2016.01.15 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第9章「その8:“成り上がり”のチャンスだった全国選抜大会」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 選手権東京都予選が終わったほぼ1ヶ月前、2005年9月30日からグリーンアリーナ神戸で第21回全国選抜選手権大会が行われた。地域のチームが出場する方式ではなく、個人を選んで選抜チームを組む方式に切り替わった時期は1999年5月に行われた第15回大会である。以来6年が経過し、何人もの選手が選抜に選ばれてきた。

 フットサルには国体がないので、選抜大会は国体に代わる選手発掘の場であった。残念ながら、現在は、Fリーグに注目が集まりがちであるが、選ばれた選手にとっても日本代表とまではいかないが地域の代表となるため、それは名誉であり、フットサル精進の動機付けになった。この年の大会は、大会優秀選手の選考を日本代表監督のサッポが行う新しい試みも行われた。言葉は悪いが成り上がりのチャンスが選抜大会である。もっとも、フットサルそのものが新興スポーツであり、当時は成り上がりスポーツであった。

 名を成すチャンスの訪れは、必ずしも選手ばかりではない。この大会で名をなす機会を掴んだ人物がいた。それは、カスカベウでコーチ役を務めた前川である。前川は2002年の頃、カスカベウのスタッフであったが、フットサルのコーチングに興味を持ち、勉強していた。その熱心さを買われ、コーチ役に抜擢されたのだった。その後、東京都に誘われ、東京都フットサル連盟の技術部スタッフを務め、ついに第21回の東京都選抜の監督に就任した。前川にとっては、人生を大きく変える転機であり、チャンスでもあった。ここで優勝すれば、選抜大会の優勝監督の称号を得ることができ、やがて設立される全国リーグの監督の道も開けるというものである。

 21回大会というと、その前の20回、19回大会は静岡選抜、大阪府選抜が優勝している。東京都は2年連続2位であった。ちなみに、15回大会は特別に日本選抜が優勝、16回、17回大会は関東選抜、18回大会から地域予選が始まり都道府県の選抜チームが出場するようになり、東京都選抜が優勝、関東勢が3連覇していた。したがって、今回は王座奪還が至上命題であった。

 前川にとっては大きなチャンスであると同時に大きなプレッシャーでもあっただろう。前川は、比較的安定感があって、戦力が計算できる選手を選んだ。ファイルフォックスから、岩田雅人(キャプテン)、小宮山友祐、森岡薫、カスカベウから狩野新、森谷優太、久光重貴、松原君守、府中アスレティックから完山徹一、小山剛史、石渡、シャークスから横山哲久、広瀬孝夫、西野宏太郎、ガロから横江怜、小山剛史、ゾットから渡辺博之らである。また、練習量を比較的多く確保し、関西チームのスカウティングを行うなど精力的に動くのだった。

 その甲斐あって、予選グループは、前年優勝の静岡県選抜とは引き分けたものの、奈良県選抜、山口県選抜を大差で下し、静岡県選抜に得失点差で上回って1位で突破した。ベスト4には、結局、強豪の埼玉県選抜、北海道選抜、静岡県選抜が残り、決勝は再び静岡選抜との戦いとなった。これを、3-2で制し、ついに関東の王座奪還に成功したのだった。前川にとっては、大きなチャンスを生かして目標に一歩近づいた。しかも、翌年も優勝、その翌年は請われてミャンマーの代表監督となり、成り上がりの道を歩むのであった。

 とはいえ、全国リーグが設立されて2年目という早い段階で湘南ベルマーレの監督になるとは想像できなかったに違いない。ましてや、1シーズンを待たずして苦渋の選択を迫られるとは思いもよらなかったであろう。

 一方、名をなすチャンスをこの時は活かせなかった選手もいた。それは埼玉県選抜の上澤貴憲(のちに名古屋オーシャンズ、府中アスレティック)である。上澤は、この大会の優秀選手にサッポから選ばれていたが、日本代表にサッポ時代は選ばれることはなかった。この頃からすでに上澤は、埼玉に技術がありフィジカルにも強い選手がいると有名であった。

 しかし、監督の好みもあったのだろうか、日本代表に選ばれたのは、代表監督がミゲルに代わってからである。ちなみに上澤は、1979年生まれで、同学年の日本代表、木暮賢一郎、小宮山、小野大輔、豊島明、鈴木隆二、濱地裕樹(ロンドリーナ)らに比べて遅咲きで日本代表となっている。

 ところで、2015年10月に行われた第31回大会が神奈川県優勝、これで関東勢3連覇ということで、関東の話題が中心とはなるが少し選抜大会の歴史を少し振り返ってみよう。

 個人の選抜方式に変わった1999年の第15回大会から最初の3、4年間くらいは、魅せるフットサル、フットサルを知らしめる時代だったといえる。1999年の第15回大会には、第1回アジア選手権の日本代表チームが日本選抜として特別枠で出場、関東選抜と決勝となった。(優勝は日本選抜)

 第16回大会は関東選抜、第17回大会から都府県単位になり、17回、18回と東京都選抜が優勝したが、当時は錚々たるメンバーが名を連ねていた。上村信之介、甲斐修侍、相根澄、難波田治、前田喜史、金山友紀、稲田祐介、小宮山、木暮、定永久男、遠藤晃夫、石渡らである。俺達がやらねばとフットサルそのものが成り上がるために選出された選手達といっても過言ではない。

 次の時代は、意識的に代表クラスは外し、中堅から若手の育成を図る時代となった。この時代は3、4年ほど続き、第19回大会からFリーグが誕生する前の年の22回大会くらいまでであろうか。森谷、狩野、久光、西野、横江怜、小山剛史、吉成圭ら、Fリーグの中堅を担う選手が選出され、育って行った。

 そして、Fリーグ設立以降の時代である。この時代からは基本的にはFリーグの選手は選ばれることはなくなった。つまり、Fリーグ以外の地域のチームの強豪から選手が選ばれる時代になってきた。東京都でいえば、フウガ、カフリンガ、ゾットらの新興勢力の時代になった。

 例えば、2010年の第25回大会は、フウガから太見寿人、関健太朗、金川武司、深津孝祐、星龍太、渡井博之、諸江剣語、大黒章太郎と8名選出されている。また、カフリンガからは垣本右近、夏野雅生、佐藤嘉孝、原義直、ゾットからは荒木淳が選出された。この時の監督は、現在Fリーグのフウガドールすみだの監督、須賀雄大であった。

 そして、現在、第31回大会は、神奈川県選抜(監督鈴木正太・・コロナフットボールクラブ権田)、その前の年は群馬(監督岡田サントスジオゴ・・元湘南ベルマーレ選手兼監督)、その前の29回大会は東京(監督清野・・ゾット)と関東勢が3連覇している。

 ちなみに、1999年の15回大会からの歴代優勝都府県を並べてみよう。15回:日本選抜、16回:関東、17回&18回:東京、19回:大阪、20回:静岡、21&22回:東京、23回:静岡、24回:北海道、25回:東京、26回:京都、27回:神奈川、28回:大阪、29回:東京、30回:群馬、31回:神奈川となっている。実に17回中10回、関東勢が優勝していることになる。

 残念ながら、注目はFリーグに移りがちであり、地域と全国には壁がある。しかし、いつまでも成り上がるチャンスの選抜大会であって欲しいと思う。

 さて、お宝写真は成り上がりへの道を歩んだ当時の東京都選抜の監督前川義信にしよう。そもそも成り上がりという言葉は、フットサル専門雑誌フットサルナビで使われた言葉で、1DAY大会でいかに勝つかその極意を前川が解説したときのものである。(写真もフットサルナビ提供)

 実際、前川は、指導について良く勉強しており、スペインに何度も留学、湘南ベルマーレの監督以降、今やサッカー協会のB級コーチの指導者講習会のインストラクターを務め、つい最近では、第11回全日本女子フットサル選手権で福井県の丸岡RUCKレディースの臨時コーチを務め、2位に導くなどの活躍をしている。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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