2015.12.09 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第9章「その1:ボツワナの北原亘とゾットの清野潤。2人の運命を変えた関東リーグ参入戦」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 ファイルフォックスが世界に挑戦したインターコンチネンタルカッの約1ヶ月前、日本ではすでに新たなシーズンに向けた動きが始まっていた。

 まずは、2005年3月15日から第7回関東リーグの参入戦が始まった。関東リーグから参入戦に回ったチームは、11位のゾット、12位の柏RAYOであった。ゾットは、苦労して昇格、次代を担うホープと目されながらわずか1年で降格の危機にさらされることとなった。

 柏も、千葉が選抜からチームとして参入できるようになった第2回からずっと出場、維持してきた座を明け渡すかどうかの瀬戸際に立たされた。(柏は当初、キューピーと名乗っていたが、第5回から柏と名称変更、また、メイクナインのメンバーを吸収、戦力強化を図っていた。) 

 毎年、参入戦はドラマがあるが、今年はどうであろうか。

 まず、第11位グループ、こちらはいきなり、ゾットと昨年降格した小金井ジュールが1回戦で対戦、ゾットはあっさり0-1で敗戦、あえなく降格となってしまった。しかし、その小金井ジュールも、決勝で茨城の伏兵サルバトーレ・ソラに1-3で敗れ、復活はならなかった。ちなみに、千葉のセニョールイーグルスも復活を狙ったが、翌年参入を果たす権田FC(改名してコロナFC/権田)に敗れ、復活はならなかった。結果的に参入を果たしたのは伏兵茨城のサルバトーレ・ソラとなった。

 次に第12位グループ、注目は1回戦のボツワナ対高西クラッシャーズ戦であった。ボツワナは、前回の参入戦には渋谷ユナイテッドで出場していた北原が戻ってきており、大幅に戦力強化、東京都1位で参入戦に出場している。一方の高西クラッシャーズは、前回は決勝でブラックショーツにPK負けで昇格を逃し、しかも2年連続PK負けという苦い経験がある。結果は、前半にリードされた高西クラッシャーズのパワープレーが裏目に出て、ボツワナが8-2の大差をつけて勝利、決勝にコマを進めた。一方の柏は順当に勝利して、同じく決勝にコマを進める。決勝は、ボツワナ対柏となったが、ボツワナの勢いはとまらず、7-3で勝利、ボツワナが参入を決めた。

 これで、2年連続、参入戦にまわった関東リーグのチームが生き残って戻ってくる例を作ることはできなかった。それだけ、昇格したいチームの気持ちが強いということであろうか。民間大会の王者ボツワナは、前評判どおり、強さを発揮、多少の回り道はあったもののいよいよ公式のひのき舞台に上がることになった。

 戻ってきた北原にとっては、この昇格は人生の岐路を変える出来事となった。前年の渋谷ユナイテッドでの参入戦の敗戦は、悔しかったといってもまだ学生時代の話であるから、趣味の一つの出来事と言えなくもない。しかし、目前に卒業、就職を控えての関東リーグ一部昇格であるから、このままフットサルを続けるのかどうか相当迷ったに違いない。しかも、全国リーグが立ち上がる見込みもあり、チームメイトだった稲葉はすでに日本代表、ファイルフォックスで日本一といった刺激もある。

 結果的には、とりあえずは仕事とフットサルの両立を選び、仕事をしながら関東リーグを戦ったが、厳しい日々が続いた。いったんはフットサルがしやすい会社に転職したが、最終的には会社を辞めてフットサルの世界に飛び込んだ。

 現在、フウガの監督となっている須賀雄大の話によると、北原をフットサル界に引き入れたのは、当時チームメイトだった須賀と金川武司だという。ある日、北原の家を尋ねて、これからのフットサル界の未来と北原の才能を熱く語ったという。実を言うと彼らも会社を辞めたのだった。ついに、北原も仲間とフットサルを取ることを決心、そして、名古屋オーシャンズのキャプテン、日本代表ではなくてはならない存在になった。

 ボツワナとほぼ同じ世代で構成するゾットは、1年でそのひのき舞台から降りることになった。チーム代表の清野は、北原より1年早く昨年昇格したときに卒業、社会人になっている。ゾットはすでに紹介したとおり学生チームだったから、代表の清野とともに16名中9名が卒業、地方勤務になるものもおり、実はシーズン中から戦力低下に悩まされていたのだ。状況はボツワナと全く同じだった。働きながらの関東リーグ1部はやはり厳しいものがあり、運営面にも影響が出てしまった。運営を任せてしまい、行き違いから代表表者会議を無断欠席、そのペナルティで勝ち点3を剥奪される事件も起きた。結果は、降格。

 これが清野の人生を変える出来事となった。清野は、自身が練習になかなか参加できなかったこともあるが、自分が立ち上げたチームが運営面で躓き、このままでは終われないと思ったのであろう、転職を決断したのだった。転職先はフットサルに理解を示してくれ、練習参加に便宜を図ってくれるゾットのサプライヤーであるDalPonteであった。

 清野はこの時の進境をこう語っている。

 「僕は北原のようなすばらしい選手ではありませんし、自分の実力をわきまえているつもりなので自分自身が選手としてトップを目指そうとかいう気持ちは毛頭無く、とにかくこのゾットというチームをもう一度光のあたる場所に戻したいというどちらかというと選手としてよりは、チーム経営面からの想いによる転職でした。自分がしっかり関われなくて夢の舞台が夢のうちに終わってしまった後悔をこのままにするのではなくもう一回チャレンジしてみたいなという気持ちでした。」

 こうして、清野とゾットは茨の道を歩むのであるが、1部に復帰するのに4年もかかるとは彼らも思っていなかったのではないか。2010年には、ゾットは、復帰した関東リーグにおいて、昇格と降格で行き違いになったフウガ(かってのボツワナ)と同じ舞台で首位争いを演じるまでになった。もっとも、フウガはFリーグに2012年に昇格、2つのチームが戦うことは滅多になくなってしまったが。

 清野は、フットサルチームの運営、スクール、サプライ用品の供給などを手がける株式会社ゾットを立ち上げている。現在は、DALPONTEの商標をブラジルから買収、商品の企画製造販売を行う株式会社とジュニアスクールの運営、カテゴリー別のチーム運営、フットサル大会の主催などを行うNPO法人に分けて、両者を経営、実業家の道を歩みつつある。

 北原は昇格でその後はプロ選手の道を歩み、日本代表、名古屋オーシャンズのキャプテン、Fリーグ最優秀選手までになった。清野は降格でフットサル企業経営の道へ人生の岐路を変えた。ちなみに2人は同じ早稲田大学出身である。

 お宝写真は、もちろん、清野と北原の写真である。清野の写真はゾットのホームページより、北原の写真は、関東リーグが関東リーグ専門のプレスを立ち上げたが、その第1号の写真から掲載した。2人はそれぞれの立場、環境は違うが、未だにフットサルへの情熱は燃やし続けている。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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