2016.07.20 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第13章「その7:木暮とサッポの蜜月時代に幕……。日本を2回のW杯出場に導く」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

名古屋が最も優勝に遠かったシーズン

 関東リーグ1部でフウガが優勝を決めた翌日の2008年12月7日、関東に縁のある選手がFリーグに鮮烈デビューした。それは、スペインリーグ1部から名古屋オーシャンズに電撃移籍をした木暮であった。セントラル大会の富山で行われた第14節、その大分戦で木暮にとっては復帰第1戦の前半3分、いきなりボレー一閃の先取点を挙げたのだった。

 その頃、ヨーロッパはリーマンショックの影響で不況に陥り、各クラブに影響が出始めていた。木暮は、このシーズン、2部から念願の1部グアダラハラに移籍したが、必ずしもよい成績を残すことができず、それもあってか、2部へ移籍か日本に戻る選択を迫られた。木暮は、かねてより誘われていた名古屋オーシャンズ移籍を決意、幸い交渉はスムースに進み、なんと、Fリーグ移籍期間の締め切り直前に契約が成立、復帰が決まったという。

  Fリーグの14節というと、丁度、2ndステージが終了する節であった。つまり、三分の二まで進んで来たわけだが、前節13節までの成績はバルドラール浦安が勝ち点33、名古屋オーシャンズが勝ち点32で、浦安がリードしていた。名古屋は、8節で浦安に破れ、11節、12節引き分けと調子を落としていただけに、木暮の加入はカンフル剤になったに違いない。実際、その後、木暮は8試合に出場、6得点を挙げる活躍をした。この14節で名古屋が勝利、逆に浦安はデウソン神戸に破れため、名古屋が逆転したのだった。

  ところで、ワールドカップ開催によるFリーグ中断からここまでFリーグではさまざまなニュースがあった。まず、10月25日に、かねてより募集・選考が行われていた来シーズンの参入チームの発表が行われ、新たに府中アスレティックとエスポラーダ北海道の参入が決まった。応募は3チームだったという。日本にもリーマンショックの影響が現れていた。先行きはわからないが、あらためて2年前に設立してよかったということであろうか。

  続いて、11月17日にサッポの日本代表監督辞任が発表された。8年間に渡る日本代表監督期間が長過ぎたかどうか評価が分かれるところであるが、少なくとも、2度のワールドカップ出場の実績を残したことは確かで、賞賛に値する。

  1stステージ終了近辺で噴出した監督辞任騒動は、それぞれ後任が決まった。湘南ベルマーレは前川義信の後任に神奈川県1部リーグ「カナベー」で監督経験のある小野直樹を起用した。ステラミーゴいわて花巻のパコは結局辞任することになり、2ndステージからオスカーを起用された。ペスカドーラ町田のバイアーノの代わりは、ロンドリーナで監督経験があり、通訳だった関野淳太が務めることになった。また、監督不在状態だったバサジィ大分は、名古屋オーシャンズを辞任したマリオ館山が2ndステージから指揮を執ることになった。

 しかしながら、監督の交代はまだまだ続き、3ndステージに入った2試合目の16節からデウソン神戸は鈴木政紀に代わってコーチの泰澤秀幸が昇格した。実にこのシーズンは5チームが監督交代を行ったことになる。

 選手の移籍では、湘南ベルマーレの前川辞任にともなう影響が現れた。難波田は、退団、逆にロンドリーナの復権ともいえる奥村のコーチ復帰、選手では荻窪孝(のちにファイルフォックスを経てフウガ)が復帰した。また、ファイルフォックスの三井健(のちにデウソン神戸、府中アスレティック)が逆に移籍、Fリーグデビューとなった。

 そんなニュースがありながら、年が明けた2009年2月8日、2年目のFリーグは、名古屋が14節で逆転して以降、そのまま1位をキープ、名古屋の2連覇で幕を閉じた。しかし、浦安には、2敗1勝と負け越し、勝ち点2差での優勝だった。ちなみに、名古屋はいまのところ(2016)9連覇中だが、優勝に最も遠いシーズンは、2011-2012シーズンで、この時は2位大阪とは勝ち点1差であった。今シーズンは、5節まで進んで、名古屋は勝ち点5差で2位に甘んじている。果たして、最後はどんな結果になっているのだろうか。

 さて、お宝写真は、サッポ監督と木暮の2ショットにしよう。これは、サッポが最初のワールドカップを決めた第6回アジア選手権(マカオにて開催)の優勝祝賀会での記念写真である。後ろには、サポーター達の寄せ書きがある。木暮は、サッポに出会うまではドリブルから攻め上がるアラだったが、サッポによってピヴォに抜擢されて別の境地を開いた。サッポは、決して大型ではないがピヴォの位置で木暮のボールが収まる足技に着目、この結果、ディフェンスを固めつつ、得点を奪える勝ちパターンを得た。

 しかし、あれから4年、木暮はスペインに渡り、プレーはスペイン仕込みのアラに変貌した。サッポはサッポで別のスタイルの日本代表を模索したが、結局、今回のワールドカップで実を結ぶことは出来なかった。こうして、写真のような2人の蜜月時代は終わり、奇しくも、サッポの日本代表監督辞任の発表が11月17日、木暮の名古屋への電撃移籍の発表が11月21日に行われるのだった。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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