2015.08.12 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その6:ブラジルへ、イタリアへ、スペインへ。“第1次海外挑戦ブーム”起こる」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 第3回アジア選手権の前後、日本のフットサル界に、第1次の海外挑戦ブームが起きた。その理由の第1は、年1回のアジア選手権の定着と世界的に見ても、ブラジル、スペインを中心にプロリーグが充実しはじめていて、フットサルで食べていけるかも知れないという情報と期待があったからである。

 第2は、指導者不足、監督不足で、本物のフットサルを学べる指導者は極めて少なく、日系ブラジル人と試合をするかビデオで学ぶしかない時代であった。第3は、通年リーグ、全国リーグ設立はもう待っていられない、世に出たいという渇望であった。

 その先鞭を付けたのは、ブラジルのカスカベウとプロ契約を結ぶことができた甲斐修侍と前田喜史である。甲斐と前田は、全日本選手権が終わった2001年3月のカスカベウの遠征のあと、そのまま残ることになった。

 一方、まったく同時期にライバルのファイルフォックスもブラジルに遠征していたことは大変興味深い。カスカベウの遠征先は、以前紹介したパラナ州カスカベウ市で、カスカベウ以外に慶応BRB、リガ天竜選抜も同行、現地のチームと大会形式で試合を行うものであった。この時、慶応BRBに混ぜてもらったゴールキーパーに川原久光(のちに日本代表、田原FC、バルドラール浦安、名古屋オーシャンズ、アグレミーナ浜松)がいた。川原はこの時カスカベウ入団の誘いを受けるほど高評価を得た。この時の経験が、川原にとってその後のフットサル人生の転機になるのだった。

 ファイルフォックスの遠征先は、サンパウロの外れのアルジャ市で、FC FUNとボルドンの合同メンバーで作られた臨時のチームも同行、南米日系人のフットサル大会に参加するものであった。ファイルフォックスには、ウイニングドッグから移籍した木暮、岩田、ゴールキーパー江村がいた。臨時のチームにはのちにスペインにも挑戦する福角(ボルドン、マグ、プレデター、バルドラール浦安、ファイルフォックス、現在は、多摩大学フットサル部監督)がいた。

 ちなみに両チームの遠征先は700キロも離れていて、お互い連絡をとって同時期に遠征したわけでもなく、全くの偶然なのである。それだけ、当時は何かに飢えていたことをうかがわせるものがある。

 この遠征にはファイルフォックスの難波田は参加していなかったが、8月になると、難波田は木暮をともなってブラジルのバネスパに短期留学を行った。難波田は、アジア選手権代表にもれた悔しさ、木暮は期待されながらアジア選手権では何もできなかった悔しさを秘めての留学であった。難波田にとっては2度目、木暮にとっては3度目のブラジル経験である。留学先のバネスパは当時ブラジルの強豪チームで、あのファルカンがいた。また、のちに2人は日本フットサル界にかかわる人物に出会うことになるが、当時は2人もそれは想像できなかった。その人物とはのちに名古屋オーシャンズ、パサジイ大分監督となる館山マリオである。

 続いてカスカベウの相根が2001年9月にイタリアへプロ契約挑戦のためにイタリアに出発した。すでに3度目の挑戦であるが、のちの11月にはセリエAIFCチャンピーノ入りを果たす。イタリアは外人枠が1つだけなのでその中で契約できたことは快挙であった。

 一方、スペインにはプレデターの高島大輔が2001年6月から9月までスペインリーグ4部に練習生として参加している。高島大輔はカスカベウがブラジル遠征に参加した2000年2月にカスカベウの一員としてブラジルに参加したが、それ以来海外志向が強くなり、このあと、イタリアに渡り2002年にはイタリアセリエBのナポリのチームに所属することになる。イタリアはもともと日本からのサッカー留学生が多く、サッカーからフットサルに転向、フットサルチームに所属する選手もこの頃から多くなった。坂本敬太郎、玉置竜平らで玉置は第3回アジア選手権の代表候補に選ばれた。

 スペインではこの年もう1人プロの道に挑戦した選手がいた。それは千葉県リーグのちに関東リーグ、セニョールイーグルスの八尋智志である。彼はサッカープロを目指して南米ウルグアイに3年間サッカー留学した経験の持ち主である。しかし、残念ながらプロの道は開けなかった。

 このように、甲斐、前田、難波田の刺激を受けた彼らの海外プロへの挑戦は、のちに市原、小竹、根本、岩本、木暮、小野、鈴村らを生み、サッカーになぞらえ、海外組といった言葉も出るようになるのだが、それにはまだ時間がかかるのであった。

 さて、お宝写真は、この海外ブームから2年後の2003年11月にタイで行われた国際大会、タイランド5sでの対ブラジル戦終了後の一コマである。バネスパでともに戦ったファルカン(12番)と難波田(6番)の再会、称えあって肩を組む写真はまさにお宝写真であろう。

 ちなみに、つい最近の海外挑戦といえば、この8月に、名古屋オーシャンズ吉川智貴がスペイン1部のチームへ、府中アスレティックの渡邉知友晃が中国リーグへ移籍した。2人とも、ばりばりの日本代表であり、留学といった域を超えた挑戦であり、当時とは隔世の感がある。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事