2015.07.01 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第3章「その3:フットサル界が語り継ぐべき教訓“バンコクの悲劇”」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2000年4月、日本代表合宿の最終選考合宿が小田原アリーナで行われた。世界選手権出場を賭けたアジア選手権は5月5日からタイのバンコクで開催される。

 最終合宿で代表に残ったメンバーは、ゴールキーパーが金澤、定永、札幌ベアフッドの高間専一郎、フィールドに須田、相根、上村、市原、藤井、前田、難波田、鈴村、アスパの安川知弘の合計12名であった。

 この12名の数がのちにバンコクの悲劇を生む一つの要因になった。カスカベウはファイルフォックスを押さえて最多の3人、相根、市原、前田を送り込んでいる。以降、この3人は長らく日本代表の中枢メンバーとなった。

  そして、2000年5月、本番のアジア選手権予選が始まった。予選リーグは、日本は強敵イランと同組のグループAに入った。グループAには強敵イランがいる。結果はウズベキスタンに4-2、イランに2-6、マカオに12-1、キリギスに6-0で3勝1敗となり2位通過を果たす。ここまでは予定どおりの戦いであった。むろん、1位はイランで4勝0敗である。

 結果、グループBの1位カザフスタンと準決勝で対戦、勝てば2位以上で世界選手権出場を果たす。カザフスタンには前回大会の3位決定戦でPKで敗れている。しかし、ここは一気に決めて決勝進出、世界選手権切符を確保しておきたいところ、3位決定戦に回ってしまうと、地元タイと戦うことが濃厚だったからだ。 しかし、そんな願いも空しく、6ー9で敗れてしまった。前半は2-1とリードしたが、後半、攻めに行ったところを速攻のカウンターをくらっての逆転負けである。

 国内でもよく見られるフットサルチームがサッカーチームに速攻で敗れるパターンであった。速攻をくらったとき、ファウルで止める悪循環もあって、後半だけで9ファウル、4つの第2PKを決められてしまったことからもわかるように、相当、プレッシャーがあったのだろう、試合をうまく運ぶ余裕はなかった。

 翌日は、イランに2ー8で敗れたタイとの3位決定戦、すでにタイに来てから6試合目を迎え、疲れはピーク、しかも藤井を昨日のレッドカードで欠き、難波田は怪我を押しての出場、相手はホーム、日本にとっては相当ハードな条件が揃ってしまった。

 それでも、前半は3-2とリードした。後半も、いったんは逆転されたが再逆転もした。しかし、最後はタイのホームパワーに圧倒され力つきた格好で、6-8で敗戦、3枚目の世界選手権切符は開催国タイに譲り、世界選手権出場の夢はならなかった。

ちなみに成績は、以下のとおりである。

5月5日 ウズベキスタン<4-2>○ 藤井2、上村、相根
5月6日 イラン<2-6>● 前田、相根
5月7日 マカオ<12-1>○ 市原3、安川3、前田2、相根2、上村、鈴村
5月8日 キルギス<6-0>○ 市原3、藤井、上村、相根
5月11日 カザフスタン<6-9> ● 前田2、市原2、藤井、難波田
5月12日 タイ<6-8>● 難波田2、須田、前田、相根、上村

 ちなみにバンコクの悲劇という言葉は、フットサル専門誌ピヴォの第2号、アジア選手権の速報記事内で使われた言葉である。

 今回のお宝写真は、バンコクまで応援に行ったフットサルネット山戸提供の試合の一コマである。世界選手権がかかる3位決定戦、2000年5月12日、19時12分、前半15分、難波田のパスを上村がアウトサイドキックのワンタッチでシュート、3-1としたシーンである。上村らしい技ありシュートで、ここまでは日本のペースだったのだが……。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

【編集部より】前回の記事でペスカドーラ町田の岡山孝介監督の名前を誤って掲載しておりました。お詫びして訂正いたします。

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