2015.08.05 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その4:木村和司監督の就任と、元Jリーガーの大量招集」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 地域チャンピオンズリーグ、4つの通年リーグの合間を縫って、2001年7月にイランで行われる第3回アジア選手権の日本代表選考が行われた。選考のスタートは2001年4月で約3ヶ月に渡って行われたのである。

 誰が監督になるか注目されたが、なんと元Jリーガーの木村和司となった。 

 選考方針も明確に元Jリーガーを選ぶ方針が打ち出された。おそらく、第2回の成績から、アマチュアのフットサルプロパー選手では厳しいという評価がなされたものと思われる。また、その頃、Jリーガーのセカンドキャリアについての議論があり、まことしやかにフットサルはJリーガーのセカンドキャリアになりうる説が流れたものである。

 最終的には、フットサル系では、ゴールキーパー定永、相根、渡辺英明、木暮、大塚和博(近鉄百貨店)、上村、関、金山、元Jリーガー系ではゴールキーパー田北雄気(元浦和レッズ)、横山恵介(IPD FC、元セレッソ大阪)、鈴村拓也(神戸ハーバーランド、元ヴィッセル神戸)、鈴木正治(元横浜マリノス、名古屋グランパスエイト)、奥原崇(元FC東京)、佐々木博和(元セレッソ大阪)が選ばれた。

 ブラジルにいる甲斐、前田の候補辞退はやむを得ないが、藤井、市原、難波田らが選考から漏れたのは監督の好みもあるが、選考となる場が曖昧だったことも影響している。これは第2回のマリーニョ監督の時もそうだったが、今でこそ関東リーグ、関西リーグのちにはFリーグなど通年リーグで容易にスカウンティングが可能となったが、当時は公式的な通年リーグが存在していないため、監督がスカウティングしようにもどこに行ったらよいかわからず、推薦リストからピックアップして決めていかざるを得ない状況にあった。

 歴史が浅かったと言ってしまえばそれまでだが、今にして思えば、都県レベルの通年リーグ、地域レベルの通年リーグ、そして全国レベルの通年リーグのピラミッド構造になるには、相当時間がかかったことを改めて感ずる。

 2001年7月、いよいよイランにて第3回アジア選手権が開催された。

 日本は予選グループAとなり、イラン、台湾、シンガポール、パレスチナと同組であった。結果は、台湾に6―5、シンガポールに8-1と勝利したが、イランに4-8、パレスチナに2-3と敗れ、予選リーグ2位になれなかった。イランに負けたのは仕方がないとして、パレスチナに負けたのは大誤算であった。

 それでも運よくワイルドカードで決勝トーナメントに上がることができ、準々決勝は、カザフスタン、これを2-2の末のPK戦に勝ち、なんとか準決勝に駒を進める。しかし、そこに立ちはだかったのは再びイランで、2-8で敗戦、3位決定戦に回ることとなった。3位決定戦の相手は韓国、今なら決して負けない相手だと思うが、これを1-2で敗戦、結局、前回と同様の4位で終わってしまった。

7月15日 台湾<6-5>○ 相根4、大塚、上村
7月15日 シンガポール<8-1>○ 関3、奥原2、大塚、上村、佐々木
7月16日 パレスチナ<2-3>● 関、木暮
7月16日 イラン<4-8>● 鈴村3、上村
7月18日 カザフスタン<2-2>○(PK5-4)大塚、相根
7月20日 イラン<2-8>● 相根、鈴村
7月20日 韓国<1-2>● 金山

 敗因はいろいろあると思うが、木村和司監督も述べていたが、最終的には個人のスキルアップであり、これをレベルアップさせるためには通年のトップリーグが必要不可欠であることが一番の要因であるように思う。イランの壁は厚かった。

 敗因やら、当時の日本代表と今の日本代表はどう違うのかなどについては次回書くとして、今回のお宝写真は、第3回アジアフットサル選手権のパンフレットである。このパンフレットを持っている日本人は極めて少ないと思う。

 というのも、この選手権の開催が2001年7月、アメリカで起きた同時多発テロ事件が同年9月11日発生からもわかるとおり、隣国のアフガニスタン紛争から政情不安定、イランへ行く日本人の応援団は極めて少なかったからである。実際、テロとは無関係ではあるが、決勝戦ともなると会場はイラン人で満員、恐怖に近いものを感じたものである。

 ちなみに、今回、7月31日から開催されているAFCフットサルクラブ選手権2015は、イランの首都テヘランから南へ340km離れたイラン高原オアシス都市として有名なイスファンで開催されている。

 実は2010年3月の第1回大会はイスファンで開催された。したがって、名古屋オーシャンズは5年ぶりにイスファンを訪れたことになる。その選手権であるが、なんと日本代表をさんざん苦しめた、しかし、なぜかその風貌、プレイスタイルから憎めないあのシャムサイーが復活、イラン代表のクラブチーム、タシサット・ダリアエイで出場している。しかも、予選リーグでは2試合6得点で得点ランキング1位なのだ。1975年生まれで40才、まだまだ健在であった。アジア選手権ではこのイラン大会で31得点の初得点王、そこから実に6年連続得点王に輝いている。

 ということで、おまけのお宝写真は、2006年のウズベキスタンで行われた日本初優勝の第8回のアジア選手権、シャムサイーと木暮が並んで表彰を受ける写真を紹介しよう。シャムサイーが得点王、木暮がMVPであった。

サムシャイー木暮

この記事がアップされる頃は、名古屋オーシャンズとタシサット・ダリアエイのベスト4を賭けた対決結果は出ている。森岡対シャムサイーの対決はどちらに軍配が挙がるか興味はつきない。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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