2015.07.22 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第3章「その9:カスカベウ悲願の日本一と、Born77の鮮烈デビュー」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 明けて2001年2月、第6回選手権が駒沢体育館で開催された。見所は、ファイルフォックスの3連覇なるか、それともカスカベウのリベンジなるか。

 ファイルフォックスは予選Cグループを全勝で勝ち上がる。そのCグループには昨年3位のFC小白川がいた。

 カスカベウの方は予選Aグループを2勝1敗とし、得失点差で勝ち上がる。カスカベウに黒星をつけたのは、第2回の選手権で府中水元クラブに決勝で負けた三菱化成黒埼フットボールクラブで、サッカーチームの強豪である。その第2回選手権の決勝戦を見て、カスカベウの前身ともいえるアズーが本格的にフットサルを目指したことを考えると因縁深いものがある。

 そして、いよいよ決勝トーナメント準決勝、ファイルフォックスはボルドンを4-2で、カスカベウはBorn77(ボーン77)を12-5で破り、決勝戦にコマを進める。両雄の再戦が実現した。

 ところで、ボルドンは、スポンサーのアスパフットサルクラブから離れて独立したアスパのメンバーが主体のチームである。すでに述べたようにチーム名は2月にブラジルツアー遠征をした際、試合をしたチーム名が由来である。

 ボーン77は、サッカーもするがフットサルに興味を持った77年生まれの選手が集まった東海代表のチームである。のちにカスカベウに揃って移籍する金山友紀、稲田裕介、三輪修也、ゴールキーパー古庄亨がいた。この大会のあと最初に上京、カスカベウに入団したのは金山で、すぐさま日本代表に選ばれるシンデレラボーイとなった。

 ちなみに3位決定戦のボルドン対ボーン77は経験の差が出たか、7-2でボルドンが勝利、3位となった。

 決勝戦は、スコアは前半が1-1で同点、しかし、後半は3-1の2点差を付けて、都予選に続いてカスカベウが勝利、ついに大願成就となった。都予選も前半は同点で、後半2点差をつけている。これは、チームに厚みが増したことを示している。今までだと甲斐、相根、市原、前田のセットが最強で、そのセットでないと戦力が落ち、結局、彼らの負担が増えて後半が厳しかった。その弱点を埋めたのは、ボラッコ、ドゥダ(のちにファイルフォックス,シュライカー大阪)アドリアーノ(のちにシュライカー大阪監督)などの日系ブラジル人であった。

 一方、ファイルフォックスの敗因は、マルコス山口、沖村リカルド(シニーニャとも呼ぶ、のちに湘南ベルマーレ)、チアゴ(昨年もいた)らが助っ人になったが、昨年のリカルド比嘉、ジョナスに比べると戦力ダウンは否めなかった。それと今年の活動レベルが下がっていたことからもわかるとおり、チームの一体感が落ちていたことが敗因に挙げられる。

 その背景には日系ブラジル人の助っ人問題があった。日系ブラジル人達は、普段は一緒に練習しているわけではなく、選手権が近づくと合流する。したがって、もともとチームワークの問題や助っ人が来ることでメンバー入りできない日本人選手が出るなどの問題は承知の上であったわけであるが、通年リーグがない時代はそれでも調整できる範囲であった。しかし、次第に通年リーグが当たり前のようになるとますます選手権だけの補強がチーム全体の運営にとって良いことなのか課題が浮き彫りになってきたのである。

  皮肉なことにカスカベウも日系ブラジル人起用の道を選んでリベンジを果たしたのだが……。こののち、この問題が新たなチームの合従連衡を生み、次の三国志の幕が開くのであった。

 お宝写真は、もちろん、悲願の優勝なったカスカベウの集合写真である。前列左から、安田、甲斐、ドゥダ、前田、林善徹、相根、後列左からGK遠藤、ポラッコ、アドリアーノ、市原、中野歩、コーチ前川義信、GK松原の面々である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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