2015.11.19 Thu

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第8章「その1:Fリーグまで待てない!世界へ飛び出した鈴村、木暮、小野の“海外三銃士“」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 26、25、24、これは世界選手権出場時の鈴村、木暮、小野の満年令である。サッカーの場合は、比較的若い年令で海外挑戦を行うが、フットサルの歴史から考えると、この年令が海外挑戦ぎりぎりの年令であろう。

 彼らが、アジアとは違う世界選手権の表舞台で味わった「上を目指したい」、「目指すなら今しかない」という想いが、日本に戻って強まったことは容易に想像がつく。日本リーグ設立まで待っていられない想いもあったのではないか。やはり、世界選手権は普通の海外遠征、親善試合とは違うのである。 

 こうして、2005年を迎えると、まず、木暮が動きだす。海外に進出すべく、マネージメント事務所と契約、そのつてもあって、関東リーグおよび選手権の合間の2005年1月2日にベルギーに向けて関東を飛び立った。ベルギーもプロリーグがあり、世界選手権の木暮のプレーを見て、ファルコムアントワープ2000(アントワープ)というチームからオファーがあったのだ。10日間の日程だったが、練習に参加、Bチームの試合にも出場した。この移籍は条件が合わなかったのか日の目を見なかったが、のちのインターコンチネンタルカップ出場でチャンスが訪れ、最終的にはスペインの2部チーム、ナサレロ(スペイン、セビリア)との契約に成功する。ちなみに、サッカーのGK川島永嗣も同じ事務所で、木暮の後輩に当たるが、川島もベルギーに移籍している。

 小野は、関東リーグを終えた2005年2月に関東からイタリアへ飛んだ。府中は、ペルージャに在住しており、日本とイタリアの文化交流を促進するNIXITAイタリア会長と交流が深く、その関係でイタリアに入団テストを受けることになった。小野が実際に契約に成功したのは、イタリア・セリエAのテルニ(イタリアの内陸部にある都市でペルージャに近い)というチームでシーズンが始まる8月頃にイタリアへ渡った。

 鈴村は、小野とほぼ同時期の2005年2月、スペインのサッカー、フットサル留学の斡旋を手がけるユーロプラス株式会社のアテンドにより、最初はアルバセテのトライアウトを受けた。アルバセテといえば、岩本がプロ契約に成功したスペインリーグ2部のチームである。実際には、外国人枠の関係で契約には至らず、3月に同じ2部のバルガス(スペイン、マドリッドの近くのトレド)の契約に成功している。そして、次のシーズンを待たずして4月2日にはデビューとなったから、3人のうちでは一番早くデビューしたことになる。

 このように、3人が打ち合せしたわけでもないのに、年が明けた2005年1月、2月に同じような行動に出たことは大変興味深い。しかも、結果的に3人とも3シーズンを海外で過ごしたことは今までになかったことである。日本の実力が認められたのかも知れないが、海外が日本の競技フットサル、さらにいえばその市場性に興味を持った証ではなかろうか。

 ということで、お宝写真は、むろん、鈴村、木暮、小野の3人の写真である。写真はフットサルナビより協力頂いた。いずれも世界選手権前後のもので、今にして思えば、この時から3年後のFリーグ設立の時は、この3人はまだ海外にいて、小野がスペインに移籍したことから、3人は同じ異国のリーグで戦っていたことになる。3人の高みを目指した強い志を改めて感ずる次第である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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