2015.07.29 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その2:チーム消滅と共に“伝説”となったウイニングドッグと府中水元クラブ」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 前回のコラム「その1:シャークス、ボツワナ、フトゥーロ……フットサル界は新時代へ」では、新チームの誕生について紹介したが、連鎖反応的にチームの消滅も起きた。

 1つはウイニングドッグである。もともとウイニングドッグはサッカー好きの仲間が集まって出来たチームであり、指導者がいるわけでもなし、チーム運営のスタッフがいるわけでもなかった。そのうえ、木暮が前年ブラジル遠征に参加してブラジルフットサルの技術をチームにもたらしたが、それは良い時もあれば対立を生む時もあった。また、日系ブラジル人を助っ人に擁しながら、選手権に出場すらできなかった。これらの要因が選手権出場を逃したことにより顕在化、ウイニングドッグは分裂状態になっていた。

 その状況を見逃さなかったのが、ブラジルツアーで一緒だったオスカーと難波田で、2人が木暮を誘い、木暮のファイルフォックス移籍が決まったのである。のちに岩田、ゴールキーパーの江村周人も入団することになる。木暮は上村らが抜ける話はあとから知ったという。

 なお、ウイニングドッグを設立した小原兄弟は、一時期ロンドリーナに移籍することになるが、そののち競技フットサルからは引退した。ただし、ウイニングドッグ自体はエンジョイ系フットサルチームとして今も存続しているらしい。

 もう1つは府中水元クラブである。こちらの消滅はウイニングドッグ消滅から2ヶ月後のことであるが、前回のコラムで紹介したフトゥーロと合体、チーム名そのものをフトゥーロと名称変更したのである。この結果、フットサルの府中水元クラブは消滅、サッカーのみの府中水元クラブは存続となった。

 当時は名称変更で、リーグ出場の権利を存続するチームの合体が行われた時代であり、フトゥーロは府中水元クラブを継承して関東リーグに出場できることになった。結果的にはフットサルの府中水元クラブが分裂、府中アスレティックとフトゥーロに分かれたことになる。

 こうして、次々と新しいチーム発足の影で一時代を築いた府中水元クラブとウイニングドッグは伝説のチームとなった。

 さて、府中水元クラブから別れた府中アスレティックは、前にも紹介した中村ファミリーが牽引しており、実質は府中水元クラブの血を引き継いだようなものである。

 そして、2000年8月の分裂から苦節15年、今回のオーシャンカップ・神戸フェスタ2015で常勝・名古屋オーシャンズを破って、遂に日本と名がつく公式タイトルをものにしたのである。

 府中水元クラブ時代の1997年第2回全日本選手権優勝から数えると、実に18年ぶりの日本のタイトルということになる。チーム関係者とりわけGMの中村恭平をはじめ中村ファミリーの喜びは、ひとしおであったろう。

 ということで、今回のお宝写真は、2001年スーパーリーグに参加したときの府中アスレティックの集合写真にしよう。 その後の消息については、あやふやな点があるかも知れず、許してもらうとして、メンバーを紹介する。

 監督は、写真にはないが中村恭平(現在のGM)である。写真後列向かって左から住直樹(初めて登場するが、中村ファミリーの1人で、スーパーリーグの紹介によれば、カスカベウの初期メンバーだったとか。また、JFLの経験もある。現在は沖縄料理店ハイサイを経営、Fリーグ関係者がたまに来店するらしい。)、13峯山典明(その後アスレティックでは育成年代のコーチ、サテライト監督などを歴任、フットサルネットで育成フィロゾフィを執筆、若手の育成には定評がある。現在はフットサルスクールの運営、講師を行っている。)、18鈴木洋一(すでに紹介した赤い彗星の異名をとった選手でウイニングドッグから移籍、2012年に関東2部のマルバで現役復帰、2014年には関東リーグ1部NOVO MENTEでプレー)、4中村俊仁(中村ファミリー、元日本代表、現在は東京都2部LEYENDA TAMA FUTSAL CLUBでプレー。レジェンダ多摩フットサルクラブとはその名のとおり、当時の府中のレジェンド達が多く在籍している)、14和久井誠(同じくLEYENDA でプレー)、11中村克史(現在は関東リーグ2部アルティスタ埼玉でプレー、またフットサルショップAvansoを経営している)、16信濃啓象。(独特のテクニシャンで有名、その後、フトゥーロに移籍、今でも現役)。

続いて、前列左から8田畑繁穂(2006年引退)、GK角倉基郎(その後、カフリンガ東久留米に移籍)、2田代昭雄(府中水元クラブ時代からのベテランで、その後サテライトの監督を務め、現在は総監督、また、LEYENDAでプレー)、3番の鞁島三郎(中村ファミリーの1人、その後、トップのコーチを務め、現在はLEYENDA でプレー)、10森佳祐(現在は、アスレティックサテライトのコーチ兼選手および下部組織育成のGM補佐を務める)、17小又裕幸(その後、フトゥーロ、デルソーレ中野に移籍)、7中沢亮太(その後、カフリンガ東久留米に移籍、現在はLEYENDAでプレー)。また、写真には写っていないが、9森拓郎(森佳祐の弟で2010年スペイン留学の経験がある。現在は、サテライトの現役選手)。

 以上、2001年スーパーリーグの集合写真のメンバー紹介である。(ほかにも紹介しきれない選手がいますが、割愛させていただきます。)

 いみじくも今回、神戸フェスタカップ戦で優勝したメンバーのキャップテン皆本晃が優勝インタビューでこう述べていた。

「アスレはこれまで歴史を積み重ねてきたクラブですし、Fに入れない、全日本選手権で負けたとか、関東でも苦しい時期を過ごしてきたので、僕たちはその仲間の思いも背負っています。 1年目には、13連敗も経験しました。それでも未来は明るいと信じてやってきて、フットサルをやめた仲間もいるので、その人たちのためにも絶対にタイトルを取りたいと思っていたので、OBの人たちの思いも背負ってできたので

 ちなみに、皆本晃が府中アスレティックに入団したのは、この集合写真から数えて4年後の2005年である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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