2016.04.13 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第11章「その5:ファイルの10番から料理人の道へ。Fリーグ設立で下した板谷竹生の決断」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2007年2月3日から、舞台は大阪から江戸ならぬ東京・駒沢体育館に移して、第12回全日本選手権ベスト4の戦いが行われた。

 準決勝第1試合は、大洋薬品バンフ対ファイルフォックスという運命的な戦いとなった。

 なぜなら、大洋薬品バンフの陣容を見てみると、監督はかってファイルフォックスで選手権2連覇を成し遂げたオスカー、キャプテンだった難波田治、設立当初からの重鎮・GK定永久男、ピヴォで活躍した森岡薫らファイルゆかりのメンバーがずらりと名を連ねているからである。彼らは、来年度の行く末はほぼ約束され、長年夢見た全国リーグの舞台にプロ選手として舞台に立つ。

 一方、ファイルフォックスは、来年度移籍すべきかどうか、どこから声がかかるのか悩んでいる選手を数多く抱えていた。例えば、小宮山友祐、稲葉洸太郎、遠藤晃夫、村上哲哉、吉成圭、伊藤雅範らである。彼らはFリーグに行くからには、中途半端な気持ちでは行けないと考えていたし、生活を根本から変えねばならないとも思っていた。だからといって、この試合に中途半端に臨んだわけではない。そこには、そういった悩みやかってのチームメイトとの因縁の戦いなどを超越した勝負の気持ちがあった。

 試合は、立ち上がりこそ、稲葉の先制点でファイルがリードしたが、圧倒的にフィジカルに勝る大洋薬品バンフは、ファイルの疲れが見えた後半に逆転、4-2でファイルを一蹴した。堅守誇ったファイルであったが、ブラジル人マルキーニョスにハットトリックを許してしまった。ファイルは覚悟していたとはいえ、一つの時代が終わったと感じたことであろう。結果的には、小宮山、稲葉がバルドラール浦安、伊藤がデウソン神戸、遠藤がステラミーゴいわて花巻に移籍して行った。

 続く準決勝第2試合は、関西の雄マグと、初出場ながら選手権に入ってから調子を上げてきた関東の府中アスレティックとの戦いとなった。

 府中アスレティックは、マグとはほとんど因縁はなく、むしろ、すでに大洋薬品バンフが決勝進出を決めたのを見て、より大きな舞台に立ちたい気持ちが強くなったに違いない。個人的には、来期を考えたとき、まずはここで成績を残し、アピールしなければならない思いもあったろう。実際、この年、府中アスレティックは、前田喜史、完山徹一、小山剛史がなんとそのバンフ(名古屋オーシャンズ)に移籍している。もっとも、これは偶然ではない。参入組から選手を獲得して、食い合うのではなく、落選組から選手獲得をする市場原理が働いたものである。のちの話になるが、地域リーグから選手の大量移籍が始まるのであった。

 試合は、モチベーションに勝る府中が前半を3-0でリード、有利に後半を迎えた。しかし、マグもこのまま黙っているわけにはいかない。関西リーグ4連覇、Fリーグ参入のプライドもある。後半はついに同点に追いつき、4-4の延長戦に入る粘りを見せるのだった。そして、迎えた延長戦、お互い5ファウルを持ち越す壮絶な戦いとなり、最後は完山の第2PKで府中がこれを制し、決勝に駒を進めた。

 こうして、翌日、決勝は、参入組対落選組、名古屋対東京の戦いとなった。奇しくも、2016年シーズンのプレーオフ同士の戦いである。結果は、後半0-1から府中アスレティックが一時期同点に追いつき、会場は騒然となった。なぜなら、府中は退場者を出してフィールドプレーヤー3人となりながら、前田のコーナーキックから同点にしたからである。その後も府中は再三良いチャンスを作った。しかし、さらに追加点を奪われ、残り4分、前田のパワープレーで府中は追いつこうとする。

 いつしか、会場は完全に府中贔屓になった。むろん、場所が東京ということもあろう、強いバンフに対する判官贔屓ということもあろう、恐らく、この時から、大洋薬品バンフ、のちの名古屋オーシャンズは、リーグのヒール役になったのではないだろうか。そして、この雰囲気が、2年後の同じ選手権決勝、名古屋オーシャンズ対フウガで再現するとは、駒沢体育館を埋め尽くした2500人の観客は誰も想像できなかった。

 結果は3-1でバンフが勝利、天下統一の証の一冠を手に入れるのだった。大洋薬品バンフには、喜びもあったが、プロチームはヒールといわれようとも勝たねばならないプレッシャーからの開放、安堵感の方が大きかったのではないだろうか。

 決勝戦前の3位決定戦では、時代が変わる象徴的な出来事があった。それは、マグがファイルに勝って3位になったことばかりではない。ファイルフォックスの板谷竹生が今シーズン限りで引退を表明したことであった。板谷といえば、1998年第3回の選手権で藤井率いるルネス学園甲賀フットサルクラブが優勝したときのメンバーで、その後、ファイルフォックスに移籍、以来、4度のファイルフォックスの優勝に貢献、競技フットサルの草分け的存在でもあった。板谷は、Fリーグができて、自分の力では上へ行けないことを悟り、料理人の道を選んだのだという。恐らく、十分やりつくした満足感があったのではないだろうか。

 フットサルの世界には、プロサッカーやプロ野球と違って、明確に振るい落とされるピラミッドの仕組みがない。自分で結末をつけなくてはならないのだ。しかし、Fリーグ設立は、確実に振るい落としを促し、時代は変わろうとしていた。

 お宝写真は、運命的に残ったベスト4チームのキーマンの写真にしよう(提供 フットサルナビ)。

 まず、Fリーグ参入組の大洋薬品バンフはなんといっても外人組である。彼らの活躍なくして初優勝はなかったであろう。ボラ(のちに湘南ベルマーレ、ペスカドーラ町田)、マルキーニョス(のちにペスカドーラ町田)、山田ラファエル(のちに府中アスレティック)、山田マルコス勇滋(のちに府中アスレティック)、森岡(当時はペルー国籍)などの面々である。

 次に、マグは監督兼選手の原田健司である。原田は、そのままFリーグ発足時のシュライカー大阪の初代監督となった。引退後は奈良県で自らクラブを立ち上げて指導者として活動している。

 一方、落選組の府中アスレティックのキーマンは完山である。完山は鳥取県の出身で、足技で有名な奥山蹴球団に所属、どうしても関東で活躍しようと2004年に上京してきて、府中アスレティックに入団した。準決勝のマグ戦では、2得点を挙げ、決勝進出の立役者となった。完山はご存じのとおり、翌年には名古屋オーシャズに移籍、その後、戻って現在に至っている。

 ファイルフォックスは、このシーズンを機に引退した板谷である。この大会における板谷の活躍は目覚ましいものがあった。難波田の抜けた穴を完全に埋め、チームを3位に導いて、彼にとっての優秀の美を飾った。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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