2015.10.16 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第7章「その2:フットサルメディア新時代到来!ライター&カメラマンの新規参入が相次ぐ」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 運命の第6回アジア選手権および世界選手権出場の期待を前に、新たなメディアが動き出した。すでに紹介したとおり、これまで、雑誌はピヴォ、ネットはフットサルネットとFC JAPANが主なメディアであった。すでにネットの日刊スポーツとスポナビのフットサル版は存続していない。

 ちなみに、メディアの興亡は、ピヴォ、フットサルネット、FCJAPANに代表されるフットサル黎明の時代、この2004年前後の期待が膨らむ時代、そしてFリーグが始まった2007年前後から以降の現在の時代の3つに分けることができる。

 ここでは、2004年前後の時代について紹介しよう。

 まず、2004年1月にフットサル専門雑誌の第2誌目、フットサルナビがムック本として刊行される。発行元は白夜書房で、趣味・娯楽雑誌を主に発行していたが、フットサル好きの編集者・大久保陽介の企画が通って発行の運びとなったという。以来、先行したピヴォとは交互に隔月で発行が続いていた。4月には、第2号が発行され、アジア選手権日本代表の特集が組まれた。

 そして、3誌目、サッカーダイジェストでおなじみの日本スポーツ企画出版社がフットサルダイジェストを発刊する。それは、日本代表の世界選手権出場が決まったのちの2004年11月のことである。また、学研のストライカーさらにはフットサルマガジンもフットサルコーナーを設ける。

 珍しいサイトもオープンする。それは、ラジオNIKKEIが提供するフットサルラジオウェブである。インターネットでフットサルのニュースやインタビューなどの音声放送を流すサイトで2003年から試験的にスタートしていたが、2004年2月になって本格スタートした。キャスターは竹川英紀で、のちに女性パーソナリティとして影山のぞみ、小島くるみなどいわゆる女子芸能人フットサルタレントを起用するなどユニークな存在であった。

 紙面をピンク色にしたユニークなサッカー専門新聞エルゴラッソが発刊されたのは2004年10月である。夕刊のみの駅売りで当時の発刊元は交通新聞社であった。金曜日にはフットサル紙面があり、日本代表、選手権、地域リーグなどの情報を掲載していた。

 また、スカイAのテレビ放送に加えて、7月からゴールネット(株)、ディジタルスタジオの協力により、インターネットによるストリーミングビデオサービスが始まった。今でこそ、Fリーグでは有料でビデオサービスを行っているが、2004年のこの頃から始めたことは画期的なことであった。

 ポータルサイト系では、フットサルネットに加え、フットサルタイムスが1年後の2005年4月にオープンする。のちにこの2つのサイトは、自ら執筆するばかりでなく、フリーランスのライターを起用するようになった。 

 このようにメディアの増加にともない、雑誌社専属あるいはフリーランスのフットサル専門ライターや専門カメラマンが多数輩出することとなった。ここでは、少し前の先駆者を含め、彼らの状況を紹介しょう。

 ライターの先駆者としては、学研の雑誌ストライカーでフットサル記事を担当する菊地芳樹がいる。菊地は大学時代サッカーをやっていたこともあって、神奈川リーグで実際に選手活動もしていた。その経験を活かし、2001年イランで行われた第3回アジア選手権には現地取材に行くなど先駆的活動を行うのであった。雑誌ストライカーのサッカー記事、フットサル記事ばかりでなく、Fリーグ公式サイトの記事やフットサルポータルサイトのフットサルネット、フットサルタイムスに記事やコラムを書くなど活動は多岐に渡った。現在、菊地は、学研の雑誌ストライカーの編集長となっている。

 2002年くらいからフットサルネットに先駆的コラムを書いていたライター川村真也は、前述した2004年発刊のサッカー専門新聞エルゴラッソのフットサル版(毎週金曜日)の編集を手がけた。彼も先駆的存在といえる。

 スペインで、現在、「ワールドオンライン」なるスペインを中心としたフットサルのニュース、技術情報をネット配信するサービスを行っている座間健司がスペインに渡ったのも2004年である。この年の8月、スペインリーグのカステジョンが来日、親善試合を行うが、これをきっかけにスペインに渡るのであった。もともとは、フットサルマガジンピヴォの編集担当であったが、雑誌の方のピヴォが休刊に伴い、独立した。

 同じく、河合拓も座間と同時期にピヴォのスタッフになったが、この頃、サッカーマガジンのスタッフに転進。サッカーマガジンはそれまで、フットサル記事を書く機会は少なかったのだが、次第にその機会を増やしていった。その後、ゲキサカを経て、現在はフリーランスとして活動している。

 「炎のフットサルライター」と呼ばれるほど熱い記事を書く田畑弦は、この頃、前述したフットサルラジオウェブ、フットサルナビを主なフィールドとして記事を書いていた。

 北健一郎が、ジャーナリスト専門学校を卒業、フットサル専門の記事を書くようになったのは、2005年からであった。その後、フリーになり、フットサルナビ、フットサルネット、フットサルタイムスなどにも記事を書くようになった。フットサルから離れた時期もあったが、2015年に自らが編集長となってフットサルエッジを立ち上げている。

 カメラマンの方では、サッカー分野が主活動であるが、すでに紹介した六川則夫が先駆者である。六川は、2000年のバンコクの悲劇の第2回のアジア選手権、2001年の第3回のテヘランのアジア選手権などを取材し、以降も節目の大会には取材を続けている。

 もう一人、先駆的フリーのカメラマンとしては勝又寛晃がいる。勝又は、大学で写真を専攻、卒業後、2000年のスーパーリーグからフットサル取材を始め、プレデター(現バルドラール浦安)の専属カメラマンを務めるほか、2002年のジャカルタの第4回アジア選手権に取材に行くなど、フットサル界に入っていった。フットサルマガジンピヴォ、フットサルダイジェストなどで活動している。

 サッカーの分野で活躍していた高橋学はフットサルナビの創刊に伴って、フットサルの撮影を始めている。

 軍記ひろしは、現在、フットサルグラフィックという法人を設立、フットサル専門の写真サービスの代表を努め、ユニークな活動をしている。

 時は2015年、フットサルの隆盛に期待を膨らませた時代から約10年が経過、念願の全国リーグ「Fリーグ」もできた今日、メディアでどれだけ仕事ができるかというと正直厳しい状況が続いている。いくつかのメディアは休止を余儀なくされ、ライター、カメラマンも転進あるいは兼業となっている。

 さて、お宝写真であるが、フットサル専門雑誌のピヴォ、フットサルダイジェストなどが休刊となった中、いまだに継続している「フットサルナビ」の世界選手権特集の2004年VOL5号(11月発行)にしよう。表紙は、キャプテン翼でおなじみの高橋陽一先生が描いた日本代表のメンバーである。(提供、フットサルナビ)

 現在、フットサル界は、当時に比べて決しで希望に満ちた時代とは言えないが、継続の努力には頭が下がる。今後も継続して欲しいものである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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