2015.07.31 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その3:地域CLの初代王者だった古豪・小金井ジュール」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2001年3月、カスカベウは選手権優勝の勢いを駆って再びブラジル遠征を敢行する。バネスパインターナショナルカップに参加するためである。この遠征にはほとんどの優勝メンバーが参加したが、早くもボーン77から移籍した金山が参加している。

 これを見る限り、カスカベウはチーム強化に余念がないと思われるが、必ずしもそうではなかった。甲斐、前田はブラジルの本家カスカベウとプロ契約を結ぶことに成功、遠征のあとそのままチームに合流、半年間ほど日本不在となってしまうからである。

 また、のちの話になるが、以前からイタリアリーグ移籍に挑戦していた相根がようやくその夢の実現に成功、同じくこの秋からはカスカベウを抜けることになってしまう。カスカベウにも弱点がこの頃から芽生えていた。

 このように、新たなチームの勃発と一時期を築いたチームの消滅などにより、ファイルフォックスの2連覇、続くカスカベウの逆襲で2強時代が続くかと思われた関東三国志は再び戦国時代に突入する。

 実際、2001年3月に開催された第2回関東リーグは、ファイルフォックスはこの年から参入するも戦力ダウンは否めず、ウイニングドッグ、エスポルチ藤沢は消滅、カスカベウ、府中アスレティックは都リーグを経ていないため、参加できずといった状況で、どのチームが優勝してもおかしくなかった。

 東京都は、ファイルフォックス、ガロ、小金井ジュール、フトゥーロに改名前の府中水元クラブであった。神奈川県は、ぺったんこが落ちてブラックショーツが参入、ロンドリーナ、ブラックショーツの2強指定席がしばらく続く。茨城県は、F・U・Aが落ちてソーラが参戦となった。群馬県は第1回と変らず、渋谷カルチェットであった。

 千葉県はようやく県リーグ体制が整い、単独チームが参加、プレデターに加え、キューピー、メイクナインが参戦する。キューピーは、のちに柏フットサルクラブRAYOと改名、のちに解散したメイクナインから主力選手を吸収して関東の強豪チームに育っていく。

 監督は小林豊(ゴールキーパーも兼ねる)、選手には小竹洋一(のちにスペインリーグ留学、フトゥーロにも在席)、根本久敬(のちにマルバ、ステラミーゴ岩手花巻、スペイン留学)、亀井靖之、ニ見宙、丸太洋介らがいた。メイクナインには、のちに柏に合流した朝妻真一、岩田圭祐、吉川正一らがいた。

 第2回の大会結果は、小金井ジュールが優勝、2位には府中水元クラブが入り、間隙を縫って古豪が優勝するリーグとなった。なお、この大会も12チーム参加、2ブロックに分けて最後に順位決定戦で優勝を決める変則的な方式であった。

 第2回関東リーグ開催から2ヵ月後、5月に入ると新たに2つのリーグが立ち上がった。

 1つは2001年5月4日/5日に行われた地域チャンピオンズリーグである。これは、以前行われていた全国選抜大会がチームから個人の選抜大会に変わったことを受け、新たに地域リーグのチャンピオン同士が集まって日本1のリーグチャンピオンを決めようというものである。したがって、地域チャンピオンズリーグとはいえ、2日から3日間の集中大会であった。

 その第1回大会には、関東からは関東リーグ優勝の小金井ジュール、そして準優勝の府中水元クラブならぬ名称変更したフトゥーロが出場した。ちなみに、関西代表はアスパから名称変更の藤井健太率いるボルドンであった。結果は、小金井ジュールが初代チャンピオンに輝き、2位はボルドン、3位にフトゥーロがなった。

 もう一つのリーグは同じくすでに紹介したダニエル大城が経営する群馬・大泉のブラジルフットサルセンターと1昨年マルバの浅野が水戸にオープンしたフットサルコートを使って行われるリガフットサルジャパンである。こちらの方は通年リーグで、リガ天竜の関東版といったところで日系ブラジル人チームと日本人チームの混合リーグである。

 日本の参加チームはマルバ、オスカーの人脈の関係でファイルフォックス、地理的条件の良い埼玉の高西クラッシャーズ、千葉のNAC、山形のFC小白川などであった。日系ブラジル人チームはむろんイパネマズKOWA、ジョナス、チアゴを擁するERVA DOCEなどである。

 ファイルフォックスはスーパーリーグのときは民間リーグに難色を示していたが、日系人脈という理由もあったが、やはり通年リーグに出場していないとレベルを維持できないと考え、参加したものと思われる。

 この結果、通年リーグは、この年から通年になった第3回関東リーグ(2001年5月~2002年1月)、3年目を迎えるリガ天竜(2001年5月~2002年1月)、2年目を迎えるスーパーリーグ(2001年6月~2002年1月)、そしてこの年スタートのリガフットサルジャパン(2001年5月~11月)の4つが同時並行で開催されることになった。

 そして、第3回関東リーグは、府中水元クラブがフトゥーロとなって出場するほかは、第2回とほとんど同じ、第2回リガ天竜はフットサル世田谷、関東リーグ、スーパーリーグとかけもちのロンドリーナ、慶応BRBら、スーパーリーグには昨年のチームに加え、ブラックショーツ、シャークスら、リガフットサルジャパンにはファイルフォックス、マルバらという具合に、各チームは4リーグを地理的条件や思惑がからんで棲みわけて参加することとなった。だが、この状況はそう長くは続かない。なぜなら、あまりに過密スケジュールとなるからである。やがては通年の関東リーグに統一されていくわけであるが、それにはまだまだ時間がかった。

 ここでのお宝写真は、リガ天竜とならんで、日本のフットサルの大きく影響を及ぼした大泉町のブラジルフットサルセンター(BFC)にしよう。

 BFCは、前にも述べたが群馬県邑楽郡の大泉町にあり、大泉町はブラジルの街といわれるくらい外国人(外国人の居住率は15%と言われ、日本一)、とりわけブラジル人、日系ブラジル人が多く住んでいる。工場で働く彼らのスポーツとしてフットサルが盛んになった歴史は府中と同じで、実際、府中と大泉町間のフットサルに関する人脈、情報連絡網はかなり密なものがあり、とりわけ、オスカー人脈が強い。ファイルフォックスの助っ人、のちのバンフ東北の助っ人の多くは大泉町を拠点とした選手達である。

 写真は、まさにそのファイルフォックスとJAL CUPの常勝優勝チーム、イパネマズKOWAとの練習試合の模様である。写真を見てもわかるとおり、外から見ると倉庫で、中に入ると、目いっぱいコートで、2Fに回廊みたいな観客席を作っている。したがって、この構造を知っているファンはかなりのフットサルフリークといえる。

 最近では、競技志向のチームがここまで練習に来ているとは聞かなくなった。当時はBFCには優秀な選手、チームが多く、こぞってリーグや練習試合に大泉町まで通う日本チームは多かった。ちなみに、この写真の背番号2番は小宮山、黄色いユニフォームの背番号6番はダニエル大城である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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