2015.10.05 Mon

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第6章「その6:関東リーグ最終節で繰り広げられた”絶対に負けられない戦い”」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2004年1月24日、府中市総合体育館で統合関東リーグの最終節が行われた。スーパーリーグと関東リーグが統合され、一つのリーグとなった第5回関東リーグ、皮肉にも昇るチーム、落ちるチーム明暗分かれる結果となった。

 3シーズン続いた最後のスーパーリーグの覇者、シャークスは、迎えた最終節で勝てば優勝を成し遂げるところまで来た。

 一方、第1回の関東リーグから参加、第2回の関東リーグでは優勝、初代地域チャンピオンズリーグ王者ともなった小金井ジュールは、負ければ参入戦に回る崖っぷちに立たされていた。(今は2部リーグが出来ているので、最下位は自動降格であるが、当時は、最下位の12位と第11位が参入戦に回る。最下位のセニョールイーグルスは参入戦が確定している)

 こうして始まった最終節、まず第3試合の小金井ジュール対プレデター戦。

 小金井ジュールは、これを勝利し、最終試合のカスカベウ対フトゥーロ戦でフトゥーロが負ければ残留できる。絶対負けられない戦いである。一方のプレデターは、4位で、小金井シュールに4点差を付けて勝てば3位の府中アスレティックを得失点差で上回ることができ、地域チャンピオンズリーグに出場できる。こちらも負けられない戦いである。

 結果は、プレデターの勝ちたい気持ちが上回り、市原、相根らの得点により5-2で勝利、小金井ジュールの残留はならなかった。だが残念ながら、プレデターは、1点不足で4位となり地域チャンピオンズリーグには出場できなかった。

 続く第4試合のシャークス対ファイルフォックス戦、後半まで2-2の接戦が続くが、ここでファイルフォックス木暮が反則で退場、続いて難波田も退場となり、2枚看板を失ったファイルフォックスは力尽き、結局、シャークスが6-3で勝利した。

 シャークスは、初参加、初優勝の快挙を遂げた。初参加、初優勝は前年のカスカベウもそうであったが、カスカベウはすでに優勝して当然の実力の持ち主、シャークスは、スーパーリーグが生んだ新たな第3勢力であり大きな意味があった。結果的には新鋭が古豪を追いやったのである。小金井ジュールは、のちのことになるが、参入戦に勝つことができず、関東リーグからは姿を消すことになってしまった。

 ちなみに、この年の関東リーグの順位は、優勝シャークス、2位カスカベウ、3位府中アスレティック、4位プレデター、5位ファイルフォックス、6位ロンドリーナ、7位柏RAYO、8位マルバ、9位ガロ、10位フトゥーロ、11位小金井ジュール、12位セニョールイーグルスであった。

 リーグの統一は新旧交代の始まりでもあった。

 さて、お宝写真は、古豪小金井ジュールの主砲・古林直樹(写真提供 フットサルネット)としよう。古林は、関東選抜、2000年7月に行われたFCバルセロナ来日の国際親善試合の日本選抜に選ばれる実績の持ち主である。小金井ジュールといえば、以前紹介したが、第2回の関東リーグ優勝そして記念すべき第1回の地域チャンピオンズリーグ優勝の輝かしき実績を持つ。ダイコクジュールの名前で第2回全日本選手権に出場したこともある。この写真は、第7回の全日本選手権でロンドリーナを破って全日本3位になったときの写真である。

 思えば、小金井ジュールの最後の栄光とも言える。メンバーには、写真の古林、監督兼選手に渡辺剛、コーチ兼選手寺本(関東選抜)、南兄弟として有名な南健二(関東選抜)、南幸四郎、渡辺祐貴(関東選抜)ら優秀な選手らがいた。残念ながら、現在は、東京都1部リーグとなってしまった。

 奇しくも、古林は同じ古豪であったガロ(東京都3部)に移り、最近では小金井ジュール時代に同僚であった南健二が監督を務める同じく3部の中野フットサルクラブで現役を続けている。1977年生まれで、Fリーグでは金山と同学年であるが、当時の現役選手が次第に引退するなか、是非、現役を続けて欲しいものである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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