2016.08.03 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第13章「その11:ブラジル流からスペイン流へ。ミゲル・ロドリゴが日本代表監督に就任」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

新旧交代一区切り

 年度末の最終日、2009年3月31日、日本サッカー協会は、サッポの後任にスペインのミゲル・ロドリゴが就任することを発表した。ミゲルは、スペインリーグ1部、セゴビアの監督で、スペインリーグが終わった6月に来日するという。かねてより、サッポの次はスペイン人監督と噂されていたが、そのとおりになった。組織力を生かしたスペイン流フットサルを日本に取り入れようというわけである。

 雑誌のインタビューによれば、若手の育成が急務と述べており、フル代表の若返りばかりでなく、U-23もしくはU-24の組織化などにも期待を持たせた。

 ところで、若手の育成にも関係するが、地域リーグの選手主体の日本代表が組まれたことがある。それは2年前、2007年10月26日から行われた第2回アジアインドアゲームズマカオ2007である。

 アジアインドアゲームとは、アジアオリンピック評議会(OCA)が主催するオリンピック種目に選ばれない室内競技の振興を目的に開催された大会で、2005年にバンコクで第1回が開催された。第2回には、フットサルで日本も男女エントリーすることになり、男女で日本代表が組まれた。

 ちょうど、Fリーグ開催期間中であり、男子は地域リーグ中心に選抜が進められた。メンバーは、GK藤原潤(プライアグランジ)、青柳佳祐(大分)、FP田中健次郎(広島F・DO)、神敬治(シャークス)、鈴木隆二(名古屋)、松本行令(プライアグランジ)、小池良平(XEBRA)、吉成圭(ファイルフォックス)、松浦英(シャークス)、渡井博之(XEBRA)、小山浩史(府中)、富広洋平(広島F・DO)、小島修人(ブラックショーツ)らであった。

 成績の方は、ウズベキスタン、ベトナム、香港がいる予選リーグをウズベキスタンと引き分けたものの2勝1分けで予選突破、決勝トーナメント準々決勝に進出した。相手はフル代表のタイであった。1-1で迎えた残り8秒、国際試合未経験のウイークポイントが出たか、ミスから1点を入れられ、ベスト8で敗退してしまった。ちなみに、優勝はイランで、2位はそのタイであった。

 彼らのその後の履歴を見てもわかるとおり、これをきっかけに3年目のFリーグに上がるケースが多く、若手育成に有用であるし、励みにもなる機会であった。残念ながら、2009年11月のハノイの大会は、男子はFリーグ開催中であったがFリーグ若手中心のメンバーで組まれて、地域リーグからの選出はならなかった。ぜひ、機会があれば地域リーグの日本代表を継続して欲しいものである。なお、女子は、マカオ大会で初優勝、ハノイ大会にも優勝の2連覇の快挙を成し遂げている。

 話を元に戻して、6月に入り、ミゲルは来日した。さっそく、日本代表候補が選出され、トレーニングが行われた。それは、ミゲルの言葉どおり、フル代表候補とU-24代表候補の両方のトレーニングが行われた。

 フル代表の方は、GK川原永光(名古屋)、村山竜三(神戸)、藤原潤(浦安)、FP稲田祐介(浦安)、岸本武志(大阪)、木暮賢一郎(名古屋)、上澤貴憲(府中)、小宮山友祐(浦安)、小野大輔(府中)、山元優典(神戸)、神敬治(大分)、村上哲哉(大阪)、高橋健介(カハ・セゴビア=スペイン)、北原亘(名古屋)、稲葉洸太郎(浦安)、小曽戸允哉(大分)、奥田亘(大阪)、畠山ブルノタカシ(名古屋)らである。

 ワールドカップ前のアジア選手権、ワールドカップなどで常連組だったリカルド比嘉、藤井健太、前田喜史、金山友紀、鈴村拓也、定永久男らが選出から漏れた。

 一方、U−24の方は、GK冨金原徹(湘南)、藤原潤(浦安)、原章展(町田)、青柳佳祐(大分)、FP蓮池紳吾(田原FC)、星翔太(浦安)、渡邊知晃(花巻)、千葉裕也(花巻)、神戸洋平(大阪)、吉田輝(オルヴィエート=イタリア)、蒲原旭(町田)、皆本晃(府中)、諸江剣語(浦安)、中島千博(FALCO GIFU)、神志那仁聖(大分)、仁部屋和弘(大分)、武石高弘(大分)、白方秀和(大分)、瀬戸真司(湘南)、佐藤亮(大阪)、田中智基(湘南)ら若手がだいぶ試された。

※いずれもカッコ内は選出時点の所属

 6月19日から、中国国際トーナメント(日本、中国、イラン、オランダ)が開催され、そのメンバーには、フル代表候補から、GK村山、藤原、FP上澤、小宮山、神、村上、高橋、稲葉、小曽戸、畠山ブルノ、U—24からGK原、星、皆本、吉田が選ばれた。

(この時期、アジアクラブ選手権が開催予定で、日程が重なったため、名古屋オーシャンズの川原、木暮、北原は選出されていない。実際には、イランの政情不安により1年延期になってしまったが)

 これ以降、フル代表候補の稲田、岸本が選出から漏れており、最年長はこの中国国際トーナメントでは上澤の1979年生まれであり、だいぶ若返りが図られたことになる。恐らく、フィールドプレーヤーでは1979年生まれが上限なのであろう。ブラジルでのワールドカップで小曽戸がシンデレラボーイとなり、新旧交代の兆しが見えたが、サッポからミゲルに代わり、ここに来て新旧交代は一つの区切りを付けたようである。

 なお、 成績の方は、初戦のイランに4-4、オランダに3-0、最終戦、勝てば優勝の中国に0-0の引き分けとなり、2位で終了した。イランは若手中心のチームだったようで参考にはならないが、まずまずのスタートではなかったろうか。

 さて、お宝写真は、2枚。冒頭の写真は、2006年6月、ミゲルが来日、最初のサッカー協会での監督就任会見の写真で、大仁サッカー協会会長と握手している(フットサルネット提供)。2人にとっては、感慨深い写真ではなかろうか。奇しくも、2人はこの3月に同時に辞任した。ミゲルにとっては、初来日の写真で、恐らく、ワールドカップ2回出場の長期政権になるとは当時は思っていなかったであろう(実際には2回出場は幻に終わってしまったが)。

 一方、大仁にとっては、副会長時代に日本代表のブラジル遠征に帯同、ブラジルにおけるフットサルの熱狂に驚き、それがサッポを招聘するきっかけになった2003年1月から数えると6年、2人目の監督を迎えた写真である。フットサルに関わってから13年、大仁は、サッポで2回、ミゲルでも2回目のワールドカップ出場を見届けたかったに違いない。

ミゲル最初の日本代表

 2枚目の写真は、最初にミゲルが選んだ中国遠征の日本代表集合写真である。(フットサルネット提供、写真は高橋学)。ミゲルが選んだ最初のメンバーのうち、最後の大会のメンバーにも残っていたのは、GK藤原、星、小曽戸の3人である。

 昨日行われた日本サッカー協会の記者ブリーフィングによれば、次期代表監督は3人に絞り込まれ、9月のワールドカップ終了後に決定するという。日本代表の指揮を執るのは誰になるのだろうか。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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