2016.04.01 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第11章「その2:Fリーグ開幕イヤーの全日本選手権でまみえた“参入組”vs”落選組”」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2006年12月17日、栃木県清原体育館にて、第12回選手権関東予選最終日が行われた。日本リーグ(以降、日本フットサルリーグを日本リーグもしくはFリーグと呼ぶ)の参入チーム発表から約半月後のことである。関東リーグに続いて、日本リーグが始まる前の最後の特別な選手権が始まったことになる。

 なぜ、特別な選手権かというと、日本リーグが始まるからには、参入チームは、リーグも選手権も日本一になり、いわば天下を統一せねばならないからである。たしかに、降格もない特別に選ばれたチームであるから、無様な戦いはできない。一方、参入に漏れたチームは、意地もあるだろうから、いつにも増して参入チームに対して特別なモチベーションで挑んだのではないだろうか。 

 そんなわけで、この年の関東大会は、参入組のプレデター、カスカベウ、ロンドリーナ、落選組の府中アスレティック、シャークス、準落選組ともいえるファイルフォックス、フトゥーロ、次の参入を狙う新興ボツワナなどが一同に会する熾烈な戦いとなった。

 今回、関東は4チームまで出場できるから、各チームの目標はまずはベスト4に残ることであった。

 まずは、左側の山の準々決勝で参入組対落選組の直接対決が行われた。それは、ロンドリーナ対府中アスレティックで、ロンドリーナはかっての優勝経験者、府中は勝てば初出場が決まるという戦いである。前半は、3-0で経験者のロンドリーナがリード、しかし、ここからがいつもの府中とは違った。それは、来年になると移籍も当然起こるだろうし、落選の悔しさもあり、このままでは終われない一体感が生まれたのである。そして、ベッチーニョ、完山の終了間際の2得点でついに同点、PK戦に持ち込んだのだった。PK戦は、後半の勢いがそのまま持ち越され、ついに府中は選手権初出場の切符を手に入れた。それは、原点である府中水元クラブが選手権出場を逃したのが第4回の1999年であるから、実に9年ぶりの出場を果たしたことになる。日本リーグ参入は果たせなかったが、参入に向けての努力が報われたといえる。

 もう一つの準々決勝はボツワナ対埼玉代表のインペリオであった。こちらもPK戦に突入、壮絶なシュート合戦になったが、最後は関東リーグの強みか、ボツワナがこれを制し、府中に続いて選手権初出場の金星を得た。このときは、まさか3年後に並みいる日本リーグの強豪を倒し、日本一に輝くとは夢にも思わなかったであろう。

 右側の山には、参入組では、カスカベウ、プレデターがいた。落選組には、シャークス、準落選のフトゥーロ、ファイルフォックスがいた。最初の準々決勝は、シャークスを破ったプレデターとフトゥーロを破ったカスカベウの参入組同士の戦いとなった。結果は、前半は4-0でカスカベウのリード、ところがプレデターが猛反撃、ついに5-4と大逆転勝利を納めたのだった。リーグでは結果が出なかったが、監督チャビが前半の戦いぶりを見て、軌道修正、相根、市原、藤井、岩本、GK川原のベテランによるセットを投入、これが効を奏したのだ。一方、カスカベウは、後手に回ったときに見せる専任監督不在の弱点が出て、リズムを変えることができなかった。カスカベウは、大きな不安を抱え、来シーズン始まる日本リーグを迎えることになった。

 右側の山、もう一つの準々決勝は、くじ運に恵まれたファイルフォックスと埼玉代表のフュンフの戦いで、ファイルフォックスは難なくこれを破り、7回目の選手権出場を決めた。何しろ、ファイルフォックスのブロックは唯一関東リーグのチームが一つもいない山だった。

 さて、関東以外の全国リーグ参入組の戦いぶりはどうであったろうか。

 北海道は、落選組といってもちょっと意味あいが違うが、連合予定だったDC旭川とアルーサが実力を発揮、第1代表、第2代表となった。

 東北は、参入組の岩手県代表AMV花巻が、2000年の第5回選手権では小白川FCとして出場、3位になったこともある山形県の古豪パラゴストを破って参入組の面目を保った。パラゴストも、一時は日本リーグ参入を目指したが、環境が整わず断念した経緯がある。

 東海、関西は、下馬評どおり、大洋薬品バンフ、マグが第1代表で、天下盗りを狙う。

 また、九州も、大分エスペランサが順当に第1代表となった。しかし、デウゾン神戸(前身はセレソン神戸)は、施設連盟枠で出場を図ったが、3位に終わり、出場はならなかった。

 結局、参入組で選手権出場ならなかったチームは、関東のカスカベウ、ロンドリーナ、関西のセレソン神戸で、落選組、準落選組で出場なったのは、北海道のDC旭川、アルーサ、関東の府中アスレティック、ファイルフォックスであった。

 こうして、プライドと意地がぶつかりあう特別な2007年の第12回選手権が始まろうとしていた。

第12回選手権パンフ

 お宝写真は、第12回選手権のパンフレットの中で紹介された2006年フットサル界10大ニュースにしよう。2006年は全国リーグ発足決定、アジア選手権初優勝など、エポックとなるニュースが数多くあった。まず、第1位は、日本フットサルリーグ参入8チーム決定であった。続いて、アジア選手権初優勝、木暮の初のアジア年間最優秀選手選出と続いた。4位には、プロフットサルチーム大洋薬品/BANFF発足、5位、6位には、地域チャンピオンズリーグ北海道初優勝(DC Asahikawa)、プレデター全国選手権初優勝と続いて、7位は、海外三銃士(木暮、小野、鈴村)がスペインに集結が入った。8位は異色で、府中アスレティックが全国リーグ参入落選となり。9位はブラジル代表の日本での親善試合が取り上げられ、ファルカンに注目、観客は9000人とあった。10位は。2007年にアジア選手権初の日本開催が報じられ、番外で女子芸能人フットサルリーグ開幕が取り上げられた。

 こうしてみると、話題満載、順風満帆の日本フットサルリーグ発足前の2006年つまり約10年前であった。10年経過した今、話題が欲しいものである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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