2015.10.23 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第7章「その4:森岡薫、稲葉洸太郎、北原亘、垣本右近。運命を変えた関東リーグ参入戦」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 アジア選手権開催1ヶ月を切った2004年3月27日、28日、国内では日本代表に負けてはならぬと早くも熱い戦いが始まっていた。それは第6回関東リーグの参入戦で、小田原アリーナで行われた。第4回はカスカベウ、第5回はシャークスと初参入、初優勝が続いたが、同じく有望なチームが参入してくるのであろうか。

 参入戦は、関東リーグ11位、12位のチームと各都県1位もしくは2位チームとが参入を賭けて戦うもので、毎年、悲喜こもごもの結果となる。この年の参入戦も同様で大きなドラマがあった。

 各チームは、関東リーグ11位のグループと12位のグループに抽選で分けられ、おのおのトーナメントの優勝チームが関東リーグに昇格できる。まずは、11位グループの結果を紹介しよう。ベスト4には、渋谷ユナイテッド(東京都第2位)、小金井ジュール(関東リーグ11位)、ブラックショーツ(神奈川代表)、高西クラッシャーズ(埼玉代表)が残った。

 都リーグ2位の渋谷ユナイテッドは、1998年に設立(代表の松田尚が設立)というから、ゾットよりさらに歴史がある。関東リーグ昇格を目指して、このチームは次々と戦力強化を図っていた。2002年から2003年にかけて、すでに紹介したサッカーの強豪チームFCベンガから垣本、菊池完、いずれはボツワナと合体するフットサルの「森のくまさん」から北原、稲葉らを加え、東京都2部、1部と昇格、本大会に臨むこととなった。また、ゴールキーパーには、古庄亨(カスカベウ、プレデター)を1月に加えている。

 11位グループ、最初の準決勝は、小金井ジュールと渋谷ユナイテッドの対戦となった。前半は1対1の互角であったが、後半に入ると渋谷ユナイテッドの稲葉、菊池の活躍で、4-2で渋谷ユナイテッドが勝利、渋谷ユナイテッドが決勝に進む。この時点ですでに紹介したとおり、小金井ジュールの降格が決まった。第2回関東リーグ優勝、第1回地域チャンピオンズリーグ優勝の成績を残した古豪も新興勢力には敵わなかったのである。

 もう一つの準決勝は、高西クラッシャーズとブラックショーツの戦いとなった。結果は1対1のPK戦をブラックショーツが制して、ブラックショーツが決勝に進む。高西クラッシャーズは、2年連続PK戦負けという不運に見舞われた。結果論かも知れないが、上澤(のちに名古屋オーシャンズ、府中アスレティック、日本代表)が世に出るのが遅くなった要因かも知れない。結局、高西クラッシャーズは関東リーグが2部制になった2007年の第9回関東リーグにて2部に昇格する。無念なことに参入戦を勝ち抜く機会は与えられなかった。(チーム名は高西フットサルクラブ、のちにアルティスタ埼玉と改名)

 11位グループの決勝戦、ブラックショーツ対渋谷ユナイテッドは、壮絶な戦いとなった。戦力的には渋谷ユナイテッドに分があったが、準決勝戦で垣本が負傷で出られず、就職活動で北原が遅れてユニフォームチェックに間に合わず、出場できないハンデを背負うことになってしまった。

 結果は、前半は3-2でブラックショーツがリード、後半もブラックショーツがリードすれば渋谷ユナイテッドが追いつく展開で、残り3分まで6-5でブラックショーツがリードしていた。しかし、なんと残り45秒で渋谷ユナイテッドのGK古庄のシュートが決まって6-6の同点になり、勝負の行方はわからなくなった。しかも、残り3秒、渋谷ユナイテッドは第2PKのチャンスを迎える。しかし、無情にもこれは決まらず、PK戦に突入した。しかし、もはや渋谷ユナイテッドは精魂使い果たしていたのだろう、PK戦はブラックショーツが制し、渋谷ユナイテッドは昇格ならなかった。

 このように壮絶な戦いとなったが、この結果が関係者にさまざまな岐路をもたらすことになる。まず、渋谷ユナイテッドは、こののち、稲葉、北原、垣本、菊池らの中心選手を失い、その後建て直しを図るものの2009年にはついに東京都1部の活動を中止、エンジョイチームとして再スタートすることとなった。このことはあまり報じられていない。

 稲葉は、代表候補に選ばれたことで、ファイルフォックス木暮らとの親交から第6回関東リーグからファイルフォックスに移籍することとなった。そして、第6回アジア選手権日本代表、翌年の第10回選手権優勝と一気にひのき舞台に踊り出る。

 北原は、いったんは就職をするが、フットサルへの想い絶ちがたく、翌年、ボツワナに入団、関東リーグに昇格に貢献するとともに本格的にフットサル選手を目指すこととなった。恐らく、稲葉の活躍が刺激になったのであろう。北原は、のちに名古屋オーシャンズのキャプテン、FリーグMVPまでになるのは周知のとおりである。

 垣本は、のちにカフリンガを設立、カフリンガは2006年に関東1部昇格を果たす。垣本はその後、関東リーグ得点王になる活躍を示す。

 ブラックショーツには森岡薫がいた。昇格した年はブラックショーツでプレーするが、関東リーグを経験したことでさらにステップアップすべく翌年はファイルフォックスに移籍する。のちに大洋薬品バンフで選手権優勝、名古屋オーシャンズではFリーグ初代MVPと頂点に駆けあがった。

 ちなみに、現在、名古屋オーシャンズでチームメイトとなり、日本を代表するピヴォとベッキとなった森岡と北原が、2度とないこの日限りの壮絶な戦いの参入戦の場に居合わせたことは、何か因縁めいたものを感じる。もし、渋谷ユナイテッドが残り3秒の第2PKを決めていたら、そのあとのPK戦に勝っていたら、彼らにはどんな運命が待っていたのであろうか。

 12位グループは、ベスト4にセニョールイーグルス(関東リーグ12位)、東京都1位のゾット、神奈川1位のミリオネア横浜、茨城2位のサルバトーレソーラが残った。

 1位のゾットは早稲田大学サッカー同好会メンバーで結成したフットサルチームである。現在(2015年10月)、関東1部在籍のチームとなっているが、結成は2000年春というからすでに約15年の歴史を持つ。メンバーには、清野潤(のちに代表兼監督)、小林等(のちにスタッフ兼選手)、松田啓祐、小笹裕介、中野泰宏、美好裕輔、日本代表にも選ばれたGK渡邊博之(のちにバルドラール浦安、現在はゾットに復帰)らがいた。結成時には大学1、2年生だったが、この年はすでに卒業、社会人になっていた。同じ大学のOBが多く集まって関東リーグに挑戦という異色のチームである。

 このチームとファイルフォックスとは縁がある。まず、ファイルフォックスと練習試合や都カップ戦で対戦、これに敗れた悔しさから本格的にフットサルに取り組んだことである。それは、府中水元クラブ、アズーがサッカーチームに敗れて本格的にフットサルに取り組んだ動機と似ている。違いは、フットサルチームがサッカーではなくフットサルチームに敗れたことがきっかけになったことだ。時代の流れを感ずる。

 また、2001年にはファイルフォックス設立者の鵜飼を招き入れ、指導を仰いで強くなった。昔は自分で勉強したものだが、指導を受けることができるようになった。それだけ、フットサルの選手層が厚くなったことを物語る。

 さて、この参入戦がきっかけでのちに解散したチームがある。その戦いとは1回戦のセニョールイーグルス対メイクナインである。両チームとも千葉県のチームで、メイクナインは第2回に関東リーグ入り、第4回で11位となり降格、一方、セニョールイーグルスはその時の参入戦でメイクナインと入れ替わりで関東リーグに昇格した因縁のチーム同士である。皮肉にも、その両者が残留・降格を争う直接対決することになったのだ。セニョールイーグルスは昇格後1年で最下位となり、また降格の危機なので、絶対に負けられない。一方のメイクナインも、ここで復活ならなかったら、2度と復活のチャンスはないと思っていた。

 結果は、6-5でセニョールイーグルスが勝った。メイクナインは先制点を奪い、一時は2点差をつける健闘を見せたが、一昨年降格したときに主力が抜け、登録メンバーが10人という苦しい選手層が響いたか、1点差で涙を飲んだ。この結果、メイクナインは解散、ここにも参入戦をきっかけに表舞台から引くチームが現れた。しかし、勝ったセニョールイーグルスも次のゾット戦に敗れ、最短復帰はならなかった。

 そして、12位グループを制したのは、ミリオネア横浜を4-2で下したゾットであった。チーム結成から4年、ファイルフォックスに勝つことを目標に研鑽を重ねた努力が実り、ついにファイルフォックスと同じ土俵に立つことができたのだ。しかし、この時は、これが1年しか持たず、苦難の道が待っているとは誰も想像できなかった。

 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦はこの先もドラマを生み続けるのである。 

 さて、お宝写真は、壮絶な戦いの結果、それぞれの運命を大きく変えた渋谷ユナイテッドとブラックショーツの戦いの4選手にしよう。まず、森岡薫、この写真は木暮がスペインに渡る送別会のときの写真で、森岡はより高みを目指してブラックショーツからファイルフォックスに移籍した。その時の写真である。むろん、この2人が再び名古屋オーシャンズでチームメイトになるとは2人とも思ってみなかったであろう。

 次に稲葉洸太郎、これは渋谷ユナイテッドからファイルフォックスに移籍したあとのファイルでの練習時の写真である。もし、渋谷ユナイテッドが関東リーグに昇格していたら、稲葉にはどんな運命が待っていたであろうか。森岡と稲葉は、つい最近の日本代表候補に選ばれ、日本代表のチームメイトになっている。

 次に北原亘である。この写真は、「関東リーグプレス」という関東リーグの広報誌のインタビューの写真で、ばりばりの関東リーガーになった。北原も、もし渋谷ユナイテッドが関東リーグに昇格していたら、すんなり就職したのであろうか。今や、森岡と北原は名古屋オーシャンズのチームメイトである。

 最後は、垣本右近である。この写真は、だいぶあとの第10回関東リーグで得点王になったときのリーグ表彰写真である。垣本は参入戦敗戦のあと、しばらくしてカフリンガ東久留米を立ち上げ、代表兼選手としてチームを牽引、2007年第9回から関東リーグ参入、ついに2010年第12回で関東リーグ優勝を果たす。森岡、稲葉、北原はFリーグに上がったが、垣本は、敗戦をバネに今も関東リーグの現役レジェンドとして活躍中である。

 それぞれの運命を分けたかも知れない参入戦であった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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