2016.04.15 Fri

Written by ROOTS

インタビュー

己を磨き続ける“金狼” 森岡薫のROOTS。「自分に自信がないこと、それがルーツ」

思い出したあの頃の感覚

 転機は21歳のときだった。フットサルと出会い、森岡の人生は変わった。正確には、ただひたすらにボールを蹴り続けていた“あの頃”に戻ることができた。

「個人参加型フットサルに行って蹴ったら、『ああ、やばいなこれ』って。みんなうまかったし、俺もこういうことをやってたなって」。

 フットサルだったことが、当時の状況を考えてもちょうど良かった。

「サッカーだったら現実的な年齢ではないし、プロを目指していない。でもフットサルだと、一人の動きですべてが決まるわけじゃないし、難しいスポーツだと感じた反面、すごく懐かしさもあった」。

 自宅前で蹴っていたストリートサッカーの記憶が蘇った。

「フットサルだったから、また常にボールを蹴るようになった」。

 そうやってボールを蹴る生活に戻ると、そこからは負けず嫌いな性格が己を突き動かしていく。

「チームで一番にならないと気がすまないし、大会では優勝したいと思うし、常に一つずつ目標を立ててやっていった。プロになりたいとか、今のような姿は全く思い描いていなかった」。

 本格的にチームに所属した神奈川県のブラックショーツでは、1年で関東リーグに参入。

「今度は、関東リーグで一番の選手になりたいと思った」と移籍を決め、当時のフットサル界で最前線を走っていたファイルフォックスに加入した。

「難波田(治)くんや(稲葉)洸太郎(現フウガドールすみだ)、木暮(賢一郎/現シュライカー大阪監督)なんかもそうだけど、みんなスポンサーを付けていたり、フットサルで少しだけでも生活をしている選手がいた。(相根)澄さんなんかはイタリアにも行っていた選手だし、そういうのを見て、『いつか自分もこういう選手になりたいな』って」。

 身近な選手に憧れ、目標に向かってまい進した。

 次第に芽生えた「プロになりたい」という思いは、06年に結成された大洋薬品/BANFF(現名古屋)で実現する。

「2年で関東に帰ろうと思っていたから、名古屋に10年もいる想像はしていなかった。クビを切られていくのは外国人選手だから。でも3冠を達成したり注目を浴びて変わっていった。自分の可能性も感じた」。

 次に掲げた目標は、「外国人に負けずに自分の居場所を作ること」だった。そのためには、他の外国人選手に「勝つ」ことよりも「真似」することを考えてプレーした。

「真似をして超えて行こうと思った。真似をしてさらに練習すればうまくなる。もちろんその人にしかないセンスもあるけど、そこは努力でカバーできる。毎年そうやってきたから、楽なシーズンは一度もなかった」。

 その後、日本国籍を取得し、日本代表にも呼ばれ、活躍を続け、給料が上がった。

「それを維持するにはまたやらないといけない。プレッシャーもどんどん大きくなっていった」。

 いつしか周囲から、「日本最高の選手」と呼ばれるようになっていた。

「でもそれは、みんなが言っているだけ。自分にはそんな自覚や安心感はない」。

 だからこそ、一つずつ、目の前の目標をクリアしていった。決してその姿勢がブレることはなかった。

 「それは試合でも同じ。3-0で負けていても、一気に3-3にはできない。1点取ってから、また1点と続けることで追い付ける。そのプロセスは人生も同じ」。

 森岡のそういうスタイルは、「今の自分がないと先の自分はない」という言葉に集約される。

 例えば、引退後のことを全く考えていないわけではないが、それでも、今の自分が成功を納めないことには、未来へとつながっていかないと考えている。そうやって自分自身の歴史を積み重ね、そして、2016年の分岐点を迎えた──。

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一つずつクリアしていくこと

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