2015.07.10 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第3章「その6:神奈川ムーブメント。ロンドリーナの発展とブラックショーツの台頭」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2000年7月、チーム勃発から4年経過、固まってきたかに見えたフットサルの群雄割拠は新たな展開を迎えることになる。それは神奈川ではエスポルチ藤沢の競技フットサルからの退場とロンドリーナへの発展、ブラックショーツの台頭、東京では同じく府中水元クラブから府中アスレティックの独立などである。

 この動きは10月に開催されることになるスーパーリーグの誕生と無縁ではない。日本の競技フットサルのレベルを2回のアジア選手権、アトレチコミネイロ、FCバルセロナの来日、カスカベウ、アスパのブラジル遠征などの経験を通じて、世界のフットサルとは大きな差があることは選手自らが強烈に感じ始めたのである。

 そしてその差を埋めるためには都県レベルのリーグではない強豪チーム同士のしかも通年のリーグが必要であった。今でこそ地域リーグ、全国リーグのFリーグが当たり前のように存在しているが、この頃、関東リーグはまだ年1回の開催である。

 2000年7月、スーパーリーグ誕生の前ぶれとして、まず、エスポルチ藤沢の関野淳太が動く。関野は関東リーグに参加したもののエスポルチ藤沢には物足りなさを感じていた。関野は分離独立したカスカベウの活躍を横で見ていたわけであり、続いて自分もと思ったであろうことは容易に想像がつく。

 そして、カスカベウと同様ブラジルの街LONDRINAの名前にあやかり、P.S.T.C.LONDRINA(ロンドリーナ)を立ち上げる。P.S.T.Cとはブラジルパラナ州のサッカーテクニカルセンターの意味でサッカー養成学校が運営母体となっている。

 メンバーはほとんどエスポルチ藤沢から移っている。この結果、エスポルチ藤沢は存続するものの競技フットサルからは退場してしまった。

 ブラックショーツは、それぞれのチームでフットサルをやっていた神奈川の選手達が、強いチームを作ろうと上原(神奈川の強豪チーム、US)、多田大輔(エスポルチ藤沢)、吉田覚悟(ウイニングドッグ)、長尾(カスカベウ)らが結集したチームで本格的に競技フットサルに参入することになる。のちのスーパーリーグの参戦は2年目であったが、この年の神奈川の選手権予選ではロンドリーナを破り、関東予選へ進んでいる。

 お宝写真は、そのブラックショーツの集合写真にしよう。ブラックショーツは、関東リーグは第2回から神奈川代表で参入した。栄枯盛衰の三国志の中で現時点ではファイルフォックスと並んで1部在籍で存在感を示している。今や日本の最強エース森岡薫(名古屋オーシャンズ)がこのブラックショーツで本格的競技フットサルにデビューしたことを知る人は少ない。(本コラムでいずれデビューするので、乞うご期待)

 さて、写真をみると残念ながら当時のメンバーはもはやいなくなっているが、唯一、新海和也(前列左から3番目)が現在監督を務めている。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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