2015.11.25 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第8章「その3:日本王者ファイル、インターコンチ参戦。アジウ、リカルジーニョとの遭遇」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2005年のインターコンチネンタルカップは、スペインの小都市プエルトジャーノで行われた。マドリッドから300km離れた小都市で、中心部の人口が5万5千人である。昔は炭鉱の街だったが今は農業が産業の中心らしい。

 参加国は、欧州からチャンピオンのブーメラン(スペイン)、2位のベンフィカ(ポルトガル)、南米からカルロスバルボーザ(ブラジル、前年本大会チャンピオン)、マウイー(ブラジル、南米チャンピオン)、北米からピッツバーグ(アメリカ、北米チャンピオン)、そしてアジアからファイルフォックス(日本、仮アジアチャンピオン)である。

 ブーメラン、ベンフィカと同組となったファイルフォックスの結果は、ブーメランに0-7、ベンフィカに0-11で予選リーグ最下位、もう一つのグループとの5位・6位決定戦でピッツバーグに9-0で勝利し、なんとか5位に終わった。優勝はブーメラン、2位マウイー、3位カルロスバルボーザ、4位ベンフィカであった。 

 さて、ここで面白いエピソードがある。ベンフィカ戦の試合後、ベンフィカの監督は、ファイルフォックス監督の松村栄寿に「やろうとしていることはわかるがまだ完成度が低い」と評価を述べた。そして「ファイルフォックスには申しわけないが、こちらにもチーム事情があるので」とも述べた。チーム事情とは、後半残り8分近くなって、5点差のところからパワープレーに出たことを指す。それは、ブーメランが7-0でファイルフォックスに勝っているため、これを上回る得点差の勝利が必要だったからである。実際にパワープレー準備に入ったのは、4点差になったところでそれは残り13分であった。結果的にパワープレーは効を奏し、ベンフィカは11-0でファイルフォックスに勝利した。もっとも、ブーメランとの直接対決では1-8で破れ、予選グループ2位に終わってしまったが。

 さて、その監督とは、当時の名古屋オーシャンズの監督であったアジウであり、4点目の得点者はリカルジーニョである。2010年、Fリーグ開幕戦、エスポラーダ北海道対名古屋オーシャンズ戦はエスポラーダが最初からパワープレーを選択したことでその是非の議論があった。その当事者のアジウが5年前の日本チームに負けていたわけではないのにパワープレーを使い、あとで申しわけないとのコメントを相手チームの監督に出したことは大変興味深いものがある。なお、決定的な4点目を叩き出したリカルジーニョは、このとき、まだ、弱冠19才であった。むろん、ファイルには木暮がいたから、アジウ、リカルジーニョ、木暮はこの時、すでに遭遇していたのである。

 さらに言えば、アジウ、リカルジーニョの2人は、大洋薬品バンフ(第12回選手権優勝、のちに名古屋オーシャンズ)が出場した2007大会(場所はポルトガル)のとき、同じベンフィカとして大洋薬品バンフと対戦している。2人は、この時、まさかこの対戦相手のチーム(名古屋オーシャンズ)に同じように移籍するとは想像もしなかったことであろう。

 大洋薬品バンフの成績は、ブーメランに0-8、ベンフィカに0-5、カルロスバルボーザに0-4で敗れている。勝ったのはアフリカ代表のアンゴラのチームだけで、スコアは6-2であった。

 むろん、それだけの縁でアジウが今の名古屋オーシャンズに来たわけではない。重要な舞台回しの人物がいた。それは、ファイルフォックスメンバーの鈴木隆二である。鈴木隆二は、高校時代、ブラジルサッカー留学の経験があり、その後、フットサルに転向、地域チャンピオンズリーグからカスカベウより移籍、今回の遠征メンバーになった。2005年5月に行われた第7回のアジア選手権の日本代表にも選ばれた実力の持ち主である。ちなみに、木暮とは読売ヴェルディユースS時代の同期生であった。

 その後、ブラジルのプロチームのトライアウトアウトに参加、そのあと2006年3月から、縁あって、インターコンチネンタルカップで対戦したベンフィカに3ヶ月ほどアジウのもとで勉強をしていたのである。その後、府中アスレティックを経て、名古屋オーシャンズに移籍するが、名古屋オーシャンズがアジウを監督に招聘するとき、その交渉役になったのが鈴木というわけである。

 鈴木は、その後、スペインの2部リーグのチームに移籍、選手の傍ら指導者の資格を取得、U10、U11クラスの指導経験を経て、ついには2014年2部Bのマルトレイというクラブの監督に就任した。日本のフットサル界において異色の存在といってよい。

 奇遇といえば、ベンフィカ対大洋薬品バンフの試合をスペインのセビリアから車で駆けつけ、見に来た日本人選手がいた。それは、のちにスペインから名古屋オーシャンズに移籍した木暮である。木暮もこのとき名古屋オーシャンズに移籍し、アジウ、リカルジーニョと一緒のチームになるとは思っても見なかった。

 このように、世界との縁は一朝一夕にできるものではない。大差で負けても参加し続け、挑戦し続けることで、実力も磨かれ、人脈もできるというものである。また、今までは、日本代表を通してアジア、世界を見てきたが、これからはクラブ対クラブの視点で日本と世界を見ていかなくてはならない。インターコンチネンタルカップ出場からそれを学ばねばならないだろう。クラブ対クラブで見ると、実力ばかりでなく、運営能力、マネーなどが関係してきて、世界は、実力とは関係なく、日本をマーケットとして見ていることがよくわかる。

 「さよならベイビー」、これはファイルフォックスがブーメランに敗れた翌日の地元の新聞に掲載されたファイルフォックスへ向けられた言葉である。この言葉どおり、ファイルフォックスは、悔しさを胸にスペインにさよならをした。

 さて、冒頭のお宝写真は、さきほど述べた「さよならベイビー」の証拠写真としよう。いつか、日本のクラブがアジアを超えて世界で活躍することを期待したい。

鈴木隆二

 もう1つのお宝は、日本のフットサル界では異色の存在、鈴木隆二のファイルメンバーとしてスペインに渡った時の写真にしよう。いつの頃にスペインに魅せられたのか定かでないが、もしかしたらこの遠征がきっかけだったかもしれない。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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