2015.11.12 Thu

Written by EDGE編集部

Fリーグ

「自分のことは自分で助ける」。松宮充義がFリーガーじゃなかった”空白の5カ月”の間に考えていたこと。

写真:北健一郎

シュライカー大阪を退団後、Fリーグクラブに移籍せず、無所属のままで開幕を迎えた松宮充義。今年7月、5カ月のブランクを経てデウソン神戸に加入し、トップフォームを取り戻しつつある。元日本代表の実力者は、フットサルから距離を置いていた“空白の期間”で何を考えていたのか。
(文・北健一郎/futsalEDGE編集長)

フットサルから離れた5カ月間

 今年2月、「松宮充義」の名前はフットサル界から消えた。

 2014—2015シーズン終了後、Fリーグ1年目から8シーズン在籍したシュライカー大阪を松宮は退団した。最後の1年こそ出場機会を減らしていたものの、元日本代表の実力は高く評価されていた。

 だが、新シーズンのFリーグ登録選手の中に、松宮の名前はなかった。オファーがなかったわけではない。実際に複数のクラブから届いた「ウチに来ないか」という話を、松宮は丁重に断っている。だからといって、引退したわけでもなかった。

「この後のことはまだ決まっていません。プレーヤーとしてやるかどうかも、じっくりと考えたい。個人的にやりたいこともあるので、どうなるかわからないというのが正直な気持ちです」

 大阪での最後の試合となった全日本選手権終了後、松宮はこう語っていた。そこには30代の、家庭を持つ男であれば、当然ぶつかっていくであろう悩みがあった。

「サッカー選手のように何千万も稼げるんだったらいいですけど、現状のフットサル界はそうではない。その中でフットサルだけやっていくというのは、20代前半であればそれでもいいかもしれないけど、僕ぐらいの年齢になるといろいろ考えなければいけない」

 今のフットサル界では、名古屋オーシャンズを除き、多くの選手がアマチュアでプレーしている。名古屋以外でプロ契約をしている選手もいるが、日本代表クラスであっても同世代のサラリーマンとほとんど変わらないか、むしろ低いぐらいのサラリーしかもらえていないのが現状だ。

 Fリーグが開幕して8年が経った。だが、フットサルを取り巻く状況は良くなるどころか、むしろ厳しくなっている。そうした中で、松宮は一つの結論に達した。

 自分で自分を助けられるようにならなければいけない——。

 Fリーグやクラブが良くなっていくことに期待し、ただ待っていても仕方ない。それならば、周りに頼らなくても、自分でやっていけるだけの基盤を作ればいい。しっかりとした基盤を作るには、10年以上も続けてきたフットサル選手としての生活から離れる必要があると感じた。

 大阪退団後の松宮は、自身が運営するフットサルスクール「クリアドール」の新規開校や、新たなビジネスの立ち上げに奔走した。経営者が集まる交流会にも積極的に顔を出した。帰宅が深夜になることも少なくなかった。 

 その間、フットサルはおろかボールを蹴ることすら「ほとんどやってなかった」という。たまに、元大阪の鈴木磨人に誘われて練習試合に参加することはあったぐらいで、本当にフットサルから離れた生活を送っていた。

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完全復活を印象づけたゴール 

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