2016.04.22 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第12章「その2:名古屋と府中の特別な関係。“草刈り場”となった府中の名門2クラブ」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2007年3月末にFリーグの選手登録の1次が締め切られた。2次登録は、外国選手の移籍を考慮し、外国のリーグが終わる5月を過ぎた6月から7月に行われる予定であった。選手の登録枠は20名、今回登録数に、2次で5名まで追加、入れ替えが可能である。

 発表された選手リストを見てみると、府中と名古屋の特別な関係が注目となった。なぜなら、名古屋オーシャンズは、リーグ全体のレベルの均衡に考慮し、町田や浦安などの参入クラブからの移籍を避けており、そうなると必然的に参入していないクラブで力がある府中アスレティック、ファイルフォックスなどの選手にオファーが集中するからである。また、かって縁があったオスカーが監督になったことも影響している。

 一方、府中の選手側にも名古屋のオファーを受ける魅力があった。それは、まずは少なくともこのままでいたら2年間は、Fリーグの舞台に立てないこと、次にプロ選手の待遇であり、なによりも2部練、専用コートなどフットサルに専念できる環境が用意されていることである。

 かくて、両者の利害が一致、この3月の締め切りで、府中アスレティックから前田、完山、小山剛史の移籍が実現した。前シーズンの大洋薬品バンフの時の定永、森岡、途中からであるが、難波田(いずれもファイルフォックス)を加えると、実に6人が府中を拠点とするクラブから名古屋オーシャンズに移籍したことになる。

 ちなにみにもう1人大物選手が移籍した。それは比嘉リカルドである。比嘉は、もし、FC琉球がFリーグに参戦すればFC琉球からFリーグに出たいと思っていたが、叶わなかった。結果、オスカーの縁もあり、名古屋オーシャンズに移籍となった。比嘉は元を辿ればBFC KOWA、ファイルフォックスでプレーしていたから、関東それも府中出身と言えなくもない。

 逆に、名古屋オーシャンズから関東に戻る選手もいた。大洋薬品バンフの時にはまだ古巣のチームがFリーグに参入するかどうかわからなかったが、参入することが決まり、古巣に戻った湘南ベルマーレ(かってのロンドリーナ)へ移籍した豊島、野島倫である。

 彼らにとっては、継続してFリーグの舞台には立てること、プロの待遇としてレベルが落ちることになるかも知れないが、チームとして必要とされていること、古巣であることなどが戻る理由のようだ。

 雑誌などのインタビューによれば、助っ人点取り屋のブラジル人がピヴォにいて、日本人が後ろで守り、ボールの供給役にしか過ぎないフットサルスタイルに限界を感じていたとも述べていた。豊島は、かってオスカーとともにバンフ東北で選手権優勝を飾っているが、あれから時は過ぎ、選手権だけのスポットチームでもない今、その頃と変化のない助っ人選手前提の典型的な戦術から脱皮したいという思いはわからなくはない。

 のちのち、この課題は名古屋オーシャンズを悩ませるものとなった。

 そんな移籍の嵐の中で、ファイルの板谷に続いて、フットサル人生にある結末をつけた選手がいた。それは、板谷の盟友であった難波田である。難波田は、大洋薬品バンフで1シーズンの後半を過ごし、「ファイルフォックスの難波田」という看板でないイチ選手としてプロチームを経験したことで一区切りを付けたのか、かねてより教師の採用試験に受かっていたこともあり、教師へ転進を決断したのだった。(難波田は、4月に入り、教員生活を妨げない条件でフットサルができるフトゥーロに参加することになった)

 難波田といえば、1998年の第3回選手権に府中水元クラブでデビュー、翌年はファイルフォックスに参加、第4回選手権で初優勝以来、数々のタイトルを獲得、日本代表でも活躍、競技フットサルの開拓者であった。あれから10年以上が経ち、また1人、この物語の最初の頃の登場人物が表舞台から去ろうとしている。と書いたのは、この頃で、実は、難波田は、上手くなりたい、もっとやれるのではないかという想いを絶ち切れなかったのか、のちになってFリーグ湘南ベルマーレに入団する。もっとも、彼にとっては、チームはどこであろうと関係なく、プロも楽しむためのアマチュアも包含したフットサル道というものがあるとするならば、その道を今でも追い求めているのではないだろうか。

 ということで、今回のお宝写真は、お宝ではないが、難波田を中心に2014年に設立され、このたび東京都オープンリーグから3部リーグに昇格した「闘魂」の写真にしよう。難波田、稲田、石渡の日本代表経験者、岩田、平塚、会田、横山らのFリーグ経験者、北、中沢、佐藤、田代らの関東1部経験者がずらり顔を揃えている。奇しくもFリーグは今年で設立10周年を迎える。

 いわば、この写真は2007年に起きた激動の移籍劇の10年後の1つの結末を示していると言える。それは、全くの競技志向でもなく、ただの楽しみのフットサルでもない、脈々と流れるフットサルへの愛と高みを目指すフットサル道追及の姿である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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