2015.08.07 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その5:木村ジャパンからミゲルジャパンへ……。日本代表は15年で何が変わったか」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 第3回アジアフットサル選手権開催が2001年、来年の2月にウズベキスタンで開催される第14回のアジア選手権まで、丁度15年の節目を迎えることになる。そこで、第3回と今ではどうアジアの中での日本代表が変わったのかについて語ってみたい。

 まず、一番目に挙げられる点は、日本の実力が上がったという事実である。最初の7年7回大会は全てイランの優勝、2006年8回大会の日本初優勝からの7年5大会は、優勝3回、現在2連覇中という成績であるから、あきらかに実力は上がったといえる。Fリーグスタートが2007年なので、Fリーグ効果といえる。ただし、実力はアジアの中であって、世界に通用するか本当に試されるのは、来年のワールドカップであろう。

 二番目は、少なくともJリーガー待望論はそれ以降なくなったということである。確かにサッカー専門チームとフットサル専門チームが戦ったらどちらが勝つかという議論は面白いかも知れないが、それを当時は現実論で語る時代があった。その意味では、湘南ベルマーレでサッカーチーム対フットサルチーム対決が話題を呼んだ時期があったが、ようやく、エキジビジョンマッチで余裕をもって楽しむ時代になったといえる。それだけ、サッカーとフットサルとは別のスポーツという認知が進んだか、なにかとフットサルをサッカーと比較したがるフットサルフリークもいたが、大人になったということであろうか。

 三番目は、代表選考の場が飛躍的に広がったということである。たしかにFリーグから選ぶという暗黙の(?)ルールはあるにせよ、北海道から九州までFリーグクラブは地域をカバーしていて、Fリーグが開催されていればいつでも選手を評価することができるようになった。(Fリーグがない時代は、通年の地域リーグがこれをカバーしていた。)

 当時は、Jリーガーを多く起用するという方針はあったにせよ、選考の場が限られていたことから、市原、難波田、藤井などは選ばれなかった。今は、少なくともFリーグを目指せば日本代表の道が開ける道筋ができ、これが今の実力底上げにつながっている。

 四番目は、南米を中心に帰化選手の起用が増えたことである。例えば、最新のトレーニングキャンプの選出メンバーには、森岡薫、酒井ラファエル良男、前純内マティアスエルナンの3人が選ばれている。これはFリーグ設立と大きく関わっていて、Fリーグのチームがチーム力強化として帰化選手を増やすことになれば、増えてくる傾向は否めない。もっとも、世界的にもこの傾向はあり、スペインやイタリアの代表の多くはブラジル人だったりする。

 最後に、Fリーグの発展、帰化選手の増加とあいまって選手選考の幅が広がったため、若手の起用、シンデレラボーイ選出の機会が減ってきた点が変化といえなくもない。

 第3回大会で選ばれたフットサルの若い選手というと木暮が当時22才、鈴村が23才、金山が24才であった。ちなみにこの大会のチーム得点王の相根は選手年齢のピークといえる28才であった。以降、若い3人はずっと日本代表に選ばれ続け、第8回の優勝メンバーとなっている。

 一方、直近のトレーニングキャンプ(6月1日)の若手のメンバーというと最年少が室田祐希で23才、その次は吉川智貴、加藤竜馬が26才である。

 日本代表には経験が必要で、少なくとも3、4年の年月が必要であろう。次の次、すなわち2020年のワールドカップを考えると、室田がピークを迎えることになり、若干、若手が少ない印象がある。

 実際、木暮は第8回、9回あたりがピークで大会MVP、アジア最優秀選手、大会得点王に輝いたが、第3回、第4回あたりは、選ばれたとはいえ、ほとんど出場できなかった。金山もそうであった。このように考えると、4年分で2年分くらいの試合経験、すなわち、Fリーグの試合で以下に国際経験と同じくらいに様々な経験が詰めるシビアな戦いが求められることになる。果たして、今のFリーグはどうであろうか。

 さて、お宝写真は、第3回アジア選手権の選手集合写真である。(パンフレットから借用したため、登録の関係で全選手は写っていない)後列一番右が監督木村和司、フットサルでは後列中央に渡辺英明、前列一番左に鈴村、前列一番右に木暮が映っている。

 ところで、前回、イランで行われているアジアクラブ選手権2015準々決勝、名古屋オーシャンズ対イランのタシサット・ダリアエイの試合において、森岡対シャムサイーの対決について書いた。結果は、3-4でタシサット・ダリアエイが勝利したが、得点は両者2得点の互角であった。

 森岡は1979年生まれ、サムシャイーは1975年生まれ、森岡はサムシャイーをお手本に少なくともサムシャイーの年齢まで続けて欲しいものである。現在、森岡はFリーグMVP4回。4年連続得点王とサムシャイーの領域に近づきつつある。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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