2016.09.14 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第15章「その3:日本中が魅了された”魔法使い”。リカルジーニョの衝撃」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

リカルジーニョの衝撃

 ○○の衝撃というフレーズはこの三国志において何回使ったか、覚えている方は相当な三国志フリークであろう。それは第2章のその6「アトレチコミネイロの衝撃」と第7章世界選手権その7「カステジョンの衝撃」である。つまり、リカルジーニョの衝撃は、衝撃シリーズの3度目である。

 思い返してみると、アトレチコミネイロの衝撃は、1998年8月で場所は駒沢屋内競技場であった。その頃は雑誌ピヴォもナビもなく、告知といえばインターネットのフットサルネットとFC JAPANくらいであった。何せ、関東リーグもなかった時代である。

 続いてカステジョンの衝撃は、2004年8月のことで、場所は駒沢屋内球技場および駒沢体育館であった。アトレチコミネイロの衝撃から6年の歳月を経て、マスメディアも増え、世界選手権に出場も決まり、フットサルの認知度が急速に上がった時期であった。関東リーグは第6回を数えていた。

 そして、今回のリカルジーニョの衝撃は、2010年8月のFリーグ開幕節で場所は代々木体育館であった。初日の土曜日の第1試合、名古屋オーシャンズ対エスポラーダ北海道という関東とは縁のない試合にもかかわらず、5500人の観衆を集めるのだった。

 アトレチコミネイロの衝撃から数えること12年、カステジョンの衝撃から数えて奇しくも同じ6年の歳月を経たことになる。すでにFリーグは4年目に入り、一般紙のスポーツ結果に掲載されるまでになった。

 リカルジーニョのプレーぶりなどはすでにいろいろ書かれているので、特にここでは触れないが、リカルジーニョの影響について考えてみよう。まず、前2つの衝撃度は、確かにアトレチコミネイロにはトビアス、ファルカンのスターがおり、カステジョンにはハビ・ロドリゲスがいたが、衝撃は、小気味いいほどのダイレクトパスやツータッチの簡単で正確なパス、最後は無人のゴールに決められる日本の負け方であった。しかし、それは所詮エキジビジョンマッチであり、いつも見ることができるわけではない。しかも、当時は個人としても呼べる環境にはなかった。

 しかし、あれから6年が経過、今や、名古屋オーシャンズだけかもしれないが、スター選手を個人で呼べる環境ができ、リカルジーニョの凄さをサッカーのテレビほどではないが伝えるメディアも発達してきた。つまり、リカルジーニョの衝撃は、世界の超有名な選手が日本に契約で長期に来ていることである。日本が衝撃を受けるというより、世界がリカルジーニョの日本行きに衝撃を受けているかもしれないと考えることができる。

 むろん、そんなことができるのは名古屋オーシャンズだけかもしれないが、これをきっかけに世界の有名な選手が日本に来やすくなることは十分考えられる。第2、第3の名古屋オーシャンズが現れないとも限らず、このモデルにはおおいに期待したいものである。

 ということで、再びお宝写真はリカルジーニョとしよう。といっても、数多くリカルジーニョの写真は出回っているので、レアな写真となると難しい。そこで、リカルジーニョとペドロコスタ、そして現役引退の木暮の3人が写っている写真にしよう。

 これは、木暮のラストゲーム、2013年第18回全日本選手権決勝戦終了後に、チームメイトであるリカルジーニョとペドロコスタが木暮の現役選手生活を労う一コマである。3人の共通点といえば、あの2012年タイで行われたワールドカップ、ポルトガル代表対日本代表5対5の死闘を演じた対戦相手同士の戦友である。

 むろん、筆者の想像であるが、引退する木暮にとっては最も何かを訴えたい2人であったし、それに応える2人であったような気がしてならない。現在、リカルジーニョは、スペインリーグの名門インテルに、ペドロコスタと木暮は、ともに引退して名古屋オーシャンズの監督、シュライカー大阪の監督でライバル同士とそれぞれの道を歩んでいる。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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