2015.04.14 Tue

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第1章「その5:AZUL解散!甲斐修侍と眞境名オスカーは別々の道へ」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 1998年4月、アズーが準優勝を遂げたことで、新年度が始まるとその刺激を受けて、さらに多くのフットサル専門チームが勃発する。また、フットサルの普及もこの頃から盛んになり、都府県レベルの地域リーグが発足、東京都では第1回のフットサルリーグが始まった。このリーグには、府中水元クラブ、小金井ジュール、目黒FCなどが参加した。

 ちなみに目黒FCは、目黒を拠点とするチームで、監督にはのちに第4回アジアフットサル選手権日本代表監督の原田理人が監督、元セレッソ大阪で第3回アジア選手権日本代表の横山恵介、同じく元浦和レッズで第2回アジア選手権日本代表須田芳正らを擁するチームで、無論、第4回選手権に挑戦する。のちに目黒FCはIPD FCへと変わっていくが、フウガ(のちのフウガドール墨田)と少なからず因縁がある点は興味深い。(フウガは当初FUGA MEGUROと名乗っていた。フウガと目黒の関係はのちに登場する)

 しかし、この年の大きなトピックスはなんと言っても選手権準優勝のアズーが解散、カスカベウの前身となるエスポルチ藤沢とファイルフォックスに分かれたことである。この三国志の2強が実は当初同じチームであったことは大変興味深い。

 まずはアズーで悔しい思いをした甲斐は、さらに上を目指すためにチームの活動拠点をもっとアクセスの良い場所に移すことを決意した。そして、大塚のもとで藤沢、横浜あたりに拠点に移し、エスポルチ藤沢を創設する。

 メンバーには、先の選手権で知り合った中学時代からブラジルサッカー留学経験を持つ市原誉昭(のちにプレデター、バルドラール浦安、ペスカドール町田、湘南ベルマーレ)が加わった。市原はブラジルのサッカー留学を終え、甲斐と同じくプロサッカーを目指すが適わず、選手権で知り合った甲斐に合流する道、すなわちフットサルの道を選んだのだった。エスポルチ藤沢は神奈川から第4回選手権に挑戦する。

 一方、ブラジルフットサルをもたらした眞境名オスカーは、かねてより日本のフットサルには監督が必要と思っていた。そこに、鵜飼孝(のちにシャークス、ゾット早稲田のコーチを務めたこともある)がトップでやらないかと誘ったことで、ファイルフォックスの設立を決意、府中に戻って府中人脈を中心に人材を集めることとなった。鵜飼孝は中学時代、ヴェルディジュニアユースに所属、U-13の世界選手権、東海大菅生高校からブラジルサッカー留学を経験するなどの経歴を持ち、これを機会にフットサルに転向するのであった。

 この2人に府中水元クラブから上村、難波田、前田喜史(のちにカスカベウ、名古屋オーシャンズ、府中アスレティック、ペスカドーラ町田、徳島RAPAZコーチ)、定永久男(のちに名古屋オーシャンズ、バサジイ大分、現在はシュライカー大阪キーパーコーチ)らが加わった。難波田と前田は高校が同級であった。また、定永は大阪の日系ブラジル人主体のチームでゴールキーパーをやっていたが、オスカーの人脈で誘われ、東京に出て来たのである。彼らも第4回選手権を目指す。

 1998年夏、甲斐と市原は短期間ではあるが、ブラジルのCASCAVEL(カスカベウ)にフットサルの武者修業に出かける。誘ったのは、マリオ安光で、豊橋、天竜あたりでフットサルのスクールや大会開催、ブラジルへフットサル留学の斡旋などを主たる仕事にしていた。府中市と同じように豊橋、天竜地域も日系ブラジル人が多く働いており、フットサルが盛んに行われていた。そして府中市を中心とする関東地方とも情報チャネルを築きつつあった。

 ちなみにCASCAVELは安光のブラジルの故郷の街で、サンパウロから西に500キロ離れた場所にある。実はこの近くにはLONDRINA(ロンドリーナ)という街もあり、2つの街が日本のフットサルチーム名の由縁になっていることは興味深い。もっとも、ロンドリーナ(のちの湘南ベルマーレの母体)の立ち上げは、2000年でだいぶ後のことである。

 さて、今回の貴重な写真は、ミスターフットサルこと上村信之介である。すでに何度も上村の名前は出現していたと思うが、すでに紹介した藤井健太と同様、第1回フットサル選手権から出場、日本代表も務め、いわゆるレジェンドの1人である。上村のテクニックは天才的で、これぞフットサルを体現、見るものを魅了した。誰がいつから名付けたかは不詳であるがミスターフットサルの称号にふさわしい。この写真は決勝で三菱黒崎フットボールクラブを4-1で下して優勝した第2回選手権の優勝インタビュー(府中水元クラブ時代)のものである。この時、上村は4点中3点を挙げているが、どれも素晴らしいテクニックのものであった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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