2015.07.24 Fri

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第4章「その1:シャークス、ボツワナ、フトゥーロ……フットサル界は新時代へ」

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 2001年1月の第1回スーパーリーグ優勝、2月の第6回選手権優勝の戦績を残し、これからはカスカベウの時代と思われたものだが、実際はそうではなかった。再び、関東は戦国時代に突入、様々なチームの合従連衡が行われた。これらは、全日本選手権が終了する2月から新しいシーズンが始まるは4月頃まで続くのが常である。したがって、2001年の春頃の話である。

 まずはのちに第3勢力として化ける3つのチームがこの頃誕生している。1つはシャークスである。シャークスは、第1回スーパーリーグの最終節に行われた第2回の参入戦決勝で勝ち残り、世に出ることになった。のちに第3回スーパーリーグに優勝、関東リーグ優勝、地域チャンピオンズリーグ準優勝と化けるが、当時はまだまだ無名の存在であった。

 静岡県伊豆の韮山高校サッカー部出身のメンバーが設立したチームで、主力メンバーは、FC FUN(オスカーが指導していたチーム)に在席、フットサルを学んでいたのだった。メンバーには石川昌史、岩本健寿、八重樫理人、横山哲久(のちにカスカベウ)らがいた。

 また、ガロから大量に選手が移籍、飛躍的にチーム力が増すのだが、これはのちのことである。

 もう1つはのちにフウガ目黒さらにはフウガドールすみだのボツワナである。都立駒場高校サッカー部OBで作られたチームで、高校所在地は目黒であった関係で目黒がついている。このチームが衝撃的デビューを果たして世に出るのは1年後のことであり、この時期はもっぱら民間大会で活躍していた。メンバーには木村幸司、太見寿人、茨木司朗、関健太郎らがいた。むろん、このチームがのちに関東リーグ3連覇、全日本選手権優勝の前身チームとは誰も想像しなかった。

 3つ目はフトゥーロである。それは当時衝撃的なニュースであった。なぜなら、ファイルフォックスの主力メンバー上村が渡辺英、小野、橋田、GK伊藤喜影らを引き連れて独立したからである。上村といえば、ファイルフォックスの顔ばかりではなく、ミスターフットサルと呼ばれ、日本のフットサルの顔と言っても過言ではない存在である。しかし、全日本選手権の敗戦をきっかけに、第3章での述べたように日系ブラジル人との確執や自分なりの理想のフットサルを求め、新たなチーム作りを目指すことになったのであろう。チーム名がそれをよく物語っている。(ポルトガル語で未来)

 さて、このようにめまぐるしくチームが動いたなかで、お宝写真というとなかなか迷う。ここは、冒頭に紹介したチームということでシャークスにしよう。

 この写真は、2シーズン目を迎えたスーパーリーグの集合写真で、シャークスにとっては、初めてのひのき舞台であった。

 代表者は、後列向かって一番左の石川昌史でこのたび韮山反射炉の世界遺産登録で一躍有名になった静岡県伊豆の国市の韮山高校サッカー部出身である。韮山高校サッカー部出身には、前列右の攻撃の中心ピヴォの八重樫理人、前列左から3番目の後ろを固める長身のフィクソ岩本健寿、後列左から5番目のアラ太田健太郎らがいた。前列中央は、桐蔭学園サッカー部出身でインターハイベスト16の経験を持つ内池達徳(のちにファイルフォックス)、後列中央は、木暮と小中学時代の読売ヴェルディで同期、オスカーつながりで第9回全日本選手権優勝のバンフ東北のメンバーにもなった前田大輔、後列左から3番目は、のちにカスカベウ、ペスカドーラ町田のコーチ、アスピランチの監督になった横山哲久(昨年、ペスカドール町田を退団、今はたまに、難波田の闘魂でフットサルをやっている)などのタレントを揃え、ガロの選手の大量移籍の歴史を経て関東リーグ優勝にまで登りつめるチームになった。

 創設者の石川は、将来のFリーグ参入を目指すくらいのチーム作りをこの時から考えていたが、その参入の壁は予想以上に高く、志なかばで挫折してしまった。むろん、この時はそれを知る由もない。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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