2015.09.11 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第5章「その4:第8回全日本選手権はロンドリーナがカスカベウを破って悲願の日本一に!」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 話を2002年12月7日行われた選手権に戻すと、失格したファイルフォックス抜きで行われた関東予選は、ベスト4に東京都のベスト2(カスカベウ、シャークス)と神奈川のロンドリーナ、埼玉のマルバが残った。千葉はすでに紹介したように番狂わせがあり、常連のプレデターは勝ち上がれず、キューピーとメイクナインが千葉代表となったが、2チームとも予選リーグで敗退してしまった。

 この年から関東は第3位まで選手権枠があり、3位に入れば選手権に出場できる。逆にいえば、1チームのみが脱落する。最初の準決勝は、シャークス対マルバだった。結果は、勢いのあるはずだったシャークスがのちに関東リーグ得点王、ステラミーゴ岩手の矢ノ目憲央を中心としたマルバの早いカウンター攻撃にやられ、敗戦、マルバが決勝に進んだ。マルバは、初の選手権出場を果たし、茨城にマルバありの地位を確固たるものとしたのだった。

 もうひとつの準決勝は、カスカベウ対ロンドリーナとなり、エスポルチ藤沢から分かれた兄貴格のカスカベウがその貫禄を見せて弟格のロンドリーナを下し、決勝大会の切符を手にする。しかし、この時は、まさか決勝大会の準決勝で再び当たり、今度はカスカベウが負けることになろうとは誰も想像できなかったであろう。

 3位決定戦に回ったシャークスとロンドリーナの対戦は、経験の差が出たようだ。ロンドリーナはリードされながらも地力を発揮、最後は逆転してロンドリーナが選手権の切符を手に入れるのだった。ロンドリーナは、前回に続いて2年連続の出場となった。シャークスは、この時が一番、選手権に近づいた時で、その後は試練の時代が続く。

 2002年2月7日から本戦の第8回選手権が始まった。ベスト4に残ったのは、関東からカスカベウ、ロンドリーナ、関西のカンカンボーイズ、北海道のdivertidoだった。むろん、優勝候補の筆頭はカスカベウでこの時まで第4回関東リーグは無敗で優勝、スーパーリーグも無敗で優勝街道を走っていた。(関東リーグは、約3週間前の1月18日に最終節を迎え、カスカベウが優勝、2位にはフトゥーロ、3位にロンドリーナ、ファイルフォックスは4位に終わっている。)

 磐石の強さかと思われたカスカベウであったが、なんと準決勝で、関東予選で勝ったロンドリーナと当たり、1-1の延長戦でまさかのVゴール負けを喫する。Vゴールを決めたのは、後にペスカドーラ町田でキャプテンを務めることになる、大地悟だった。これは、2009年の第14回選手権でトップリーグ優勝の名古屋オーシャンズが関東リーグ優勝のフウガに敗れたようにリーグ優勝が一発勝負の選手権では絶対的ではないことをこの時から示していたといえよう。

 確かに、チームは関東リーグを優勝したばかり、また、1月15日から行われた日本代表のブラジル遠征に、相根、前田、金山を出しており、疲れが残っているなどの不利な面はあった。しかし、それ以上に精神的な面で常にリーグ王者は、追われる立場にあることすなわち勝負の面でもリーグの脆さの宿命を背負っているのではないだろうか。

 結局、決勝戦はロンドリーナ対カンカンボーイズとなり、4-0でロンドリーナが勝利、初優勝を果たした。リーグ戦はともかく選手権ではファイルフォックス、カスカベウと続いた東京独占の終止符を打ったのであった。また、三国志としても、府中水元クラブ以来の第3勢力の全国制覇となった。

 ちなみにスーパーリーグの最終節は3月22日に行われたが、選手権敗戦の影響からか、カスカベウが2位のシャークスに7-11で敗れ、シャークスに逆転優勝を献上した。しかし、5月に行われた第3回地域チャンピオンズリーグはカスカベウがロンドリーナを破って優勝している。

 ちなみに地域チャンピオンズリーグは地域リーグの1番を決めるものであり、地域リーグ、地域チャンピオンズリーグとセットで年度内に終了することがのぞましい。それが改められるのは第5回からであった。来年度はいよいよスーパーリーグと関東リーグが統一された新たな戦場で新たな戦いが始まる。

 お宝写真は、全国制覇を成し遂げたロンドリーナの関東予選で3位になった時の集合写真にしよう。この時は、カスカベウには6-7で敗れ、3位決定戦でシャークスを破っての全国大会出場であった。ロンドリーナはのちに2007年発足の湘南ベルマーレの母体になったが、ロンドリーナとしての活躍はこの時がピークであった。このメンバーでは、ロンドリーナの創始者でもある代表の関野淳太は、湘南ベルマーレのGMになったがのちにペスカドーラ町田の監督、しかし、昨シーズン退いた。GK阿久津貴志はテクニカルダイレクター、奥村敬人はコーチとなって残っている。また、写真中央背番号4の伊久間洋輔は、現在、関東リーグ2部のロンドリーナの監督となって引き継いでいる。写真左から2番目の背番号7豊島は、湘南ベルマーレのキャプテンになったが、2011年現役を引退、最近、アグレミーナ浜松のコーチに就任したことは喜ばしいニュースである。中央、表彰盾を持つ大地は、湘南ベルマーレを経て、ペスカドーラ町田でプレー、昨シーズンで現役を引退した。この結果、恐らく、当時のメンバー中、ひのき舞台で活躍する現役選手はいなくなったものと思われる。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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