2016.01.29 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第9章「その11:苦節7年……。初出場で日本一になったスター軍団・プレデター」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2006年2月5日、代々木競技場第1体育館で第11回全日本フットサル選手権が行われた。

 本大会は、メイン会場が従来の駒沢体育館からキャパシティの大きい代々木の体育館に移ったばかりでなく、さまざまな変化があった。1つはチーム数が16チームから20チームに増えたこと、開催場所も予選リーグが関西、決勝トーナメントが関東と分散開催となったことである。また、施設との連携を深める意味から施設連盟選手権1枠、育成の観点から大学選手権枠が関東、関西で2枠が設けられた。これは、施設連盟選手権大会および大学選手権優勝チームが出場できるというものである。ますます、フットサルは盛り上がりを見せるのであった。

 チーム分布を見てみると、関東は、前年優勝枠があるので4チーム出場、以下、北海道、東北、東海、関西、九州、大学選手権枠が2チーム、北信越、中国、四国、九州が1チーム、施設連盟枠が1チームの合計20チームである。その20チームは、4チーム5グループに分けられ、予選リーグを戦う。関東4チームは5グループのうちの4グループに振り分けられることとなる。また、決勝トーナメントは、各予選グーループ1位5チームとワイルドカード3チームの8チームで行われるレギュレーションとなった。

 まず、フォルサ、プレデター、カスカベウは各予選グループを1位で勝ち上がった。しかし、ロンドリーナは北信越の新潟ナポリに1位を奪われ、ワイルドカードで上がる遅れをとった。関東チームがいない唯一のグループは関西の高槻松原FCが勝ち上がった。また、ワイルドカードの2位、3位は、九州のスポルバ21、北海度のアルーサであった。

 この時点では、決勝トーナメンントに関東4チームが残ったことなるが、トーナメントのつぶしあいが1つくらいはあるはずである。なんと、そのつぶしあいは、昨年、都予選で当たったフォルサ対カスカベウとなってしまった。当時、大物助っ人ブラジル人招聘で話題を呼んだフォルサであったが、この時はカスカベウに敗れて選手権には行けなかった。

 しかし、カスカベウも関東予選でロンドリーナに敗れ、結局両チームとも選手権には行けなかった経緯がある。その2チームが、今年は決勝トーナメント1回戦で当たるのである。

 実は、因縁はそれだけではない。さらにその2年前、第9回の選手権、この時は、予選リーグだったが、バンフ東北とカスカベウが対戦している。すでに述べたようにフォルサはバンフ東北の流れを汲むチームで、監督はオスカー、選手も比嘉、沖村リカルド(のちに湘南ベルマーレ、通称シニーニャ)、柴山、前田など重複しており、そもそもバンフの支援を受けているチームである。この時は、バンフ東北がカスカベウを破り、カスカベウが予選リーグ敗退となってしまった。

 因縁はまだまだ続く。本誌冒頭でも述べたようにフォルサのオスカーとカスカベウの甲斐は、8年前の1998年、アズーで第3回選手権に一緒に出場していた仲であった。その後、2人はファイルフォックス、カスカベウを設立した。ちなみに、バンフの桜井はカスカベウを応援していた時期もあった。

 そんな因縁対決は、若いブラジル人助っ人2人を擁して戦力に厚みを増したフォルサに軍配があがり、カスカベウは2年ぶりの選手権だったが、またしても決勝の檜舞台に上がることはできなかった。長くて厳しい通年リーグ戦を戦ったあとの選手権の難しさを味わうカスカベウであった。一方、フォルサは、カスカベウを破った勢いのまま、ついに決勝まで駒を進める。

 ロンドリーナは、カスカベウとは逆に関東リーグ上位リーグ全試合欠場の実践不足が響く結果となった。関西の高槻松原FCに敗れたのである。プレデターはその高槻松原FCを破り、こちらも決勝まで駒を進め、ついに第11回選手権は関東同士の対決となった。

 試合は、先日引退発表した高橋健介が開始1分で先制点、プレデターが主導権を握る。しかし、直後に市原誉昭が負傷退場、暗雲が立ち込める。だが、ベテラン藤井健太がこれを良くカバーして、6分に縦のスルーパス、これにミスタープレデターの岩本昌樹がドリブルで駆け上がり2点目、さらに岩本がFKで3点目、前半は3-0、プレデターリードで終える。

 結局、前半のリードがモノを言って、4-2でプレデターがフォルサを下すのであった。設立して7年、ついに設立当初の思いを達成したのだ。三国志が始まって以来、選手権を目指して次々とチームが勃発、府中水元クラブ、ファイルフォックス、カスカベウ、ロンドリーナがその思いを達成して来たが、プレデターは優勝どころか出場さえ叶わなかった。

 それが、今回初出場、初優勝の快挙を成し遂げたのには理由がある。それは、ここ2、3年、全国リーグ参入を睨んで、会社組織化、選手との契約制度の確立など運営面の充実と、市原を始めとする戦力の強化など用意周到に準備を進めてきたからである。特に、戦力面では、東海からGK川原永光の獲得、関西から藤井の獲得に代表されるよう攻守のバランスへの配慮と、日本人で固め、コミュニケーションの醸成を図ったことが強みとなった。

 これは、監督塩谷が何年か前、日系ブラジル人を助っ人に起用、成果が出なかった経験が影響しているように思う。ちなみに、この時のプレデターのメンバーを見てみよう。GK川原永光、冨金原徹、FP安藤信仁、平塚雅史、市原誉昭、藤井健太、福角有紘、中島孝、相根澄、岩本昌樹、清水誠、帖佐浩二郎、高橋健介である。これだけのメンバーを掌握、監督できるのは、塩谷ならではといって良いだろう。

 一方のフォルサは、助っ人ブラジル人の強化はあったものの、2セットを充実させて組める戦力強化までには至らず、疲労は蓄積していった。また、助っ人だけにコミュニケーションに難があり、これが敗因になったのではなかろうか。

 日本人で固めたプレデターと日系ブラジル人を含む外国人を中心に戦うフォルサとの対決、これはFリーグのバルドラール浦安と名古屋オーシャンズの戦いに通ずるものと考えると、大変興味深いものがある。

 いずれにしても、プレデターにとっては、苦節7年、全国リーグ参入に向けて大きな勲章を手に入れることができた。一方、ファルサの支援者バンフの桜井は、全国リーグに向けて、東京で参入するか東海で参入するか決断を迫られることとなった。

 全国リーグ参入に向けた場外の戦いはすぐそこまで来ていたのである。

 さて、お宝写真は、バルドラール浦安のGMと紹介するのではなく、プレデターの塩谷監督と紹介する。読者の中には監督のイメージはないのかもしれないが、全日本選手権優勝監督なのである。この写真は、フットサルナビのインタビュー記事の写真であるが、インタビュー記事で塩谷はこう述べている。「やはり、感慨深いですね。うれしかった。特に帖佐や岩本など生え抜きのメンバーがチームを引っ張ってくれたので」苦節7年の実感であろう。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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