2015.05.31 Sun

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第2章「その5:“ブラジル”の強さを学んだコパジャル&リガ天竜」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 1999年4月、静岡県浜松アリーナにて、珍しい大会が開かれた。日本の競技フットサルのレベルアップに大きく貢献した大会と言っても過言ではないコパジャル(COPA JAL、ジャルカップともいう)である。

 日系ブラジル人のチームに混じって日本人チームが参加するカップ戦で、甲斐にブラジルのフットサル留学を薦めたマリオ安光が主催者である。もともと、日系ブラジル人だけの大会だったのだが、日本のフットサルの普及状況を見て、日本人チームの参加を呼びかけた。

 スポンサーは日本航空のブラジル旅行専門の代理店J—INTER。ブラジル旅行客の集客を目論んでのことであるが、社長吉村恭悟のフットサル普及の功績は大きい。

 この大会に、ファイルフォックス、カスカベウが出場したが、ファイルフォックスは4位、カスカベウは予選リーグ敗退で終わっているから、いかに日系ブラジル人チームの実力が高いかがわかる。また、両チームに日系ブラジル人が深くかかわっていることがわかる。

 優勝した日系ブラジル人チームは、群馬を拠点とするイパネマズKOWAで、ダニエル大城、のちにプレデターやウイニングドッグに助っ人参加したこともあるシーナ、それとオスカーも変則的にファイルフォックスから参加していた。このチームは3ヵ月後に開催される日系ブラジル人チームと日本人チーム混在の通年リーグ、リガ天竜でも優勝していて、当時は恐らく日本一のチームだったに違いない。

 そのリガ天竜であるが、1999年7月、天竜市の天竜体育館を拠点に始まった。天竜市は2005年に浜松市に編入されたが、体育館の場所は、東名高速の浜松インターから小一時間天竜川を上ったところにある。コパジャルと同じく主催者はマリオ安光である。

 日系ブラジル人チームに混じって日本人チームも参加を呼びかけ、7月にスタート、翌年の1月までの全6節の通年で戦おうというものであった。リーグは1部と2部があり、1部は9チーム、日本人チームはファイルフォックス、カスカベウ(スポンサーの関係でピットスポットの名称で出場)、関西からアスパ、府中水元クラブ、2部は10チーム、日本人チームはウイニングドッグが参戦している。

 余談になるが、このリーグに足繁く通い、フットサル記事を書くライターらしき人物がいた。それは、翌年日本初のフットサル専門誌フットサウマガジンピヴォを創刊した編集長の山下浩正であった。のちにメディアとしてフットサル界に大きくかかわるわけであるが、原点は天竜の地だったかも知れない。

 コパジャルおよびこのリガ天竜は当時の日本人チームのレベルアップに大きく貢献した。理由は、日本人チームとブラジル日系人チームと混在であるから、当然、日本人チームは本場のブラジルフットサルを勉強できた。何よりも、あたかもブラジルへ行ったような雰囲気を味わえる点、日本人チームのモチベーションは上がったものである。

 次に、ファイルフォックス、カスカベウ、アスパ、府中水元クラブなど日本ではトップクラスのチームが関東、関西から車で3時間あまりもかけて通うほどレベルが高いという点である。3点目は、期間は比較的短いが、通年制を取っていて、いわゆるリーグ戦の特長である長期に渡って真の実力を発揮できる場であることである。当時は、通年リーグはまだ少なかった。実は、このリーグがのちにスーパーリーグを生み出す原動力となった。

 日本人チームの成績であるが、カスカベウが2位に入る健闘を見せたが、やはり3時間の車の移動はハンデもあり、ファイルフォックスは4位、府中水元クラブが5位、アスパAは6位に終わった。2部のウイニングドッグも成績はふるわなかった。それでも、本場ブラジルのフットサルが少しでも学べる点は魅力的で、第2回以降もプレデター、ガロなどが参入した。

 優勝は、コパジャルに続いてイパネマズKOWAであった。メンバーにはダニエル大城、リカルド比嘉、ジョナス、山崎チアゴらがいた。

 ダニエル大城、リカルド比嘉の名前でわかるとおり、彼らはオスカーつながりでファイルフォックスの助っ人で選手権になると顔を出していた。ダニエル大城は日系ブラジル人の街、群馬の大泉町にブラジルフットサルセンターなるフットサル施設を経営、同じく日系ブラジル人チームと日本人チーム混合の大会やリーグを開催している。

 ちなみに9月に行われた大会にはカスカベウ、ウイニングドッグ、プレデターが出場している。なお、イパネマズKOWAはその後BFC KOWAへと発展、のちに群馬県より関東リーグ2部に昇格している。

 コパジャル、リガ天竜、ブラジルフットサルセンターの大会などを通じて、日本人チームと日系人チームの交流が盛んになり、この頃から日系ブラジル人が日本人チームのメンバーに助っ人で入ることが多くなってきた。例えば、翌年の選手権のウイニングドッグは監督にマリオ安光、選手ではCIBRASILのシャンジ、プレデターでは大城ダニエル、シーナなどである。

 それには理由がある。日系ブラジル人にとって、日本の選手権やリーグ戦に出場することは彼らの存在感を示すことになり、名誉であることと場合によってはアルバイト料が入るメリットがある。一方、日本人チームにとっては即戦力の補強である。しかし、必ずしも成功するわけではない。やはり、選手権だけの即席ではチームワークに難があり、日系ブラジル人選手の方が実力は上であるから孤立してしまうケースが多く、逆に弱点になってしまう場合もあった。

 さて、現在はというと、残念ながら日系ブラジル人の姿は関東では少なくなった。当時から10年もの年月が経過し、経済情勢も大きく変化した。少なくとも関東リーグではもはや復活は望めないだろう。

 しかし、Fリーグは日系ブラジル人ばかりでなく、幅広く外国人をもっと積極的に取り入れてもよいのではないだろうか。「リカルジーニョ」よ、もう一度とまでは言わないが、今シーズン(2015/2016)のFリーグは外国人、日系ブラジル人は選手合計212人中17人(帰化した選手も含む)で約8%と少ない。2008/2009年シーズンの8チーム時代も17人だったから増えていないのである。

 今回のお宝写真は、知る人ぞ知る浜松市の天竜体育館で繰り広げられたリガ天竜の日本人チームと日系ブラジル人チームの熱き戦いの一コマである。試合当日は、体育館入口前にブラジルのガラナジュースやシュラスコなどの店が出る。体育館の中はポルトガル語の簡単な選手名鑑が配られ、ポルトガル語のポスターが掲示され、審判も、観客も日系ブラジル人など、外も内もブラジルで試合をしている雰囲気が醸し出されていた。ちょうど、ブラジルやスペインの2部クラスの小さな街の体育館の雰囲気に極めて似ているのだ。

 選手達にとっては東京を早朝に出て、東名高速を走り、時には2試合をこなして舞い戻る強行軍だったが、ブラジルフットサルに触れることができる至福の時だったに違いない。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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