2015.11.11 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第7章「その9:世界選手権直前に主将・市原誉昭を襲ったアキレス腱断裂の悲劇」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2004年10月6日から9日まで、世界選手権を前にした最後の日本代表遠征試合が行われた。それは、台湾で行われた4カ国対抗試合で、自国開催の台湾が自国チーム強化のためにハンガリー、日本、マレーシアを招待して行ったものである。

 この遠征では、鈴村拓也、難波田治、市原誉昭らのディフェンス陣のバックアップとして小宮山友祐(ファイルフォックス)、金山友紀のサブ的存在として足が速く飛び出しが得意な狩野新(カスカベウ)、大型選手でピヴォ役が期待できる松田和也(カスカベウ関西)が試されることとなった。小宮山、狩野は直前の初召集である。このとき、小宮山はのちにあるアクシデントが起き、それが自分に関係してくるとは夢にも思わなかったであろう。

 日本代表の成績は、台湾、マレーシアに勝利したが、ハンガリーに2-3で敗れ2位。課題を残す結果となった。しかし、現地、台湾で試合ができたことでもあり、順調な仕上がりであった。あとは壮行試合のアルゼンチン戦を残すのみである。

 いよいよ11月に入り、世界選手権が始まる。日程は、11月2、3日に合宿、8日から再び召集、13日、14日にアルゼンチンとの壮行試合(幕張、駒沢)、17日に台北に出発の予定であった。

 最後の合宿が終わった3日後の11月6日(土)、プレデターは全日本選手権の千葉予選決勝戦に臨んだ。そこには日本代表キャプテン市原もいた。

 本人のブログによれば、試合が始まって10分、帖佐とのワンツーに失敗してディフェンスに戻ろうとしたとき、バチッと背後からバットで殴られたような衝撃が走ったそうである。市原はアキレス腱断裂と診断され、世界選手権出場は絶望的となってしまった。運と片付けるにはあまりに衝撃的で重たい現実である。

 市原に代わって、急遽メンバーに入ったのは小宮山であった。ちなみに、のちに小宮山はファイルフォックスからバルドラール浦安に移籍、市原とはチーメイトとしてFリーグを一緒に戦うことになった。また、小宮山はその後も日本代表に選ばれ続けることを目標に懸命の努力をしている。無論、市原も日本代表復帰をあきらめることはなかった。 

 キャプテン市原を欠く事になった壮行試合のアルゼンチン戦は、13日は1-2で敗れたが、14日は3-1で勝利、世界選手権に弾みをつける戦いぶりであった。ちなみに、日本代表戦が日本で行われ、代表が日本のファンに国際試合でお目見えするのは、競技フットサルの歴史上、初めてのことであった。その後は、アジア選手権前に国内で壮行試合が行われることが通例となった。

 市原はアルゼンチン戦には松葉杖で応援に駆けつけた。無念さをみじんも見せなかった姿が非常に印象的であった。

 さて、お宝写真は、壮行試合アルゼンチン戦のポエイラ軍団の応援姿にした。なぜ、これを選んだかというと、弾幕が「ITY4」、すなわち市原であり、市原の想いをサポーター達が汲み取って応援してくれたからである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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