2015.11.03 Tue

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第7章「その7:スペインからの刺客……2試合31ゴール『カステジョンの衝撃』」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 第6回関東リーグ開幕から3ヶ月たった2004年8月11日、13日、駒沢屋内競技場および駒沢体育館で、とある国際親善試合が行われた。

  とあるといってもそれは驚きの試合でなんと2002-2003ヨーロッパチャンピオンでスペインリーグ1部所属のプラージャス・デ・カステジョン(バレンシャ州、以降カステジョン)と日本のドリームチームとの対戦が行われたのである。選手にはスペイン代表のハビ・ロドリゲス、ラファ、ホセマ、イタリア代表のナンド・グラナ、ブラジル代表のエウレルなど豪華メンバーがいた。

 カステジョンを招聘したのは、ドリームマッチ2004実行委員会で、プレデターの塩谷、浅野清春、府中アスレティックの中村などスーパーリーグ立ち上げ世代が尽力して実現したのである。また、アジアスポーツマーケティングの堀田正人が、カステジョン側の代理人となっていた。堀田は若い頃にスペインに渡り、スポーツマネージメント、語学教育など日本とスペインのエージェントビジネスを立ち上げ、インターコンチネンタルカップ(世界クラブ選手権のようなもの)に日本チームを呼んだのも堀田であった。 

 そんなわけで、対する日本のチームは、選りすぐりの関東リーグの選手達であった。アンブロドリームチームが、当時スポーツメーカー「アンブロ」と契約していたロンドリーナと柏フットサルクラブRAYOの合同チーム、ピヴォドリームチームが、シャークス、プレデター、府中アスレティックなどの合同チームであった。それぞれチームに冠がついているのは、アンブロ、ピヴォのスポンサードを示している。なお、残念ながら、日本代表組は、親善試合の性格上、参加していない。

 このように、日本が世界選手権を決めたことで、これまではどちらかというと日系ブラジル人つながりでブラジルと日本の関係が深かったが、世界への視野が広がり、スペインと日本の関係も深まりはじめたのであった。逆にいえば、ブラジルと並ぶフットサル大国スペインがいずれは全国リーグができる日本のフットサル市場に注目しはじめたともいえる。

 そこで、ここでは、のちに鈴村、木暮、小野のスペイン3人組、さらには高橋健介へと続くスペインと日本の関係について紐解いておく。

 選手がスペインプロリーグに挑戦を試みた時期は比較的早い時期からで、2001年から2002年くらいであった。すでに紹介したが、高島(プレデター)、八尋(セニョールイーグルス)、小竹(柏)、根本(柏)、岩本(プレデター)らが挑戦している。岩本は、2002年に2部のアルバセテと契約に成功している。そして、第2世代ともいえる鈴村、木暮、小野らのスペイン挑戦は、カステジョンの衝撃の翌年、2005年からである。

 2003年9月になると、プレデターが日本としては初めてチームでスペイン遠征を敢行する。スペイン1部のバレンシア、2部のアルバセテなどと対戦、0-13、2-8と敗れている。ちなみに、プレデター女子カテゴリー、ラスボニータの内山環、持田紀与美も帯同、内山はスペイン女子フットサルリーグのセレクションを受けている。のちの2007年に、FUNレディースの藤田安澄がスペインリーグのチーム「ソト・デル・レアル」と契約に成功するが、その先鞭を付けたといえる。

 2004年2月の選手権が終わったあとには、バルセロナで開催されたインターコンチネンタルカップに、日本から初めてロンドリーナが参加した。インターコンチネンタルカップとは前述したようにスペインリーグが主催する国際大会でサッカーにたとえると世界クラブ選手権(トヨタカップ)である。ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカの5大陸のフットサルクラブ王者が一同に介して世界一クラブを決める大会で、この時から日本は前年の選手権優勝チームが参加することとなった。アジア代表が出場する建前なので、本来ならアジアクラブ選手権の優勝チームが参加するのであろうが、当時はクラブ選手権がなかったので、恣意的に決められたものと思われる。

 ヨーロッパからは、前述したスペインのカステジョン(欧州チャンピオン)、ベルギーのアクション21(欧州2位)、ブラジルのカルロス・バルボーザ(南米チャンピオン)、アメリカからワールドユナイテッド(全米チャンピオン)、モロッコのAJAX(モロッコチャンピオン)が参加した。ロンドリーナは、予選リーグでカステジョンに3-12、ワールドユナイテッドに7-1の1勝1敗で2位通過、順位トーナメントで同じ2位のアクション21に4-8で敗れ、4位に終わった。ちなみに、その後のインターコンチネンタルカップは、ファイルフォックス、プレデター、大洋薬品バンフが出場している。

 このような歴史の中で行われた親善試合は、奇しくも1999年8月15日に行われたブラジルのアトレチコミネイロとカスカベウ、ファイルフォックス合同チームとの試合と同じような結果になった。あのときは、1-14、あれから5年の8月11日、ロンドリーナと柏の合同チームは0-16、ピヴォドリームチームは0-15の大敗であった。ちなみに、5年前のアトレチコ戦、今回のカステジョン戦の両方を戦った選手はカスカベウの甲斐とフトゥーロの上村、渡辺英であったが、彼らのみならず、多くの選手がブラジルの個人技とは違う決まりごとがあって機械のように正確に崩していく組織フットサルに目を見張ったのではなかろうか。

 こうして、アトレチコミネイロの衝撃からカステジョンの衝撃へと日本のフットサルの風向きはスペインへと変っていった。その背景には、4年前の世界選手権(グアテマラ)で、ブラジルを破ってスペインが優勝したこともあるが、世界経済情勢もこの頃、ヨーロッパは好景気、ブラジルは不景気という理由もあった。当時のスペインリーグは経済的にも絶頂期を迎えていた。こうして、鈴村、木暮、小野らのスペイン挑戦へとつながって行くのである。

 余談になるが、カステジョンの来日がのちの人生に少なからず影響した人物がいる。ピヴォのライター座間である(現在は、フリー)。座間は、ロンドリーナが参加したインターコンチネンタルカップの取材でスペインに渡ったがカステジョンに魅せられ、今回のカステジョンの来日を機会にカステジョンに住む決意を固めて実行に移したのであった。現在、フリーでスペイン等海外特派記事を書いている。

 また、もう1つの余談であるが、カステジョンの監督は、ブラジル人のペセで、現在シュライカー大阪でプレーしているアルトゥールの父親、そして現ブラジル代表監督である。

 さて、お宝写真は、スペインフットサルの日本浸透のきっかけとなったカステジョンと日本のドリームチームの国際親善試合のパンフレット表紙(協力、ドリームマッチ2004実行委員会)にしよう。真ん中には、今回の目玉といえるハビ・ロドリゲス、後ろには、日本の目玉、上村と甲斐が映っている。これを持っている人は、通である。

ハビロドリゲス

 そのカステジョンのエース、ハビ・ロドリゲスは、2000年の世界選手権グアテマラ大会でギロチンと呼ばれる強烈な右足シュートで決勝のブラジル戦で2ゴール、スペインの世界制覇の立役者となった。ということで、お宝もう1枚、同じくパンフレットに掲載されているハビ・ロドリゲスとしよう。残念ながば、カステジョンは現在スペイン3部所属となってしまった。

 ちなみに、第3世代となるのかどうか、吉川智貴(名古屋オーシャンズ)が、日本人としては久方ぶりに1部のマグナ・グルペア(スペインの北西、ナバラ州)に今シーズンから移籍、がんばっている。是非、吉川に続く人材が現れ、第3世代を形成して欲しいものである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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