2015.06.24 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第3章「その1:カスカベウ、アスパ、ファイル、ドッグ……“呉越同舟”のブラジルツアー」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2000年2月、失意のカスカベウは成田空港にいた。マリオ安光が企画したブラジル遠征に参加、BARUERI CUP(バルエリという街で行われる)に出場するためである。もう1チーム、これまたファイルフォックスに選手権決勝で敗れ、再出発を図りたいアスパがいた。

 BARUERI CUPの出場チームはグループAがコリンチャンス(オスカーの古巣)、ウインプロ(のちにファイルフォックス小松竜一が留学、日本代表が練習試合も行う)、GM/シボレー、日本のアスパ、グループBがバネスパ(のちに難波田、木暮が留学)、パルメイラス(のちのシュライカー大阪ドゥダの古巣)、バルエリ、日本のカスカベウである。

 ブラジルの出場チームはトップクラスのチームばかり、しかもこのBARUERI CUPの合間を縫ってサンパウロFC、BORDONなどとも試合をした。夢のようなフットサルツアーだ。

 ところで「BORDON」といえば、お気づきの方もおられるだろう。のちに藤井がアスパから独立、立ち上げたチーム名と同じである。なんでも、このBORDON戦で大量にプレゼントされたユニフォームがBORDONと書いてあったのでユニフォーム代節約のため命名したとのこと。いかにも関西人藤井らしい。

 さて、結果は、両チームとも全ての試合で10点以上の大差を付けられるもので、順位は最下位であった。しかし、両チームにとって選手権の負けを取り戻すほど収穫のあるツアーだった。とにかく、ディフェンスばかりしていたのでディフェンスが強くなったことは確かである。ちなみに、いくつかスコアを紹介しよう。

カスカベウ:0-11コリンチャンス、カスカベウ 2-13パルメイラス
アスパ:3-16 コリンチャンス、1-12ウインプロ

 この遠征には、実は両チーム以外に3人のメンバーが帯同していた。ファイルフォックスのオスカーと難波田、そしてウイニングドッグの木暮で彼らもカスカベウに混じって試合に出場した。この出会いが、のちに木暮がファイルフォックスに移籍、カスカベウと対決するきっかけになろうとは本人も当時は知る由もない。

 2000年3月、彼らにとって息つく暇もなく、日本代表の選考会が始まった。それは5月に行われる第2回のアジア選手権のためのもので、今度は正真正銘、3位になれないとこの年に行われる第4回の世界選手権に出場できない。

 監督は前回にひき続いてマリーニョ、コーチはのちに第4回アジア選手権日本代表監督になる目黒FCの原田理人で、各地で選考会が行われた。最終選考会に残った関東勢のメンバーを紹介するとファイルフォックスから上村、難波田、渡辺、カスカベウから市原、前田、相根、目黒FCから須田(前回大会はコーチで元浦和レッズ)、ゴールキーパーの古島、プレデターから岩本、ウイニングドッグから木暮、アムニスバカジュニアーズから清野乙彦(元名古屋グランパス)、NACからゴールキーパー金澤(かってエスポルチ藤沢)が選ばれた。

 ちなみにアムニスバカジュニアーズとは、すでに紹介したサッカーのサポーターウルトラニッポンで有名な植田が立ち上げたチームで東京都リーグに所属、好成績を納めた時期もあった。また、清野乙彦は、ヴェルディジュニアユースから帝京高校、名古屋グランパスの経験の持ち主で木暮の小学校時代のサッカーチームの先輩であった。

 関西勢は、アスパから藤井、安川知広、異色はフットサル経験がこの時はほとんどない元ヴィッセル神戸の鈴村拓也(のちにマグ、スペインリーグ、デウソン神戸)であった。

 さて、今回のお宝写真は、まさに呉越同舟のブラジル遠征の記念写真である。後列向かって左からオスカー、木暮、難波田、市原、安田、甲斐、遠藤、中野(中野歩)、前列左から黒岩、前田、松原君守(ゴールキーパーでルネス学園出身)、中村、高島の面々である。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事