2016.07.08 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第13章「その4:松浦、碓井、岡崎チアゴ……シャークスから花巻への大量移籍」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

関東から始まる新旧交代の兆し

 2008年5月31日、第10回関東リーグ1部が開幕した。2部は少し遅れて6月14日に開幕であった。チームは、フウガ、ファイルフォックス、府中アスレティック、フトゥーロ、コロナ、ブラックショーツ、アルプルナス(元マルバ)、カフリンガ(新参入)の8チームである。 

 本来ならアルプルナスが自動降格であるが、シャークスが脱退したため、アルプルナスは自動降格を免れ、2部2位のセニョールイーグルの入れ替え戦となった。結果は、2-2の引き分け、規定により1部残留としたものである。もっとも、その後は1部降格、名称も元のマルバに戻っている。

 一方、2部の都県リーグからの参入戦は、Iwatsuki FC/tzk(埼玉)、NOVO MENTE(茨城)、UfC JAZZY SPORT(神奈川)が勝ち残り、2部に昇格した。2部11位のサルバトーレソーラ、2部12位の武田消毒F.L.は残ることはできなかった。

 この結果、2部は、高西クラッシャーズを改名したアルティスタ、ゾット、柏、NUファンターズ、セニョールイーグルス、三栄不動産、SELECTIVO de OHRA、ミリオネア横浜、VEGARRA FC千葉、そして上記昇格3チームの12チームで戦うことになった。

 時をほぼ同じくして、Fリーグでは初めてのカップ戦、オーシャンアリーナカップが6月13日より、オーシャンアリーナで開幕した。

 関東リーグ、オーシャンアリーナカップが開幕したことで、関東の選手のFリーグ移籍状況が明らかになったので、紹介しておこう。

 まずは、ステラミーゴいわて花巻へ、すでに紹介したとおり、シャークスから松浦英、碓井孝一郎、岡崎チアゴ、ブラックスショーツから小島修人、バルドラール浦安セグンドから塩沢昴、インペリオから鳥丸大作らが移籍した。

 バルドラール浦安へ、シャークスから大森茂晴、なんといっても驚きはスペインから小野大輔が日本に戻って来て、浦安へ移籍した。小野は元がフトゥーロであったので関東に数えておく。ちなみに、小野は、イタリアからスペインのタラベラに2年目は移籍、最後は鈴村拓也と同じバルガスに在籍、このシーズンに戻ってきていた。

 湘南ベルマーレへ、すでに紹介したとおり、ファイルフォックスから岩田雅人、瀬戸真司、庄司紘之、府中アスレティックから小山浩史、フトゥーロから難波田治が移籍した。

 シュライカー大阪へファイルフォックスから村上哲哉、吉成圭が移籍した。

 バサジイ大分へは。シャークスの神敬治が移籍した。

 ちなみに、選手ではないが、府中アスレティック監督にイタリア人のセルジオ・ガルジェッリが就任した。府中アスレティックは、イタリアにコネクションがあり、恐らくその関係だと思われるが、セリエBのプラートで監督をしていたという。むろん、2年後に実現するFリーグ参入を睨んでの起用であった。

 選手の移籍人数を数えてみると合計16人で、関東はこれだけの選手を2年目にもFリーグへ供給したことになる。シャークスの消滅、湘南ベルマーレの監督交代にともなう移籍などの事情があったとはいえ、これは、長期的に見ると関東にとっては好ましい現象といえる。つまり、選手がFリーグに移籍すると、それだけ都県リーグからの移籍あるいはセレクションで新しい選手が参入する枠が増えるわけで、結果的には関東リーグの新旧交代が進むからである。もともと、Fリーグが設立されていくつかのチームがFリーグに上がったため、関東リーグ参入チーム枠が増え、裾野に広がりを見せた。そればかりでなく、シーズンごとに選手がFリーグに昇格、逆にFリーグから戻ってくる選手が若い選手を指導するサイクルが確立すれば新陳代謝が盛んになる道理である。このサイクルは、関東リーグだけのものではなく、日本の競技フットサル全体に当てはまるものであろう。 

 実際、関東リーグは、フウガがFリーグチームを追い出すようにのし上がってきたが、その後、カフリンガ、アルティスタ、コロナ、ゾットなど個性豊かなチームが続々登場している。これは、Fリーグ効果の一つである。 

  古豪においても、ファイルフォックスは、今回の移籍で、キャプテンの北智之を除くと黄金時代を築いた選手達はすべていなくなった。一時期は降格の危険にさらされたが、2011年には、選手権関東予選で優勝するほどに若い選手が育った。

 さて、Fリーグ初のカップ戦の結果を記して、この項を終えることにしよう。決勝戦はシュライカー大阪対名古屋オーシャンズとなり、4-4からPK戦でシュライカー大阪が優勝した。名古屋は2年連続カップ戦優勝を逃したことになる。3位決定戦はバルドラール浦安対ペスカドーラ町田で、6-2で浦安が勝利、3位となった。監督が変わって期待された湘南ベルマーレ、ステラミーゴいわて花巻は、ともに運が悪く、優勝したシュライカー大阪、2位の名古屋オーシャンズと当たってしまい、敗戦、早くも暗雲ただようスタートであった。

 さて、お宝写真は、シャークスからパコの移籍にともない、ステラミーゴいわて花巻に移籍した松浦英にしよう(フットサルナビ提供)。松浦英は、1979年生まれで、木暮、小宮山、小野、前回のお宝写真の岩田らと同期であるが、在籍したシャークスが関東リーグのチームとしては遅く誕生したこともあって、比較的目立たない存在であった。しかし、シャークスで関東リーグ優勝の原動力となって、脚光を浴びるようになり、2007年の第2回アジアインドアゲームスの日本代表に選ばれるまでになった。残念ながら、パコも前回書いた前川と同様、シーズン半ばで退任を余儀なくされ、松浦は都リーグのデルソーレ中野に移籍することになってしまった。Fリーグ発足当時の監督交代そして移籍の嵐に巻き込まれたといえる。

 しかし、奇しくも同じような運命をたどった高校同級の西野宏太朗(ガロ、シャークス、シュライカー大阪)とともに、デルソーレ中野を盛り上げ、ついにはリガーレ東京で、2016年、関東1部優勝を達成、シャークス時代のリベンジを果たしたのだった。つい先ごろ、松浦の引退記念の試合が盛大に行われたという。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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