2016.01.20 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第9章「その9:PUMA CUPを目指して——。関東4チームそれぞれの特別な想い」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2005年12月10日、選手権関東予選が始まった。この年は関東からは4チームが全国へ行ける。東京都は、府中アスレティック、フォルサヴェルチバンフ(以降フォルサ)、そしてカスカベウが関東予選に進出した。なお、ファイルフォックスを退けたボツワナは関東予選まで進むことはできなかった。また、フォルサは、監督はオスカーで、昨年、バンフのゼネラルマネージャー桜井が大物ブラジル人招聘で話題を呼んだが、予選敗退したチームである。

 神奈川は、県予選ロンドリーナとブラックショーツの決勝だったがロンドリーナが勝ち上がった。千葉は定番のプレデターと柏である。以下、茨城のマルバ、レタドール、埼玉の高西クラッシャーズ、群馬のBFC KOWA、山梨のフュンフバイン、栃木のユズハフットサルと続き、東京3、千葉2、茨城2、あとは各1の合計12チームでまずは4ブロックの予選リーグ、そして決勝リーグ進出をかけて争うこととなった。

 さて、今年の注目は、なんと言っても昨年の2004年、江藤政博、安藤信仁、福角有鉱と日本代表クラスを獲得、2005年に入って川原永光、そして10月にはマグから関西の雄、藤井健太を獲得したプレデターの動向である。いつも予選でつまずくことが多かったが、高西クラッシャーズには1-1で引き分けたもののロンドリーナには4-2で快勝、決勝リーグに駒を進めた。結局、決勝リーグは、フォルサ、府中アスレティック、ロンドリーナの組とカスカベウ、プレデター、BFC KOWAの組み合わせになった。そして、ここでも、関東リーグと同じように、プレデターと府中アスレティックは、明暗を分けてしまった。府中アスレティックは、ロンドリーナに引き分けたものの同じ東京のフォルサに1-3で敗れ、初出場の全国切符を逃す。

 一方のプレデターは、BFC KOWAに4-1、2年前敗れたカスカベウを1-0で下し、初の全国切符を手に入れる。残りの3枚は、決勝リーグ1位となったフォルサ、ワイルドカード1位のカスカベウ、2位のロンドリーナが手に入れた。

 こうして、フォルサ、プレデター、カスカベウ、ロンドリーナ(抽選で順位を決めた順)の4チームが、第11回選手権関東代表となったが、彼らには選手権に対してそれぞれの熱い想いがあった。

 まず、フォルサ、監督はオスカーで、9回大会に優勝したバンフ東北の流れを汲むチームである。しかし、選手権だけの臨時チームと揶揄されたこともあり、全国リーグを狙うには地域リーグに根ざし、そこで実績を挙げねばならなかった。しかし、昨年は東京都予選で敗れている。いよいよ、全国リーグが現実味を帯びてきたこの時こそ、全国優勝が必要であった。ちなみに、この予選でラファエルサカイという選手が出場、大活躍したが、彼は、名古屋オーシャンズの帰化した酒井ラファエル良男である。

 全国リーグ参入の実績作りの想いはプレデターも同じである。しかし、そればかりではない。プレデターは選手権には特別な思い入れがあった。それは、代表の塩谷は、スーパーリーグを立ち上げ、関東リーグを盛り上げ、通年リーグ隆盛に力を注いだが、チーム立ち上げのきかっけは選手権だったからである。2008年こそ関東予選進出はならなかったが、チーム結成以来7年、千葉代表として関東予選に毎年挑戦、ことごとく東京勢に予選突破を阻止されてきたからである。

 カスカベウは、2001年の第6回選手権優勝、2002年度第4回関東リーグ優勝、2003年地域チャンピオンズリーグ優勝と勢いのあった時代から、2シーズンが経過、無冠に終わっている。その間、ライバルのファイルフォックスは選手権2回優勝、しかも昨年は3冠を達成している。関東リーグは現在のところ上位リーグ1位であるが、優勝の保証はない。ここはどうしても決勝大会の結果が欲しい。

 最後のロンドリーナは、選手権への想いもあるが、別の想いもあった。それは、自ら招いた種とはいえ、関東リーグをペナルティで上位リーグ出場を取り消され、さらに各試合勝ち点-3を課せられる悔しさを味わっていた。ここは、選手権で汚名を晴らしたいところである。

 全国選手権では、どのチームがその熱い想いを達成できるのであろうか。

 さて、お宝写真は、熱い想いの象徴、「PUMA CUP」そのものにしよう。全日本選手権のスポンサーの初期は日産自動車、その後は日本ハム、2004年にはファミリーマートが冠スポンサーになったが、2005年以降はプーマがスポンサーになり、プーマカップという大会呼称にもなった。

 写真のカップは、プーマが初めて冠スポンサーになった第10回大会の時のものであるが、毎年、ほぼ同じ形状のものとなっている。今にして思えば、サッカーで名を馳せたメジャーのPUMA社がフットサルに乗り出した年が2005年、フットサルはいよいよ順風満帆の時代を迎えるのであった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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