2019.03.20 Wed
Written by EDGE編集部
▶Fリーグ
【伝説の証言者】奇跡のチームのその後のストーリー。「ただの通過点」(須賀雄大監督)と「達成感」(金川武司)

写真:本田好伸
【伝説の証言者】FUGA MEGUROはなぜ日本一になれたのか? 7人が明かす「史上最高の下克上」の真実 Witness 6
日本一になったFUGA MEGUROはその後、Fリーグ移籍か引退など、半数以上の選手が退団した。そこからまた強いチームを作ることは簡単ではないはずだ。しかし彼らは、地域王者を決める地域チャンピオンズリーグで前人未到の5連覇を達成するなど、フウガ・イズムを継承しながら強さを維持し続け、2014シーズンから満を辞してFリーグに参入した。全日本選手権大会で優勝した瞬間の感情を、須賀雄大監督は「通過点」、金川武司は「到達点」と言った。まるで正反対のようだが、2人は今も、このクラブの未来を描き続けている。フウガを象徴する彼らは、あの時からどのように針を進めてきたのか。2009年、10年前の彼らの「成功体験」は、2019年、10年後の今に、確実につながっている──。
(取材・文・構成 本田好伸)
ここまで、須賀雄大、金川武司、深津孝祐、渡邉知晃、深津孝祐、星翔太の6人の証言者の言葉に触れることで、あの時代のフウガが何よりも特別だったことを改めて痛感する。と同時に、数ある勝因を紐解いて見えてくるのは、常にそこにいた「人」の話である。当たり前だが、フウガには人がいた。
うまい人、人間性に優れた人、熱い人、面白い人、諦めない人、そして、意思のある人。組織であれば、個性的なメンバーがそろうことは普通だろう。しかし、ここまで高純度の選手が集まることはやはり稀だ。
何かが欠けてはいけなかった。能力のある若手が加入したこと、海外修行できたこと、主力がケガをしたこと、1次ラウンドで名古屋オーシャンズと戦えたこと、Fリーグがまだ成熟していなかったこと、カウンターを突き詰められたこと、王者があり得ないミスをしたこと……。奇跡的な偶然が重なった。
しかし「10年後」から振り返れば、やはりあの出来事は必然だった。
須賀雄大と金川武司がいたこと。フウガ・イズムの生みの親と伝道師が同じ時代を生きていた限り、何度あの場面に遭遇したとしても、やはりフウガはあの時、日本一になっていたような気がする。
奇跡のチームは10年後も、この象徴的な2人を中心に生き続けている。
優勝した瞬間が、墨田に来るきっかけだった
──優勝の瞬間の感情を覚えていますか?
須賀 僕は、思ったよりも普通でしたね。
──ハイライト映像を見直しても、歓喜を表現した動きはすごかったですけど……。
須賀 動きはすごかったし、足も頭よりも上がってV字になっていましたけどね(苦笑)。でもその後は、喜びを噛み締めるくらいで、それよりも「この後どうしようかな」ということを考えていました。
──達成感はありましたか?
須賀 達成感はあるのですが、これで終わるわけではないですから。
──ゴールではなく通過点だった。
須賀 「(フウガの前身の)森のくまさん」の時代から、ぼんやりと日本一になることを考えながらやってきて、実際にそうなってみたら「こういう感じか」という感覚でしたね。
金川 僕は正直、次のことは考えられませんでした。この仲間とできる最後の大会で、1試合でも多く一緒に戦いたいと思っている中で、最後の最後までやれたことがすごく嬉しくて。やり切ったなという思いが強かったことを覚えていますね。
──大会前から選手にはFリーグのオファーが来ていたんですか?
金川 そういう考えがあるということを聞いているくらいです。でも、今のように(移籍市場のルールが整備された)固い感じではないので「どうする?」みたいな話はありましたね。
須賀 具体的なオファーは選手権が終わってからが多かった。大会の活躍を見て「あの選手がほしい」というものもありましたね。
──日本一になって、何か変わったところがありますか?
須賀 勝った後とその前の興奮では、試合中の興奮の方がすごかった。先ほども言いましたが、終わった後は、すごいことを成し遂げたという思いがありつつも、これからどうしようかなと。その時が、墨田に来るきっかけだったのかなと思います。
──きっかけ?
須賀 スタンドを見た時に、みんなが喜んでくれてすごく嬉しかったのですが、ほぼ身内というか、知っている人ばかりでした。これだけ感動的なものを身内としか分かち合えないのはもったいないなと。僕らはもともと、ワンデー大会を勝ちまくっていくところからスタートしていますが、結局はその域を出ていない。対戦相手のレベルはとんでもなく上がったけど、その延長線上でしかやれていないと感じた時に、ホームタウンを持って、ちゃんと地域に根差していくことで、その場所をフットサルの街にしてみんなで盛り上がっていかないといけないだろうなと。だから優勝の瞬間は、少しの虚しさもありました。ただ勝つだけの嬉しさはここまでというものが見えた。子どもから大人、おじいちゃん、おばあちゃんまで、地域の人と一緒に喜べるような環境を作りたいと思うきっかけになりましたね。
──フウガは当時からFリーグ参入を意識していましたが、頂点から見た景色がリアルにそう感じさせた。
須賀 そうですね。そこに2つの欲がありました。一つは今お話ししたようなことで、勝つだけではなくて、いろんな人に応援されるチームになりたいということ。
──もう一つは?
須賀 単純に、名古屋オーシャンズに勝った戦い方が、僕自身はそんなに面白いとは思っていませんでした。とにかく勝つことだけを考えたものだったから。もっと名古屋と対等な形で勝ちたいという欲ですね。(北原)ワタルの顔を見ても、ちょっと事故が起きてしまったくらいにしか見えなかった。もともとあっさりしているので「おめでとう」と言われましたが、「実力では負けてない」という顔だった。もっと屈服させたかったんですね(苦笑)。実際にポゼッションでは、2対8とか1対9くらいでしたから、このスポーツをもっともっと楽しむために突き詰めていきたいと、その時に思いましたね。
金川 僕は逆に、この3日間を過ごして本当に楽しかったし、さっきも言ったようにやり切った感がすごくあった。プロでやっていく意思はなかったですし、家族との時間を増やしたいなと。あの大会で生活がどうこう変わるものではなく、みんなと過ごした本当に濃い時間という感覚。だからその後チームから離れて、週1回くらい蹴れて、土日のどちらかで試合があるくらいの場所を探しました。でも離れてみて、改めて仲間と一緒に蹴れることが楽しいなと痛感して、数カ月後には後悔し始めちゃったんですけどね(苦笑)。
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フウガをやめ、後悔してカムバックした金川