2016.05.06 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第12章「その3:Fリーグ開幕前に発生した府中・町田・浦安の“三角関係”とは?」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2007年3月末の登録で、府中・町田・浦安の三角関係が明らかになった。この3チームは、位置的には、東京の隣同士と車で1時間ほどかかる千葉・浦安の関係、力関係では、カスカベウ・ファイルフォックスの2強と第3勢力プレデターの流れを汲む関係である。また、いずれのチームも10年に渡って日本の競技フットサルを牽引してきた間柄である。

 したがって。Fリーグに参入しない府中アスレティック、ファイルフォックス、フトゥーロら府中3チームの選手達にとっては、もしオファーがあった場合、地方のFリーグ参入クラブよりも町田、浦安は選択したくなる関係といえる。

 むろん、待遇、期待される自分の役割なども考慮して決めることになるのだが、ファイルフォックスの小宮山友祐は、バルドラール浦安へ移籍を決めた。のちのことになるが、態度を保留していた同じファイルの稲葉洸太郎も小宮山の影響もあったのか、同じく浦安へ移籍となった。奇しくも、ライバルだった強敵カスカベウへの移籍ではなかった。

  逆に、驚く移籍があった。それは、浦安から相根澄が町田に戻ったことである。相根といえば、1997年に今や伝説のチーム甲斐率いるアズーに参加、その後、カスカベウとなって、2001年の第6回選手権で初優勝、イタリアセリエAのプロ選手、日本代表のエースとして活躍した選手である。その相根は、プレデターのチーム力強化に共鳴、2004年末にプレデターに移籍していた。その前年、カスカベウの盟友・市原誉昭が、ブラジルのアマフーザから戻ったとき、カスカベウに戻らずプレデターへ入団した影響もあったのかもしれない。しかし、Fリーグの初舞台をどこで踏むか考えたとき、フットサルの道に入るきっかけになったカスカベウすなわちペスカドーラ町田で甲斐を応援したいと思ったのだという。

 もう一つ驚く移籍といえば、2ヶ月後の6月のことになるが、カスカベウの稲田が電撃的にバルドラール浦安に移籍したことである。正確にいえば、ストレートな移籍ではなく、仕事の関係、将来のことを考え、一旦は生活の拠点を愛知に移していたのである。引退の噂さえ流れていた。しかし、フットサルの思い断ちがたく、ピヴォが欲しかったバルドラール浦安のオファーを受け、浦安に行くことを決心したのだという。

 稲田といえば、2001年第6回選手権に東海代表としてボーン77で出場、そのときのカスカベウのフットサルに大きな刺激を受け、第7回ではSuerte banffで準優勝、ついに金山友紀を追って三輪修也とともに東京へ上京、カスカベウに入団したことで有名である。以降、めきめきと頭角を現し、その強烈なシュート力で日本代表にも選ばれ、2008年Fリーグ得点王の実力の持ち主である。

 府中アスレティックからは、名古屋ばかりでなく、町田への移籍もあった。ヴェルディ出身で日本代表候補にもなった宮田義人および日本代表経験者でシャークスから府中アスレティックに移籍した石渡良太である。2次登録になるが、滝田学(ガロに在籍、その後府中アスレティックに移籍、のちに日本代表)も町田に移籍した。

  この結果、府中の3チームはどうなったのであろうか。まず、ファイルフォックスは、浦安に小宮山、稲葉、関東ではないが、デウソン神戸へ伊藤雅範、ステラミーゴ花巻へ遠藤晃夫が移籍と合計4名の選手を失った。

 府中アスレティックは、名古屋へ前田喜史、完山徹一、小山剛史、町田へ宮田、滝田、石渡、関東ではないが、ステラミーゴいわて花巻へ岩見祐介(ヴェルディユース出身でファイルフォックスに在籍後、府中アスレティックに移籍)、デウソン神戸へ村山竜三が移籍と合計8名の選手を失った。

 一方、フトゥーロは、上村信之介、渡辺英朗ら実力は十分Fリーグに通用する選手がいたが、条件が整わなかったのか、特にオファーがなかったのか、少なくともFリーグ開幕年度に登場する選手はいなかった。

  このように、府中・町田・浦安の関係は、同じ関東には小田原に湘南ベルマーレが存在するものの、どこか違う特別な3者関係が存在すると感じるのは筆者だけであろうか。

  さて、お宝写真であるが、Fリーグ設立前後に次々と別の道を歩みはじめたファイルフォックスの面々にしよう(写真はサッポジャパン時代の日本代表合宿でのもの)。

 難波田治、定永久男は大洋薬品バンフに移籍、難波田はその後、関東に戻って、湘南ベルマーレ、府中アスレティックとプレー、今は闘魂で楽しみながらプレーしていることは前回に書いた。定永は、名古屋オーシャンズからバサジイ大分に移籍、今はシュライカー大阪のコーチをしている。

 小宮山、稲葉はバルドラール浦安に移籍、稲葉は昨年、フウガドールすみだに移籍したが、いずれも現役である。吉成は、シュライカー大阪に移籍、その後、関東に戻って今はファイルフォックスの選手兼監督をしている。

 岩田雅人は、湘南ベルマーレに移籍、ファイルフォックスに戻ったが、今は引退、楽しみながら闘魂でプレーしている。木暮賢一郎は、スペインに渡り、その後名古屋オーシャンズに移籍、今は、シュライカー大阪の監督となっている。

 このように、それぞれの道を歩んでいるが、Fリーグ設立10年を迎えた今でも、彼らの隣にはフットサルがある。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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