2015.03.18 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第1章「その1:それは選手権から始まった」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 1995年、日本サッカー協会は、サロンフットボールからFIFAルールに則ったフットサルの普及を受け、全日本フットサル選手権(以降選手権と称す)開催を決断、その第1回大会を1996年の1月開催とした。

 サッカーの天皇杯と同じ仕組みで、誰もが参加でき、地方の予選大会を経て、中央の決勝大会にはおおよそ16チーム(のちに20~24チーム)が進み、日本一を競うものである。以来、選手権の開催は、年末に地域の予選、決勝大会は年初(1月から3月)に開催されている。

 選手権開催決定の背景には、世界選手権・アジア予選の代表選考の場が必要になったことが挙げられる。今までファイブアサイドフットボールと呼ばれていた競技名がフットサルと正式に独立した競技名に改められ、FIFAフットサル世界選手権(以降世界選手権と称す)となって、1996年スペインで開催されることが決まったのである。

 そもそもフットサルは、今のところ学校スポーツでもないし、企業スポーツでもない。したがって、競技志向のチームが参加できる大会は、フットサル施設あるいはイベント会社が開催する民間大会がほとんどで、当時はその大会もまだ数は少なかった。

 そんな折に開催されることになったサッカー協会主催の全日本選手権大会は、フットサルなら日本一に成れるかも知れないという足に自慢のフットサル愛好家チームはもちろんのこと、本格的な大学のサッカー部、企業のサッカー部などもこぞって出場する夢のある大会となった。初回の参加チーム数は定かでないが、回を重ねるごとに1000チームを超える大きな大会となっていった。

 そして、月日は流れ、先日、第20回の選手権がPUMA CUP 2015として、行われたというわけである。今でこそ競技フットサルの中心はFリーグに移ってしまったが、フットサル競技が発展途上ということもあって、いわゆるエンジョイフットサルのストレートな延長戦上に選手権があり、結果的に多くの競技志向のチームや選手を輩出してきた大会と位置付けられる。

 冒頭の写真は、第3回の優勝杯で、第1回からこの優勝杯だったかどうかはわからないが、この優勝杯を掲げることを目指して、この20年間、多くのチーム、選手が喜び、涙してドラマを繰り広げて来たことは間違いない。

 ちなみに、今回名古屋オーシャンズが大会3連覇で幕を閉じたが、東西に分けるならば、東の11勝、西の8勝となっており、西が5連勝と急迫している。(1回少ないのは、東日本大震災の影響で決勝ラウンド開催中に中止となったからである。)

 果たして、第1回大会にはどんなチームが参加したのであろうか。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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