2015.12.18 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第9章「その4:初めて”イラン越え”を果たした第7回アジア選手権。木暮がアジアMVPに」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 第7回関東リーグが始まる1ヶ月前、2005年5月22日から恒例の第7回アジア選手権が開催された。開催場所はベトナムで、ホーチミン市だった。

 すでに気付いている読者もいるかも知れないが、関東リーグも第7回、アジア選手権も第7回を数え、ほぼ歩みをともにしている。実際にはアジア選手権の方が1年早く始まっているが、関東リーグは当初通年リーグでなかったため、回数はあとから追いついたのである。それはともかく、関東リーグが隆盛を迎えると同時にアジア選手権も隆盛を迎え、第7回の参加国は24カ国となった。参加国が多くなったので、これを最後に地域予選方式(日本は東アジア地区)に切り替えられたから、第7回大会が地域予選のない1つの大会方式の最後となっている。

 メンバーは、当時のチーム力を反映して、ファイルフォックスから、GK定永、鈴木、稲葉、プレデターからGK川原、藤井、高橋、カスカベウから金山、府中アスレティックから伊藤、あとはGK石渡(シャークス)、比嘉(琉球FC)、そして海外組の小野、鈴村、木暮であった。第6回大会から比べると相根、市原、前田、難波田、稲田のかわりに小宮山、高橋、鈴木、伊藤が入った勘定になるが、若返りとはいえ、まだまだ代表から遠ざかるには惜しい選手達ばかりである。

 メンバーを見てみると、前年度ファイルフォックスの優勝および府中アスレティックの躍進から、ファイルフォックスから稲葉の復帰、鈴木の初選出、府中アスレティックから伊藤が選ばれた。一方、若返りからか、相根、難波田、前田が外れた。また、監督は世界選手権出場で一区切りをつけたことで交代も噂されたが、サッポの続投となった。

 世界選手権出場の目標から次の目標を見つけるのはなかなか難しいものがある。しかし、日本には大きな宿題が残っていた。それは、イランを破ってアジアチャンピオンになることだ。なにせ、第1回から第6回までアジア選手権は全てイランが優勝、日本はイランに8連敗中(アジア選手権、その他の大会含む)という状況である。したがって、この大会は優勝の期待が高まった。

 しかし、結果は残念ながら決勝戦0-2でイランに敗れ、またしても2位に終わった。2位は4年連続である。だが、予選リーグでイランと対戦、これは3-1で勝利し、実に7年かけてようやく初勝利することができた。そこで、この歴史的な勝利を少し振り返ってみる。

 予選2次リーグ、 いきなりの直接対決であったが、日本の方が落ち着いた戦いぶりを見せ、イランは王者の驕りか強引な攻めが多い戦いぶりとなった。

 前半は、 スコアこそ0-0だったが日本の方が得点を予感させるシーンが多かった。むろん、イランも惜しいシーンはあったが、遠めからの強引なシュートが多く、崩して点を取るような姿勢が感じられない。あいかわらずサムシャイーへのピヴォ当て頼りのイランであった。

 後半6分、落ち着いて敵のスキを狙っていた甲斐があり、日本がついに先制点を奪う。木暮の小野へのピヴォ当てを小野が落として木暮がドンピシャの先制シュートであった。2人のコンビネーションはこれまでもいいところがあったが、恐らく2人の中でも最高のシーンとなるのではないだろうか。

 さらにその1分後、今度はカウンターから藤井が左サイドを駆け上がり、最後は中央での折り返し、これを木暮が滑り込んでゴールに押し込み、2点目を奪う。あせるイランはますます強引なシュート。その1本がズドンと決まって1点返す。この1点はさすがの川原も取れないくらい破れかぶれに打ったものだった。

 後半残り7分、 このイランが2-1にした直後の藤井の1点が大きかった。イランのボールをカットして日本の速攻、ドリブルで上がった藤井が直接グランダーのシュート、これが決って再び2点差とする。 最後はヘイダリアンがパワープレー、日本は5ファウルから第2PKをシャムサイーが蹴るなど危ないシーンもあったが、集中力で凌ぎ、ついに歴史的勝利を納めるのだった。

 この時のイラン戦勝利、よく年の優勝の理由は、ほぼ同一メンバーで戦ってきたチームワーク、コンビネーションの勝利といえる。実際、多くのワンツーやパスワークで崩す得点シーンが見られ、チーム力の進化が窺える戦いぶりであった。そして、予選2次リーグ1位突破して迎えた準決勝が、前回のコラムでお伝えしたキリギス戦で、高橋の印象に残るゴールで決勝進出、再びイランと対決となったわけである。

 振り返ってみれば、関東リーグがアジア選手権優勝、世界選手権出場の夢に向かって、関係者の努力で通年リーグ化を果たし、その刺激が全国に波及、その象徴である代表メンバーはこの7年をその思いで戦ってきた。そして、絶頂と位置付けた第7回関東リーグが始まり、その結果が翌年のアジア選手権優勝で花開くわけであるから、実に関東リーグの隆盛とアジア選手権の成績さらにはアジアのフットサルの隆盛は軌跡をともにしているといっても過言ではない。

 個人的にも、この年、木暮が日本人選手として初めて大会MVPに選出された。その得点数は試合数も多かったせいもあるが21得点で、イランのサムシャイーに1点差と迫るものであった。ちなみに木暮は、第8回もMVP、その成績から年間のアジア最優秀選手、第9回はついにイランのサムシャイーを抜いて得点王となり、彼もまた絶頂期を迎える。

 しかし、今にして思えば、チームにしても選手にしても、この頃がピークであり、2008年のワールドカップ(世界選手権)より早くピークを迎えてしまったのかもしれない。日本代表は翌年の優勝を境に次第に力を落としていくのであった。なお、イランは、この第7回大会あたりから、若手に切り替えつつあり、ベテランのサムシャイー、ヘイダリアンはメンバーであったもののどちらかというと黒子役にまわるようになった。また、ヘイダリアンはこの大会のあと、引退してしまった。結果的には早めの若手への切り替え、その差が2008ワールドカップの結果になって現れた。

 さて、お宝写真は、この大会で日本人初のMVPに選ばれ、表彰を待つ間の木暮にしょう。隣は、イランのシャムサイーで、彼は得点王であった。木暮の表情は、MVPの喜びよりも、またしても優勝できなかった無念の表情が顔に出ている。その無念を晴らすには、あと1年を待たねばならなかった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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