2016.04.20 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第12章「その1:大量移籍勃発。Fリーグ開幕で『関東一極集中時代』が終わりを迎える」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 本三国志の第1章のテーマはチーム勃発であった。1996年、第1回の全日本選手権を契機にさまざまなフットサルチームが勃発、その後、10年が経過した2007年まで、チームは合従連衡を繰り返し、消滅したチーム、1部からは落ちてしまったチーム、新興チーム、Fリーグまで上がるチームなど淘汰があった。

 消滅もしくは活動を限定してしまったチームには、府中水元クラブ、アズー、ウイニングドッグ、井の頭くな、メイクナイン、エスポルチ藤沢らがいる。1部から落ちてしまったチームには、小金井ジュール、ガロ、セニョールイーグルス、フトゥーロらがいる。新興チームは、ゾット、ボツワナ、コロナFC、カフリンガなどである。

 そんな淘汰の歴史を経て、この10年でチームの枠組みは固まってきた。

 今度は、その枠組みの中で、選手移籍の勃発が起きた。むろん、そのきっかけはFリーグ設立である。まず、最初に、Fリーグ設立公式発表の1ヶ月くらい前の3月、大洋薬品バンフが先手を打って、ファイルフォックスから定永久男、森岡薫、ロンドリーナから豊島明、野島倫、ボツワナから北原亘を獲得したことは前に書いた。続いて、4月に入ると、埼玉県リーグの高西クラッシャーズの上澤貴憲、5月にはマグから松宮充義、次回に譲るがさらにあっと驚く選手たちを強化していった。

 そして、この余波を受けて、関東リーグ内でも前述した選手の抜けた穴を埋める移籍、全国リーグ参入を睨んだ移籍などが6月の関東リーグ開幕前に行われた。

 しかし、リーグが開幕すると、移籍話は水面下で行われるようになった。リーグが開幕した以上、選手はリーグに専念せねばならない。だが、9月のファイルフォックス難波田の移籍に見られるよう、リーグが閉幕に近づくにつれ、移籍交渉は活発化し、さまざまな噂が流れるようになった。

 また、選手同士でも、主に待遇の情報交換が行われるようになった。これは、ブラジル、スペインなどプロリーグがある国では当たり前のことで、その意味では、日本も外国に一歩近づいたと言えるかも知れない。

 移籍は、関東のチーム勃発以来、数多く行われてきたが、あの頃とは大きく違う面がある。それは、当時は、関東リーグにあこがれてというと大袈裟であるが、関東以外から関東への移入が多くあったが、今回の移籍は逆に関東から関東以外へ拡散したからである。

 例えば、当時の関東以外から関東への移入は、関西から原田健二、藤井健太、福角有紘、狩野新、定永、中国地方から完山徹一、村上哲哉、北海道から角田麻人、神敬治、東海から金山友紀、稲田祐介、三輪修也など実に多士済々である。

 それが、今度は関東から関東以外の地方へ拡散するのは当然といえば当然である。なぜなら、地方のFリーグ参入チームは、関東の力が必要だったからである。しかしながら、関東にずっと在住していた選手達にとっては、葛藤があった。全国の舞台には立ちたいが、地方に行くには生活面で不安があったのである。地方からオファーがあった関東の選手達はそれなりの決心が必要であった。

 Fリーグ設立は、関東リーグの選手たちの生活環境を大きく変えようとしていた。また、移籍によって、新たな勢力地図に塗りかえられようとしていた。

  お宝写真は、そんな状況を踏まえ、フットサルナビ2007年5月号の移籍特集のトビラにしよう。当時は、9月Fリーグ開幕に向けて、メディアは移籍情報が目白押しであった。この写真を見てもわかるとおり、移籍は関東3クラブ対名古屋オーシャンズの戦いと言っても過言ではなかった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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