2015.03.24 Tue

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第1章「その2:府中水元クラブと藤井健太」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 第1回選手権の大会にいちはやく反応したのは、府中市を活動拠点とする中村恭平(のちに府中アスレティック監督、ゼネラルマネージャー)が率いるフェニックス、松村栄寿(のちにファイルフォックス監督、コーチ)率いるエルマーズなどのサロンフットボールのグループであった

 というのも、府中市は、東芝、日本電気など日系ブラジル人が働く工場が比較的多く、日本人も含めてサッカーと同時にサロンフットボールが盛んに行われていたからである。多くのチームはサッカーもやればサロンフットボールも楽しんでいて、チームのかけもちが多かった。しかし、公式の大会参加となると正式なチーム登録が必要になり、そこでサッカーの東京都社会人リーグ所属の府中水元クラブで出場ということになった。

 陣容は、監督は松村、選手は中村、弟の鞁島三郎、中村俊仁(両者はのちに府中アスレティック)、またエルマーズからミスターフットサルといわれ、ヴェルディジュニアユースの経験を持つ上村信之助(のちにファイルフォックス、フトゥーロ)らを擁して大会に臨んだ。サッカー一辺倒ではない基礎があったので、予選をクリア、決勝大会に進むことができた。

 ちなみに前述した中村三兄弟に加えた2兄弟の中村5兄弟は、フットサルの名手として有名な家族で、府中水元クラブとは別に彼らを中心にした「踊るファミリーズ」というチームで民間大会に出場、好成績をおさめていた。のちにJFAはファミリーフットサルなる普及活動を展開することになるが、その先駆けであった。

 明けて1996年1月、ついに第1回全日本フットサル選手権は開催された。場所は有明コロシアムで、以降、第4回までは有明コロシアムで開催された。今でもオールドファンにとっては懐かしいフットサルのメッカ的存在となっている。

 初参加ながら関東代表として決勝大会に進んだ府中水元クラブであったが、まだまだサッカーが強い時代で、予選でNTT九州サッカー部に敗退してしまった。NTT九州といえばJ2のロアッソ熊本の源流となる強豪サッカーチームである。また、優勝したチームも、体育系専門学校のサッカー専攻学生のチームで、ルネス学園甲賀サッカークラブだった。また、府中水元クラブを破ったNTT九州サッカー部は3位に入っている。

 ちなみに、優勝したチームの学生にのちにアスパ、バルドラール浦安、ペスカドーラ町田の藤井健太がいた。藤井健太は、関西出身ながらどうしてもフットサルの技術を極めたいと関東に移住、ついには日本代表キャプテンまで上り詰めた選手である。先日行われた第20回全日本選手権(PUMAカップ)でもペスカドーラ町田の主力選手として出場、3位に輝いた。20年間、第一線で活躍するその健在ぶりには頭が下がる。写真は、第3回の優勝の表彰式の写真であるが、あどけなさが残る貴重な写真である。

 第1回選手権が終了してほどなく、前述した第3回世界選手権のアジア予選が上海で開催された。アジア予選は始めてのことである。その日本代表には選手権で活躍した藤井、上村が選ばれている。成績は予選で敗退となったが、翌年開催される第1回アジアフットサル選手権(以降アジア選手権と称す)の試験的大会の位置付けにもなり、のちにつながる貴重な経験を積むことができた。

 全日本フットサル選手権、世界選手権のアジア予選と日の当たる大会が続くなか、のちにフットサル界に大きく影響をおよぼす1人の選手がフットサルにかかわり始めた。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

関東フットサル三国志/バックナンバー

◀︎前の記事 トップ ▶︎次の記事