2015.05.06 Wed

Written by EDGE編集部

コラム

関東フットサル三国志/第1章「その8:フットサル界のスターは読売ランドから生まれた」

写真:木暮知彦

Fリーグができるまで、日本フットサルの頂点は間違いなく「関東」だった。その関東を軸に競技フットサルの歴史を振り返っていく当連載。昔からのファンはもちろん、フットサル観戦ビギナーや、Fリーグ以降にファンになった人には「最高の教科書」になるはずだ。
(文・木暮知彦/関東フットサルリーグ広報委員)

 前回、府中が情報、知識の中心でそれが大塚を介して横浜、藤沢の方にも伝播していったと述べたが、別の関東でのフットサルの発展要因、それは、東京ヴェルディ(現呼称)の存在である。

 当時のヴェルディといえば、ラモス瑠偉、三浦知良に象徴されるように、サッカースタイルがブラジルを源流とした個人技を特徴としていてフットサルに通ずるものがあった。また、彼らの華麗なプレーは小学生、中学生のあこがれの的となった。

 ヴェルディの練習場は読売ランドの隣にあり、稲毛市と川崎市の両方にまたがる丘陵に位置している。したがって、丘陵を北、西側に下ると府中、調布、八王子などが開け、南、東側を下ると川崎、横浜、さらには藤沢、平塚など湘南に広がる。つまり、ヴェルディの下部組織の小学生、中学生は、稲毛の丘陵の北側、南、西側の地域から時間をかけて読売ランドを目指して通っていたのである。

 下部組織の練習場の隣では、カズやラモス、北澤豪、武田修宏、堀池巧、都並敏史といった有名選手が練習しているのだから小中学生が刺激を受けないはずはない。当然、下部組織のプレースタイルはミニサッカーとはいえ、フットサルに近いものとなった。実際、1991年に第1回全国少年ミニサッカー選手権大会(のちにフットサル選手権大会・バーモンドカップ)が開催されたが、その優勝は(読売)ヴェルディであった。

 ちなみにその大会の決勝は読売SC対沼津FCで、読売には木暮賢一郎、沼津FCには小野伸二(のちに浦和レッズ、日本代表)がいた。小野はこの大会で優秀選手に選ばれている。

 また、奇しくも、ラモスは第1回アジア選手権の日本代表に選出され、カズが先ごろのワールドカップの日本代表、北澤も世界選手権に出場経験を持ち、現在はFリーグCOO補佐を務めるなど、いずれもフットサル界に大きな役割を果たしていることは偶然ではないのだろう。

 そんなヴェルディの練習拠点、稲城の読売ランドの山を北、西側を下る府中周辺、多摩、八王子には上村信之介、鵜飼孝、下山修平、伊藤雅範(のちにFC東京、府中アスレティック、デウソン神戸、バサジイ大分監督)、久島寿樹(のちにU17サッカー日本代表、カフリンガ)、前田大輔(のちにバンフ東北、カフリンガ)、鈴木隆二(のちにブラジル、ファイルフォックス、府中アスレティック、名古屋オーシャンズ、現在はスペイン2部マルトレイ監督)、宮田義人(のちに府中アスレティック)らが読売ランドへ通っていたのだ。

 一方、読売ランドの山を南、東側では湘南の広山晴士と甲斐修侍が出会い、アズーにつながる。また、ウイニングドッグの木暮、小原信也も、中学時代は川崎から読売ランドに通っていた。その後、ウイニングドッグとエスポルチ藤沢は横浜の練習コートが同じで、お互い切磋琢磨の仲となった。そのほか、川崎から、石塚尊信(のちにカフリンガ東久留米)、岩見裕介(のちにファイルフォックス、ステラミーゴ岩手花巻)の名前が挙げられる。

 そのエスポルチ藤沢はカスカベウ、ロンドリーナと分かれていったが、結局は、町田市のペスカドーラ町田、平塚市の湘南ベルマーレへと引き継がれていったのである。

 さて、今回のお宝写真は、キングカズこと三浦知良の読売ランドの練習場での写真である。(筆者が撮影したもの)

 この時、木暮は小学生で隣のグランドで練習をしていた。その後、木暮はフットサル界のキンググレといわれるようになった。1周りほど年の違うこの2人が同じピッチに立ち、昔の話をしたのは、約20年後の2012年タイ開催のワールドカップのことである。

※この連載は毎週水曜日・金曜日の2回更新予定です。

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