2015.08.28 Fri

Written by EDGE編集部

海外

「俺、また“持ってました”」。渡邉知晃がカップ戦の決勝で1G1A、中国で初のタイトルを獲得!

フットサル界の“持ってる男”の勝負強さは中国でも健在だった。中国リーグの開幕前に行われるカップ戦で、渡邉知晃が移籍した大連元朝蹴倶楽部が最大のライバル・深圳南嶺鉄狼FCを下して優勝した。渡邉は決勝戦で1ゴール1アシスト、大会を通じて全6試合で9ゴールを挙げるなど、助っ人外国人として上々のスタートを切った。

 やはり、この男は”持っていた”。

 8月に府中アスレティックF.C.から中国リーグ・大連元朝蹴倶楽部に電撃移籍した渡邉知晃が、日本と中国で2カ月連続カップ戦制覇という偉業を成し遂げた。昨シーズンのリーグ戦を制した大連は、予選リーグ3試合、準々決勝、準決勝を実力通りに勝ち上がり、決勝戦に進んだ。渡邉も5試合すべてでゴールを決めて、チームの勝利に貢献した。

 決勝の相手は深圳南嶺鉄狼FC。昨シーズンまでは元名古屋オーシャンズのアジウが監督を務めていた強豪チームで、AFCフットサルクラブ選手権にも毎年のように出場している。今シーズンからは、アジウの元でフィジカルコーチとして働いていたバルチが監督に昇格、さらに元ヴォスクオーレ仙台監督の比嘉リカルドがコーチに就任。さらに渡邉と名古屋でチームメートだった畠山ブルノタカシも所属している。

 大連と深圳は昨シーズンのプレーオフでも当たった“最大のライバル”。大連に敗れて中国チャンピオンの称号を失った深圳は、プライドをかけて臨んできた。中国リーグの2強による決勝戦は文字通りの“死闘”になった。

 先制した大連だったが、その後、2連続失点。1−2と逆転されてしまう。そのまま同点にすることはできず、パワープレーに。ここでチームを救ったのが“持ってる男”渡邉だった。

 2011年、名古屋オーシャンズに移籍直後に臨んだ「AFCフットサルクラブ選手権」では、決勝のシャヒード・マントーリ(イラン)戦で決勝ゴールを決めて、アジア王者のタイトルをもたらした。日本代表として出場した2014年の「AFCフットサル選手権」でも、決勝のイラン戦の延長後半に同点ゴールを演出。日本代表はPK戦の末にアジア2連覇を果たした。

 今年7月に府中の一員として戦ったオーシャンカップの準決勝・エスポラーダ北海道戦では、残り1秒で起死回生の同点ゴールを決めた。渡邉のゴールで息を吹き返した府中は、延長戦で北海道を下し、決勝では名古屋オーシャンズに6−0で大勝。府中にクラブ初タイトルを引き寄せた。

 中国でも渡邉の勝負強さは健在だった。残り1分、パワープレーからのアシストで同点ゴールを演出すると、延長戦でも一度はリードされたものの、渡邉のゴールで3−3に追いついた。PK戦では最もプレッシャーのかかる1人目のキッカーを任されると、落ち着いて決める。PK戦を3−1で制した大連が、中国リーグの新シーズン初タイトルを獲得した。渡邉は6試合連続、合計9ゴールを決めた。

 渡邉はツイッターで「優勝しました!!!  自分で言わせて下さい。 俺また持ってました。2度の逆転されましたが残り1分でパワープレーでアシスト、延長に同点ゴール。最後はPKキッカー1人目でしっかり決めました! 」と喜びを語った。

 中国のチャンピオンチームに、プロ契約の助っ人外国人として迎え入れられた渡邉にとって、目に見える結果を出したことは、チーム内での信頼獲得にもつながるはず。「日本人選手の新しい道を切り開きたい」と言って中国に渡った男が、新天地で上々のスタートを切った。

渡邉知晃
1986年4月29日生まれ、福島県出身。順天堂大学在籍時にGAZILでフットサルを始める。ボツワナ(現フウガドールすみだ)を経て、2009年にFリーグのステラミーゴいわて花巻に移籍。フィジカルの強さと高い得点能力を認められ、2011年より名古屋オーシャンズへ。名古屋ではFリーグ4回、オーシャンカップ4回、全日本選手権3回、AFCフットサルクラブ選手権2回と数多くのタイトルを獲得している。2015年、名古屋から府中アスレティックF.Cに移籍したが、同年8月に退団。中国リーグ・大連元朝蹴倶楽部でプレーする。180センチ、75キロ。

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