過ぎない。止まっているのはフットサルには似合わない。成長する姿を我々に見せ続けて欲しい」

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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