2016.06.29 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第13章「その1:フットサル界のパイオニア。“K9”相根澄が見せた引き際の美学」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

K9の引退

 2008年4月8日、K9こと相根澄の引退発表が行われた。最後のチームは、古巣、原点のカスカベウならぬペスカドーラ町田であった。相根は1973年10月生まれだから、35才で現役引退したことになる。競技フットサルを開拓、日本代表のエースに登りつめ、競技フットサルプレーヤーの目標だった全国リーグのピッチに立ったことで、すべてを出し切ったフットサル現役生活だったのではなかろうか。

 相根が、競技フットサルの世界に足を踏み入れた時期は、1997年、今(2016)から19年ほど前である。甲斐修侍が立ち上げたあの伝説のチーム「アズー」にサッカーから転向して参加、その後、エスポルチ藤沢を経てカスカベウの中心選手となって活躍することとなる。ペスカドーラ町田の前身カスカベウの立ち上げが1999年で、当時のレギュラーメンバー、甲斐、相根、市原誉昭、前田喜史、遠藤晃夫のフットサルは今でも語り草になるほど華麗なものであった。また、同じ年に行われた第1回アジア選手権の日本代表メンバーに選ばれ、以来第6回アジア選手権まで選ばれ続ける。そして、台北で行われた悲願の第5回の世界選手権(ワールドカップ)にも選出された。

  2001年には、イタリアに渡り、セリエAのIFCチャンピーノ入りを果たし、海外移籍ブームの先鞭をつけた。それは、鈴村拓也、木暮賢一郎、小野大輔、その後、高橋健介、星翔太と続いている。その後、プレデターに移籍、Fリーグにペスカドーラ町田が参入した際、古巣に戻る格好で、Fリーグのピッチに立ち、この引退となったわけである。

  もしかしたら、相根はこの1年、常に引き際を考えていたのかもしれない。実際、フットサル選手の引き際は難しく、それこそサッカーの三浦知良のように現役を貫こうとしている選手もいれば、コーチ、監督の道を歩もうとする選手もいる。サッカーはすでに歴史があるスポーツなので、いわゆるセカンドキャリア論議が深まった時期もあった。しかし、フットサルは競技フットサルが始まってようやく15年が過ぎ、これからセカンドキャリア論議が深まって来るのであろう。

  相根の場合、現在、K9プロジェクト(日本フットサル振興会)と称する特定非営利活動法人を立ち上げ、各種イベント活動を通じてフットサルの普及に取り組んでいる。

  すべての地域リーグの選手がFリーグのピッチに立てるわけではないので、ここで諦めて引退する選手、地域リーグを楽しむ選手、まだまだ上を窺う選手、Fリーグを経験、地域リーグに戻って新たな意義を見出す選手、地域リーグをステップにFリーグを目指す若い選手など、Fリーグ2年目を迎え、相根の引退が象徴となる新旧交代の波が押し寄せる2008年シーズンがスタートした。 

  さて、お宝写真は、懐かしのカスカベウの黒縞のユニフォームが似合う相根にしよう(フットサルネット提供)。よく見ると、遠くに甲斐が映っている。甲斐といえば、奇しくもつい先ごろ、今シーズン限りで引退を表明した。甲斐は44才であるから、相根よりもおおよそ9年長く現役を送ったことになる。しかしながら、この結果、ついにカスカベウ設立当時のメンバー、甲斐、相根、市原、遠藤、安田和彦、安藤信仁ら今でいうレジェンド達は全員現役引退したことになる。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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