2019.03.15 Fri

Written by EDGE編集部

Fリーグ

【伝説の証言者】フウガ・イズムの生みの親と伝道師。「奇跡のチームはこうして生まれた」(須賀雄大監督&金川武司)

お山の大将を抑止した太見寿人という存在

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──いよいよ大会で名古屋と対戦したわけですが、1月から準備してきた手応えは?

金川 やはりあの時は、もう本当に強いなと。今までに感じたことのないシュートスピード、うまさを感じました。でもあそこで戦えたからこそ、準々決勝の浦安、準決勝の神戸は少し楽だった。あれを経験できていたので、俺たちはできるぞと。あれ以上はないぞと。

──実際にどんどん勝ち上がっていった。

金川 あの3日間は、本当にできることをやり切ることを含めて、みんなで泊まって移動して。なんていうか、楽しい3日間でした。

──都内に宿泊していたんですね。

須賀 最初は新宿のワシントンホテルで、次は渋谷のラブホ街に。勝ってからしか予約できないから、そこしか空いてなくて(苦笑)。それでいよいよ決勝って時に赤坂のホテル。

──みんな都内在住……。

須賀 僕も新宿だったから、普通に帰ればいいんですけどね(笑)。

金川 みんな目黒周辺だったから帰れるんですけど、泊まりたいって。

須賀 一体感がとかって言うんだけどバラバラにご飯に行ってた。これ意味あるのかなって(笑)。

──今は、遠征でのご飯は一緒ですか?

須賀 一緒の時もありますけど、それぞれのペースがあるので別のことが多いですね。

金川 今では遠征に慣れていて流れも分かりますけど、当時は慣れていなかったですね。

須賀 少し遠い選手とかはよかったと思いますけど、俺とかはただの悪ふざけみたい(笑)。でも、試合映像を今のように分析するパソコンもなかったので、一緒に見ながら分析して、その後に僕らはまた別で見るみたいな時間はすごくよかったですね。

──合宿みたいな雰囲気ですか?

須賀 そんな感じです。旅費が出るしね。

金川 やったー! って。

須賀 やっぱり、一緒にいることで強くなっていく感覚はありましたね。勝ったぞ、また勝ったぞ、それで明日は決勝だぞって。やべーやべーって言ってました。

金川 冒険の旅に出ているような感覚でしたね。

須賀 あれから、(2013年大会、2017年大会と)通算3回の決勝を味わっているので、今はもう決勝でも「よし頑張ろう!」って感じですけど、当時はそもそもFリーグではないし、何かすごいことを成し遂げられるんじゃないかって。その期待感と同時に、「名古屋は絶対、予選よりも強いじゃん」という恐怖心もありました。

金川 ドキドキとワクワク、恐怖感、いろんなものがあって逆にハイテンションでしたね。年齢的にも若かったし。ヒデさん(石井秀樹)がGKで一番年齢が高かったですけど、その下の僕ら82年組が26歳とかで。

──やはり濃いメンバーがそろっていたと思いますが、チームづくりはどうイメージしていましたか?

須賀 昔から、試合に出られない選手へのアプローチを一番大事なテーマにしてきました。彼らを納得させるためにというところが根底で戦術を学んだり、質の高い練習をしたいという思いに結びついていましたね。全員がスタメンを張れるメンバーでしたけど、たしかその年に、宮崎(曉)が入りたいって来たんです。でも、「見てみろ、この中に入れるか?」と聞いたら「入れません」って(笑)。

──(笑)。

須賀 だから、「1年間は我慢して、また次の年にチャンスがあれば声を掛ける」という話になりました。でも少しでも層が薄ければ、練習に来て成長させようと思ったはずですが、練習させる隙間もないくらいメンバーが固まっていました。へたしたら2チーム作れる強さがあるなと。当時から、Fリーグがありながら関東リーグでやっている意味を、選手たちは感じていたと思います。だからこそチーム内の競争をとてつもないものにする。紅白戦が試合よりもキツイと言っている選手がいましたし、そういう環境を作り出して、そこで競わせた。翔太とか知晃には、「Fリーグに行きたいというけど、太見や神尾に勝てるのか」ということを見せたり。「まずチーム内で勝てよ」と。

──太見さんの存在は大きかったですね。

須賀 翔太とか強烈なライバル心を持っていて、「須賀さん、俺はフトさんよりもディフェンスができます」と。「たしかにそうかもしれないけど、ピヴォの時に周りを使う技術はもっと上げた方がいいよね」って。彼がいなければみんなお山の大将になって、傲慢になる選手がいたかもしれない。そこを抑止していたのが太見という強烈な個性だったのかなと思います。

金川 やっぱり太見は、当時からもそうだし、最後の最後まで絶対的な選手でしたね。フトがいたらどうにかしてくれると。名古屋に対しても、僕らはビビっているけど「同じ人間だから絶対にいけるよ。タケの方が速いよ」って。あれは心強かったですね。

──改めて、当時のメンバーはみんな「フウガっぽい」。

須賀 そうですね。かなりアクが強かったと思いますよ。

金川 その中で一番面白いのは須賀ちゃんだと思いますけどね。あのメンバーをまとめていたし。「あまりボールを触らないで出てきてね(ベンチに戻ってきてね)」と言われたこともあります(笑)。でもその言葉がちょっと深いんですよ。トランディションのこともそうですけど、指導者として学びながら、10年前にそのイメージで今と同じことをやれていたのは相当すごいことですね。

須賀 今のように練習時間も多くなかったので、選択と集中を徹底したところはありましたね。名古屋に勝つために突き詰める武器を決めて、そこを中心に組んでいく。今考えると、かなりディフェンシブなメンバーでした。フト、健太朗、金川、(田中)良直、それに亮、太郎、(星)龍太。翔太とフト以外は、どちらかというと守備的な選手ですよね。最終的に僕が抽出したのは、「ディフェンスができてカウンターができる」という2点だけだったということです。ゾット戦でタケが出ていなかったと言いましたが、彼らとやる時は自分たちがゲームを動かさないといけないけど、名古屋に対しては、相手が動いてくるそのリアクションで戦うことだったので、セットの作り方もある程度はイメージしていました。名古屋に勝つためのセットはコレだと。

──メンバー外の選手はどんな雰囲気でしたか?

金川 練習から雰囲気はかなり締まっていましたね。練習が毎日ではないので、「1回の練習をやり切らなければメンバーを外される」という危機感がありましたから。メンバーに入るかどうかは最後まで分からないわけです。須賀は面白い監督で、「紅白戦で点を取った選手をメンバーに入れます」って。それで半田(徹也)が勝ち取ったりしましたから。

須賀 いや、そんな軽いノリじゃないよ(笑)。「チームで点を取れていないから、点をとったやつが試合に出るのは当たり前だよね」という感じで。

金川 そういうところに関しては誰と出ようが勝ち負けにこだわっていましたし、結構バチバチとやっていました。本当にメンバーに入りたいっていうその一心で。

──でも試合になれば、出ているメンバーを応援できる。

金川 その切り替えのところは人間性ですよね。すごくいい仲間でした。フウガが誇れるところです。試合に出ている選手も、俺らが出ればいいというわけじゃない。試合後も、お互いにプレーのことを話し合ったりしていましたし、そういうファミリー感がありましたね。

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答えを自分たちで探してきたチーム

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