2015.09.23 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第6章「その3:稲葉、北原、須賀を生んだワンデー大会の王者『森のくまさん』」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2003年3月16日、第5回関東リーグに向けて、都県リーグ上位チームによる参入戦が行われた。自動降格は最下位神奈川のブラックシューツと11位の千葉メイクナインで、その2チームに替わって参入戦リーグの1位、2位が関東リーグに昇格できる。

 参入の本命はなんといっても、スーパーリーグ優勝のシャークスであった。案の定、シャークスが優勝、2位には千葉県1位のセニョールイーグルスが入り、この2チームが関東リーグに昇格した。

 もう一つ、ここで忘れてはならない大会があり、のちに大化けする関東のチームが優勝した。それは、フットサル専門雑誌ピヴォが主催する第2回ピヴォチャンピオンズカップで、優勝した「森のくまさん」である。

「森のくまさん」は暁星高校サッカー部OBを中心に結成されたチームで、特に公式リーグに所属しているわけではなくもっぱら民間大会で優勝を楽しんでいた。

 メンバーには、稲葉洸太郎(のちにファイルフォックス、バルドラール浦安、現在はフウガすみだ)、北原亘(のちにボツワナ、名古屋オーシャンズ)、須賀雄大(のちにフウガすみだ監督)らがいた。

 すでに紹介したボツワナと「森のくまさん」が合体して、フウガとなるわけであるが、この頃から、民間大会でよく顔を合わせていて、合体して大会に出ることも多くあったという。しかし、それにはもう一つのドラマを待たなければならなかった。

 ところで、奇しくもこの大会の決勝戦はその後何度となく闘うことになる因縁のファイルフォックス対フウガ前身の「森のくまさん」の対決となった。この大会で活躍、MVPの副賞、ブラジル航空券を獲得したのは稲葉であった。稲葉はのちに木暮の誘いでファイルフォックスに加入している。

 しかも、第1回のピヴォチャンピオンズカップのMVPは当時ウイニングドッグ時代の木暮で、木暮はその切符を利用してブラジルバネスパにサッカー留学をした。今度は、稲葉が北原と一緒にブラジルカスカベウにサッカー留学をしている。

 そして、2003年5月17日、記念すべき第5回関東リーグが開催された。記念すべきとは、スーパーリーグと統合したリーグとなったことと、その結果、リーグ運営スタッフも統合され、スーパーリーグで培われた観客を集めるコンセプトで運営が開始されたことである

 実際、この年からホームページも一新され、結果速報が始まり、顧客の便宜を図る試みがなされた。関東リーグはJリーグのちのFリーグとは異なり、ホーム&アウェイ方式ではない。試合会場は関東地域を転々とする。したがって、どこの会場に行ってもそれまでの試合結果情報をネットで知らせることで興味を持って足を運んでもらえるようにしたものである。

 また、観客数を数える試みも行った。これは運営スタッフのみならず選手にも顧客意識を持ってもらおうとしたものである。アマチュアとはいえ、観られてこそ技術の質も上がり、より真剣にプレーできるというものである。

 サポーターの応援も活発となった。大きな横断幕は会場を華やかにし、シャークス、ガロの応援に続いて府中アスレティックがこの頃から馬の横断幕を張るようになった。

 なによりも画期的だったのは、開幕節および不定期だったが試合をピックアップして、CS放送のスカイA(プロ野球阪神タイガース全試合放送で有名)でテレビ放送が決まったことである。まだ、フットサルはメジャーでもなく、地域のリーグであり、スポンサーもつかないのに無料のテレビ放送が流れたのである。加入者獲得のためとはいえ、スカイAの先進的な取り組みには敬意を表したい。

 試合結果は、開幕節こそ前年上位チームが下位チームを下す順当な滑り出しであった。前年1位のカスカベウは新規参入のセニョールイーグルスを5-4、2位のフトゥーロはシャークスを3-2で下した。3位のロンドリーナは4-4で小金井ジュールと引き分けたものの4位だったファイルフォックスは府中アスレティックを3-1で下した。(なお、ファイルフォックスの監督はこの年よりフトゥーロの監督だった松村が丁度、フトゥーロを退任したところだったので、招聘により就任することになった。)

 しかし、2節、3節となると様相は一変、波乱の展開となるのだった。まず、2節、3節で、カスカベウがシャークス、小金井ジュールに2-8、1-4と連敗する。一方のファイルフォックスは2節試合がなかったが、同じく3節、4節で、ガロ、プレデターに2-5、2-3と連敗したのであった。

 これには理由があった。丁度、2節、3節とマレーシアで行われた国際大会と日程が重なり、ファイルフォックスの難波田、木暮、カスカベウの前田、金山が抜けていたからである。むろん、そればかりではなく、実力が拮抗しはじめたこともあるが、少なからず影響があった。こののち、リーグは代表活動との両立に悩まされることとなる。結局、両者ともこの2敗が大きく響き、この年は優勝を逃すのであった。

 さて、お宝写真は、のちに大化けするフウガの前身「BOTSのくまさん」の写真にしよう。名前は、まさにボツワナと「森のくまさん」の合体を表したもので、時期は翌年のものになるが、2004年末のF-NET主催の第4回御殿下スーパーカップで優勝したときの写真(提供F-NET)である。太見、金川、関、稲葉、北原らが映っている。

 御殿下スーパーカップといえば、懐かしく思うオールドファンが数多くいると思うが、フットサルの強豪チームがその年の締めくくりとばかりに集結する年末の大会として知られている。

 目玉は当時の日本代表メンバーの主力がオフということもあって、臨時の混成チームを結成していることである。チーム名は、バウスポーツと言い、年によって若干メンバーが変わるが、難波田、木暮、小宮山、森岡、岩田、金山、前田、市原、稲田、三輪、小野、狩野、遠藤、伊藤、福永秦(元浦和レッズ、パラレッズ監督)などが参加していた。

 ちなみに、御殿下スーパーカップは2001年に始まり、バウスポーツが3年連続優勝、続いてBOTSのくまさんとなっている。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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