2016.02.24 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第10章「その5:2006年、全国リーグ設立が正式発表。本格化していく“場外の戦い”」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2006年4月19日、JFAハウスにて、記念すべき記者会見が開かれた。それは、日本サッカー協会が正式に全国リーグ設立を正式決定表明の記者会見で、日本フットサル連盟の大仁会長より説明がなされた。すでに何度も述べたかも知れないが、1996年に第1回選手権が開催されてから10年目のことである。

 説明によれば、スケジュールは2006年7月に参加条件の発表と公募開始、参加チームの決定は11月、シーズンスタートは翌年の2007年9月からで終了は翌年の3月であった。シーズンスタートをサッカーと違って9月としたのは、外国人選手の移籍を考慮し、最初から諸外国のシーズンに合わせる配慮をしたからである。

 おおむね、噂されていたリーグ概要と同じであったが、参加チームの経費予想が示され、年間予算は4500万円、リーグに対して供託金(会費)として年800万円が必要とされた。また、2000人収容規模の体育館での安定開催の条件は変わらなかった。いずれにしても、時期が明確になり、いよいよ「場外の戦い」が本格化することとなった。

  さて、ここで発表された参加条件について、関東三国志の視点で見てみよう。何か、全国リーグの本質が見えてくるかも知れない。

 実は、参加条件は全国リーグ設立の牽引役となってきた関東フットサル界にとってあまり有利な条件ではなかった。

  それは、おおげさにいえば、日本の産業構造すなわち東京都を中心とした関東への人口一極集中と関係がある。つまり、2000人規模の体育館というと、都会では土地代や歴史的経緯からなかなか存在しないこと、また、存在したとしても人口が多いから、既存のスポーツで利用されており、フットサルの時間帯を割くことが非常に厳しい課題があった。

 一方、地方は経済活性化の名目で箱物行政が行われ、2000人規模の体育館はいくつも建設されていた。また、人口が少ないから、フットサルの時間帯も容易に確保できる。このように、フットサル人口の多い都会では体育館を確保しにくく、フットサル人口が未開拓の地方では、体育館は確保しやすいアンバランスな関係にあったのである。

 実際、のちのことになるが、府中アスレティックおよび小金井ジュールは2000人規模の体育館の確保ができず、最初の参入では落選してしまった。また、体育館が確保できずに、確保できそうな地方に移ろうとして失敗したチームもいくつかあった。

  次に、人口集中問題は選手にも及ぶ。当然といえば当然であるが、フットサル競技人口は一般の人口に比例して関東は多い。それは、都県リーグのチーム登録数、フットサル施設数などからも証明できる。また、フットサル競技は、個人技、戦術等の知識が重要となるスポーツであるため、情報を求めて優秀な選手の集中化が起こりやすい。関東の技術レベルが高くなり、関東リーグが隆盛した一因ともいえる。したがって、全国リーグ参入を目指すチームが逆に関東の選手を獲得したくなるのは自然の流れで、実際、関東から地方への人材流出が行われる結果となった。すでに、紹介したとおり、大洋薬品バンフの定永、森岡、北原、上澤などがその例である。

  このことは、全国リーグ設立が、全国平均の技術レベル引き上げには効果的であるが、同時に集中的にレベルの高い試合を見る機会は減少させることを意味する。つまり、技術レベルという点でも、バランスを欠く課題を内在しながらスタートすることになる。

  さらに、人口集中問題はスポンサー確保にも影響する。それは、都会には、全国区の企業が集中しており、スポンサー候補の会社も多いが、競争相手のスポーツも数多く存在する。例えば、サッカー、バレーボール、バスケットなどである。フットサルはこれらスポーツと競争して企業のスポンサードを獲得しなくてはならない。ましてや、都会には、楽しそうな娯楽は山ほどある。 

 一方、地方はどうか。スペインやブラジルほどではないが、地方には全国レベルのプロスポーツはまだまだ根付いていない。名古屋オーシャンズのオーナー大洋薬品工業の新谷社長(当時)は、飛騨の高山に名古屋オーシャンズの本拠を置きたかったという。高山には、大洋薬品の工場があるのだ。以前、スペイン事情で書いたと思うが、日本も地方の有力企業が全国レベルの情報発信を目指して、フットサルクラブのスポンサードを行う可能性は高い。大洋薬品と同じような例で、エスポラーダ北海道の有力スポンサー、レオックも今でこそ全国区の企業になっているが、創業は北海道であり、代表取締役小野寺眞吾(当時)は北海道出身である。

 かくて、スポンサー確保も、関東よりも地方の方が優位に進められる構造となっている。

 このように考えると、このフットサル全国リーグは、現在、盛んに言われている中央と地方の関係、地方分権がどのように進み、地域の経済活性化がどのように進むのかといった問題と全く無縁のものではない。

 いずれにしても、どの程度、関東のチームが参入し、どの程度、地域に分散されるのか、早くも注目が集まる記者会見であった。

 お宝写真は、4月19日の全国リーグ設立決定の記者会見の模様にしよう。(フットサルナビ提供)写真は、左から、当時の大仁日本フットサル連盟会長、松崎フットサル委員会委員長、塩谷フットサル連盟常任理事事務局長である。今(2016)、この記者会見から約10年が経過した。

 振り返ってみると、2003年1月に日本代表がブラジル遠征を敢行、そこに大仁が帯同、フットサルの理解が深まり、急ピッチに日本代表、全国リーグ設立の整備が行われた。松崎は、Jリーグの審判を務め、自らもフットサルを楽しみ、フットサルでも全日本選手権決勝戦の笛を吹くなどフットサルに精通、塩谷はスーパーリーグの立ち上げから関東リーグの隆盛に尽力と、この3人は全国リーグ立ち上げの最強トリオではなかったか。むろん、現時点ですべてがうまく行っているわけではないが、関係者の努力があって、ここまで来たのだと思う。

 しかし、先ごろ、サッカー協会会長になった大仁が規定どおり退任になったことに象徴されるごとく、フットサル界もこれからは選手のみならず、あらゆる層で世代交代が起こる頃になってきた。JリーグをモデルにしてきたFリーグはこれからどんな方向に進もうとするのだろうか。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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