2015.06.05 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第2章「その6:フットサル創世記に“登竜門”となった大会」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 1999年5月、新しい試みの大会が開催された。それは第15回全国選抜フットサル大会である。それまでの選抜大会は地域から選抜されたチーム同士の大会であったが、この15回大会から地域の個人が選ばれ、その選抜チーム同士で優勝を争う大会に変わったのである。

 逆に地域の選抜チームの大会はのちの地域チャンピオンズリーグとなった。ちなみにその前までの選抜大会の優勝チームは、12回、13回が府中水元クラブ、14回がアスパとなっている。

 サッカーだと国体があってそれが選手個人の励みや個人の発掘につながるが、フットサルには国体がない。本大会はその替わりの役割を狙うものであった。しかしながら、実際この時に選抜チームを組めた地域は北海道と東京だけで、まだフットサルの普及が進んでいないことがうかがえる。

 もう一つ、本大会の目玉は、さきほど行われた第1回アジア選手権の日本代表メンバーのほとんどが日本フットサル連盟推薦の「日本選抜」として出場している点であった、

 結局、決勝は日本選抜と関東選抜の戦いとなり、3-2で日本選抜が勝利、日本代表の面子を保った。しかし、1点差であったこと、内容的に遜色なかったことから、戦った関東代表また観戦していた他チームの選手も日本代表を手に届くところにあると感じたのではないだろうか。

 その関東選抜には、ファイルフォックスから前田、エスポルチ藤沢から黒岩、甲斐、広山、安田、ウイニングドッグから小原(拓)小原(信)、木暮、府中水元クラブから鞁島、歳森 浩一郎、小金井ジュールから寺本、原、目黒FCから横山らが選ばれている。(なお、この選抜は、3月に行われた関東リーグプレ大会が選考基準になっているため、その時のチーム名で表記している。)

 ちなみにこの選抜大会の目論見に合致した選手が木暮で、木暮はこの選抜大会に選ばれ、日本選抜と戦ったことが、サッカーからフットサルへ転向したきっかけになったという。19歳の時であった。

 1999年6月、当時の民間大会として規模、参加チームの実力ともNO1と思われる第1回のFDCカップの決勝大会が山中湖スポーツセンターで行われた。春頃から予選が全国で始まり、日本一を競うものである。主催は(株)セリエ、大会スポンサーはフットサルダイジェストで、予選からの結果がフットサルダイジェストのフットサルコーナーに掲載されるので、競技志向の選手にとっては励みになる大会であった。

 まだ、フットサル専門誌フットサルマガジンピヴォが創刊されていなかったため、いわゆる定期刊行物のマスメディアに掲載される唯一のフットサル大会だったのではなかろうか。

 なお、(株)セリエはサッカー大会の運営、サッカーの海外応援ツアーの旅行を主催していたが、のちにフットサル日本代表の応援ツアーも手がけることになる。

 この第1回大会の優勝はカスカベウであった。ちなみに第2回大会優勝はウイニングドッグ、続いてEstrela、BFC KOWA、フトゥーロ、カフリンガと続くが、優勝チーム名から見てもわかるとおり、レベルの高い大会で、当時としては強くなりたいあるいは目立ちたいチームの登竜門となる大会であった。

 ちなみに、翌年の2000年8月には、同じくメディアと結びついた登竜門大会、第1回ピヴォチャンピオンズカップが開催されている。

 余談になるが、FDCカップの優勝チームは、同じく(株)セリエが主催する日韓親善フットサル大会に出場する副賞があった。カスカベウは韓国に遠征、韓国でも優勝を果たしている。

 このとき、同時に女子の日韓親善フットサル大会も行われ、その大会に参加していたチームが女子の強豪チームでのちに公式第1回全日本女子フットサル選手権大会に優勝するパラレッズであった。

 彼女らが本格的に競技フットサルに転向した理由はこの大会でカスカベウの試合を見て刺激を受けたからだという。こんなところにもカスカベウの影響が出ている。

 今回の貴重な資料は、第15回全国選抜フットサル大会のパンフレットから抜粋した主要地域の選抜メンバー表である。北海道選抜を見ると現在エスポラーダ北海道の監督、小野寺隆彦の名前がある。また、GKの角田麻人は、のちに上京、ウイニングドッグに加入、その後シャークスに移籍した。2000年7月に行われたFCバルセロナと日本選抜の親善試合のメンバーにも選ばれている。関東代表では前述した木暮ほか、その頃の関東の競技フットサルを牽引するメンバーが多数選ばれている。

 JFF(日本フットサル連盟)選抜は、ほぼその年の2月に行われた日本代表のメンバーであるが、注目すべきは同じJFF推薦のMINATODANI.FC(静岡、のちに田原FCと改名)のメンバーである。のちの名古屋オーシャンズ、日本代表ゴールキーパーの川原永光、のちに第4回アジア選手権日本代表、現在はアグレミーナ浜松の運営会社社長である和泉秀実、のちにアグレミーナ浜松前監督の前田健一などの名前がある。まさに登竜門の大会であった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

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