2015.10.07 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第6章「その7:名古屋オーシャンズの原点となった『バンフ東北』の日本一」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 時間を少し戻して、2003年12月13日、毎年、ドラマが起きる選手権の関東予選は群馬県の会場で開催された。東京都からは、カスカベウ、ファイルフォックス、フトゥーロ、神奈川からは前年覇者ロンドリーナ、千葉からは復活なったプレデター、埼玉からは高西クラッシャーズ、インペリオ、茨城からは常連マルバが消えてフリースタイル、群馬からクラブフッチマエバシ、フォックスアンドハウンズ、山梨からコウフファイナルレジェンド、栃木からミネFCインファンチールが出場した。

 ちなみに埼玉の高西クラッシャーズは以前から埼玉の強豪であったが、のちに埼玉県の強豪ロクFCと合体、今はアルティスタ埼玉と名称変更して関東リーグ2部で活躍するチームである。選手には、上澤貴憲(のちに名古屋オーシャンズ、府中アスレティック)、新井健吾(のちにアルティスタ、カフリンガ)、ゴールキーパー安藤真之(のちにファイルフォックス)がいた。

 同じく埼玉のインペリオの選手には、関根充(のちにカスカベウ)、庄司紘之(のちにファイルフォックス、湘南ベルマーレ、ヴォスクオーレ仙台)がいた。

 結果は、前年覇者のロンドリーナがフトゥーロに2-5の大差で敗れて予選敗退の波乱はあったものの、終わってみれば東京の3チーム、カスカベウ、ファイルフォックス、フトゥーロが決勝大会に進むことになった。フトゥーロは、源流である府中水元クラブで選手権に出場したが、フトゥーロとしては初めてである。フトゥーロの上村は、府中水元クラブ、ファイルフォックスですでに出場している。

 ちなみに、この大会に優勝したバンフ東北は、東北の地域予選はかっての小白川FC、その後、名前を改めた東北の雄パラゴスト(監督は浅利)に敗れたものの第2代表で選手権に出場する。メンバーは、監督オスカー、選手にジョナス、リカルド比嘉、ボラッコ、リカルド沖村、マルコス山口らの日系ブラジル人をずらりと揃えた。また、日本選手では、ブラジルに留学して帰国して間もない元ロンドリーナの豊島を筆頭に、中堅どころの選手を集めて大会に臨んだ。ここで少し、突然現れた感のあるバンフ東北参加の経緯について触れて置く。

 2003年6月、珍しい民間大会が開催された。それはのちに芸能人女子フットサルのエキジビジョンマッチで有名になるフルキャストカップである。全国の6地域で予選を行い、優勝チームには副賞でイタリアサッカーセリエA見学ツアーが与えられるということで、全国の強豪チームがエントリーした。そんな中に、ファイルフォックスを退団したオスカーを中心とした日系ブラジル人中心のチームがいて、なんとそのチームが優勝してしまう。

 実をいうとこのチームを支援したのが(株)バンフスポーツの桜井で、桜井も一緒にイタリアへ帯同することになるが、ことの発端はここから始まる。桜井は、すでに紹介したとおり、カスカベウが優勝したことでそのスポンサードに一区切りをつけ、名古屋ではSuerte banffを立ち上げた。第7回選手権では決勝まで進出したが、ファイルフォックスに敗れてしまった。一方、関東では新たにバンフ東京(のちに関東リーグ2部に昇格)を立ち上げていて、選手権優勝を目指していた。

 イタリアツアーでおおいに盛り上がったチームは、このままチームを解散するのはもったいないということになり、バンフ東北を立ち上げ、第9回の選手権優勝を目指すことになったのである。東北予選から出場したのは、東北にもバンフ傘下のフットサルコートがあったこともあるが、立ち上げに準備がかかり予選開始時期が遅い地域だったこと、比較的競争が厳しくないことなどの理由だったようである。

 明けて、2004年2月、第9回選手権が開幕した。関東3チームの予選リーグの組み合わせであるが、ファイルフォックスは関西の強豪マグ、カスカベウは寄せ集めの臨時チームとはいえ不気味な強さは持つバンフ東北、フトゥーロは東北の雄パラゴストと同組となった。

 ファイルフォックスの初戦は、関西の強豪マグで、難波田、木暮の2枚看板は関東リーグの最終節の退場処分により出場できないハンデがあった。しかし、残りのメンバーのがんばりで得意のパターン1-0で逃げ切り、結局は予選リーグを突破した。しかし、カスカベウは、バンフ東北の監督オスカーを含め、ジョナス、比嘉らの老練なフットサルにいつものフットサルができなかった。1-2で敗れ、予選敗退となってしまった。フトゥーロは、パラゴストを3-2で下し、予選リーグを突破した。

 この結果、ベスト4には、ファイルフォックス、フトゥーロ、バンフ東北、関西のフュンフバインが残った。ファイルフォックスはフトゥーロを下し、バンフ東北はフュンフバインを下して、決勝はファイルフォックス対バンフ東北の戦いとなった。

 結果は、3-1でバンフ東北が勝利し、優勝を納めた。ファイルフォックスを辞めた監督(オスカー)が臨時のチームを作って、関東リーグで熾烈な戦いを進めているカスカベウ、ファイルフォックスの両雄をいとも簡単に破っての優勝であるから、当時は話題を呼んだものである。

 しかし、よく考えてみれば、全日本選手権大会におけるブラジル人もしくは日系ブラジル人の活躍は第4回大会のファイルフォックス初優勝から流れができており、それができるのは、実力ある日系ブラジル人の人脈を多くもち、その実力、メンタルを知り尽くした監督オスカーだからこそできたのである。ちなみに、この決勝戦では、バンフ東北は、比嘉、リカルド沖村、マルコス山口、ジョナスの4人、ファイルフォックスはドウダ、チアゴを起用、合計6人の選手が活躍をした。

 さらにいえば、味をしめたというと語弊があるが、この流れはFリーグ設立後もすでに紹介したバンフの桜井によって名古屋オーシャンズに引き継がれたと言っても過言ではない。実際、名古屋オーシャンズの初代監督はオスカーであり、ブラジル人、日系ブラジル人には、マルキーニョス、ボラ、山田マルコス勇滋、山田ラファエルらが戦列に加わった。

 桜井の持論は、外国人の技術が日本を強くするためには欠かせないということであった。また、本物の技術を日本人に見せたいという強い思いもあった。自ら選手の目利きを行うためブラジル、スペインにも飛んだ。この流れは今も続いており、名古屋オーシャンズ8連覇の原点はこの頃からあったのである。

 ということで、お宝写真は、第9回全日本選手権の決勝、バンフ東北対ファイルフォックスのジョナス対山崎チアゴのマッチアップの写真(フットサルナビ提供)としよう。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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